白雲去来

蜷川正大の日々是口実

昔の日記から・・・。

2015-01-11 11:19:42 | 日記
一月八日(木)晴れ。

ゲゲゲ。二日酔いである。昨夜はしゃぎ過ぎた罰が当たった。目が覚めると家にいるのは私だけだ。二日酔いでも寝ぼけていても、朝食だけはしっかりと食べる。これが私の健康法である。風呂に入ろうと思った瞬間に、今日、十時に人と待ち合わせをしていることを思い出した。慌てて着替えをして待ち合わせの場所に向かうが、まだ昨夜の酒が残っている。こんな時に飲酒運転の検問でもあったならば、酒気帯び運転でお縄になるかもしれない。

待ち合わせの場所に着いたのは、約束の時間の五分前。間に合って良かった。車で待っていると、十分が過ぎても、二十分が過ぎても、待ち人来たらず。三十分が過ぎて、さすがに、どうなってるのかと思い電話を入れると、「蜷川さん。待ち合わせは明日の金曜日ですよ」。折角二日酔いの絶不調の体に鞭打って来たのに、この時ばかりは自分を罵った。ゲロゲロな思いで自宅に戻って、やけくそで布団に入って、そのまま三時過ぎまで寝てしまった。ついていない一日だった。

先帝陛下の崩御から、もう四半世紀以上が過ぎたか・・・。その悲報に接したのは、忘れもしない網走の「切通し農場」という所で除雪作業を行っている時だった。なぜか体調を崩し、四日ばかり病舎に入った。一年が過ぎた頃、私は一級となり、戦線復帰を四ケ後にひかえ、「外掃班」で作業をしていた。久しぶりにその頃の日記を出して読んでみた。

三日休んだ後の作業は、どうも体がついて行かない。朝から鏡橋(注・刑務所の周りに流れている川に架かる橋)、官舎周りの除雪を行ったが、あまりの寒さと、作業の辛さに”泣き”が入った。網走川が所々凍っている。ちなみに今朝の工場(外掃班の道具が置いてある小屋)前の温度計はマイナス十三度を指していた。外を見ても雪の白さ以外何の色もなく、夏から秋にかけてあれほど観光客でにぎわった”番外地”もこの季節は訪れる人もいない。鏡橋の雪をスコップでどけながら、いつかこの橋を自由な身になって渡ってみたいとしみじみ思う。それも後四か月のこと。娑婆が射程距離に入ったこの頃方が、一日がとても長く感じてしまう。考えまいと思っても、布団に入るといつの間にか頭の中は娑婆のことで一杯になっている。いやいや余計なことを考えずに、出所までどのくらいの本が読めて、どんな作家との出会いがあるのか―。ということに専念しなければ。
「こうしてぼくたちは、絶えず過去へ、過去へと運び去られながらも、流れにさからう舟のように、力の限り漕ぎ進んでゆく」。フイッツェ・ジェラルドの『華麗なるギャッピー』のエンディングである。ロバート・レツドフォードが主演した、その映画を見たのはいつの頃だっただろうか。それから夥しい時が流れて、備え付けの官本で原作を読みながら、当時のことを思い出す―。というのもまた味わいがある。今日からの読書は、南方熊楠のことを書いた『巨人伝』。囚友より日本青年社の小林楠夫先生の訃報を聞く
。嗚呼。

平成元年一月十六日の「独醒記」と題した網走時代の日記である。
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