白雲去来

蜷川正大の日々是口実

活字媒体も「倫理委員」を立ち上げたらどうか。

2009-03-26 12:05:43 | インポート

三月二十五日(水)雨のち曇り。

 七時半起床。朝食は、サンマの丸干し、塩辛、大根のみそ汁。一日の食事で朝食が一番美味しいと感じる。いい年をして腹が減って目が覚める。二日酔いでも、熱があっても、起きたら、すぐに朝食をとらないとだめだ。

 午前中は、自宅で仕事。正午過ぎに事務所に行き、朝日新聞社の取材を受ける。何でも、近々、再び、「週刊新潮」のヨタ記事への反論特集を行うそうだ。今日の取材の要点は、新潮の連載に際して、野村先生の門下生である私を含めた関係者に、新潮社側からの取材があったのか、ということ。「一切無い」と答えた。実際に、野村先生はもとより、児玉先生、伊藤塾長が属していた「無名塾」などにも、新潮社側は一切取材を行っていない。

 これは私の推測だたが、我々関係者に取材を行ったならば、島村証言が根底から否定されることを分かっていたからこそ、敢えて肝心な関係者の取材を行わなかったのではないか。部数が低迷しており、編集長が交代することもあって、「みやげ」代わりに、危ないかもしれないが、スクープ記事をやった。私は、そんな気がする。確信犯であると・・・。

 私には、山平重樹氏が、「新潮が取材をした後にはペンペン草も生えない」と言われた、記者魂、取材魂、伝統に裏づけされた「誇り」が、部数を伸ばすことに汲々としているうちに、希薄になってしまったのではないかと思う。「米大使館・CIA・右翼・金・殺人・児玉誉士夫・野村秋介」と並んだキーワードを聞いて、「オオッ!世紀の大スクープ」と、何の疑いもなく、食いつく記者と出版社が今の時代に存在すること自体、私には、新鮮な驚きである。

 「朝日新聞」と戦う姿勢は、私も大いに評価し、応援したい。しかし、その問題と、今回の事は別だ。このまま、虚報問題を放置していたならば、単に、「週刊新潮」のみならず、全ての週刊誌の姿勢が問われる。そういった危機感が欠落しているからこそ、今回のような問題が起こる。「週刊新潮」でさえ、あんな記事を掲載しても何のお咎めや反省がないのならば、ウチもやってみようか。などという空気が蔓延しなければ良いのだが。部数が伸び悩んでいるのは何も新潮だけではないのだから。

 テレビのCMなどの行き過ぎや、報道の誤りには、「倫理委員会」のようなものがあって、ある程度自浄作用を求められると聞く。活字媒体も、そういった委員会を自ら立ち上げたらどうなのか。「週刊新潮」が、「週刊ほっ被り」にならぬことを祈るばかりである。

 取材が終了後、遅い昼食を、伊勢佐木町の「モハン」というインドカレーの店に行った。久し振りに食べたが、辛くて、夜になっても舌が痛かった。

 夜は、T社のI編集長と待ち合わせての一献会。I氏にはいつも良くして頂いている。久し振りの酒だが、これも久し振りに、藤棚の「やまと」へ行った。相変わらず「生皮揚げ」や「手羽揚げ」「もも揚げ」が美味い。しかし惜しむらくは焼酎がないのだ。一時間半ほどで、サリーの店に転戦。最近、少々酒の弱くなったI氏を促して、解散。いい酒で、小破・良飲。

04660467

私が編集を行っております、「大吼」の春号が完成いたしました。是非ご一読をお願い致します。

※クリックすると拡大して見れます。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする