白雲去来

蜷川正大の日々是口実

5月のフランスの野は火の色。

2024-07-29 18:36:09 | 日記

7月26日(金)晴れ。

オリンピックが始まった。何でもパリで開催されるのは大正14(1924)年以来百年ぶりとのこと。その時の日本人の参加者は、わずか19人だったそうだ。今回は400人を超える選手が日の丸を背負って参加している。私が野村先生のお供をしてパリに行ったのは平成4(1992)年の9月の事だから、もう32年も前の事だ。しかし、古都パリの景色はたかだか30年ぐらいではビクともせず、開会式の映像を見ても、あああそこも行った、ここも行ったと、昨日の事のように思い出すことが出来る。セリーヌ・ディオンの「愛の賛歌」も良かったが、私は、「パリの空の下セーヌは流れる」を歌ってほしかった。歌っているセリーヌ・ディオンが一瞬、越路吹雪さんとダブった。古い人間ですからご容赦を。

歌人の与謝野晶子は、明治45年5月5日、新橋駅から夫、与謝野鉄幹の待つフランスへ旅立った。シベリア鉄道を経由して、19日にパリに到着する。当時は、日本からフランスまで14日もかかったのだ。車窓から見る5月のフランスの野原には、ヒナゲシの花が咲き乱れていた。半年ぶりに夫と再会した喜びを、その燃えるような赤色に託している。その時に詠んだのが有名な、「ああ皐月(さつき)仏蘭西(フランス)の野は火の色す君も雛罌粟(コクリコ)われも雛罌粟」。ああ麗しい5月、フランスの野原には咲き誇るひなげしの花で一面火が燃え立つように赤い。今やあなたもフランスの地にたつ一本のひなげし、わたくしもまた・・・。(「短歌のこと。光のことば、ことばのひかり」より)。ちなみに、雛罌粟(コクリコ)とはひなげし、ポピーのこと。

「ふらんすへ行きたしと思えどもふらんすはあまりに遠し」と詠んだのは、萩原朔太郎。あまりに遠し、加えて金もなし。

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