白雲去来

蜷川正大の日々是口実

第四十六回(令和元年)大夢祭

2019-05-18 10:16:36 | 日記
五月十五日(水)晴れ。Part2.

正午前に、護国神社着。受け付けで花房先輩や旧知の同志に挨拶。ここで花房先輩から、俳優の工藤堅太郎氏をご紹介された。工藤氏は、その昔(昭和三十九年)にテレビの連続ドラマ「夕日と拳銃」の主役をやった人だ。実在の人物で、中国大陸で日本人馬賊として有名だった伊達順之助をモデルにした檀一雄の小説「夕日と拳銃」をテレビドラマ化したものだ。私は、当時、中学の二年生だった。このドラマに嵌ってかならず見ていた。今のように、録画機能がないのがとても残念で、どうしてももう一度見たいのだが、いくら探しても、そのテレビドラマのフィルムは残っていないとのこと。

そのドラマと小説に感化されて、関連本や登場人物の伝記や著作を読んでいるうちに、民族派運動に入る素地が出来た。その昔、犬塚博英先輩のお世話で「沖縄戦跡慰霊巡拝団」(昭和五十七年七月)の一員として、初めて沖縄を訪れた時、伊達順之助のご子息である伊達宗義先生がご同行された。夜、タイガービーチでのBBQの時に、「夕日と拳銃」の主題歌を歌ったことがあった。宗義先生には、ご尊父のことを書いた『灼熱』という本がある。工藤氏より主題歌の入ったCDを頂き感激する。

十二時より、本殿にて慰霊祭。いつもながら世話人代表の坪内隆彦氏の「祭文」が胸を打つ。ちょうど坪内氏が祭文を奏上している時に、上空を自衛隊?の飛行機が通過した。何か、私には慰霊飛行のような気がしてならなかった。坪内さんから、今月の十一日に靖国神社にて壮烈なる割腹自決を遂げられた沼山光洋さんへ追悼の誠を捧げ、全員で黙祷を行った。

慰霊祭終了後は、参集殿にて奉納落語。演ずるのは三遊亭歌武蔵師匠。元相撲取りで自衛官にして落語家と言う波乱の経歴を持つ人である。演題は古典で有名な「胴斬り」。

終了後は、新しく建立された三上卓先生の絶筆と、辞世の歌の碑の前で記念写真を撮る。絶筆は、中国禅宗の第六祖となった慧能禅師の言葉の「無一物中無尽蔵」。辞世の歌は、「天命と義憤とを乗せて行く船の帆に風なきは悲しかりけり」。確か、五・一五事件の後の作と聞いたことがあった。ちなみに大夢と大悲は三上卓先生の雅号である。大夢は花房先輩が、大悲は野村先生が受け継いだ。

二時半より、大夢館に移動して直会。三時半にお暇する。岐阜から名古屋駅へ。新幹線のホームで、これもお決まりの立ち食いの「きしめん」を食べてから車中の人となる。八時前に帰宅。※集合写真の前列左から五人目が蜷川、右隣が花房先輩。

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恐るべし、岐阜のソウルフード。

2019-05-18 08:31:48 | 日記

五月十五日(水)晴れ。

ホテルのカーテンの端が少し開いており、そこから中途半端な陽射しが入ってきて眠りを邪魔される。ベッドの時計を見ると五時過ぎ。ナメンナよ。と罵りカーテンを閉め直す。七時半に家族からモーニングコールが入って起きる、いや目を覚ます。八時過ぎまでウトウトしていてから、風呂に入るが、最近のビジネスホテルは、ほとんどがシャワー仕立てになっていて、どっぷりと風呂に浸かって酒を抜きたい時には、難儀する。昨日とはうって変わって良い天気である。

九時に、ロビー、と言うよりも猫の額ほどのフロアに行き、簡単な朝食とコーヒー。部屋に戻り十時にチェックアウト。今日の「五・一五事件追悼」の「大夢祭」は昼からなので、岐阜に来た時の楽しみの一つである蕎麦屋、吉照庵へ。タクシーの運転手さんに聞けば、大好きだった路面電車は、とうの昔に廃止されたと言うこと。この町の風景にマッチしていたのに愚かなことをするものだ。

吉照庵に着けば、生憎三連休中。運転手さん「他に蕎麦屋は」と聞けば、「更科」というお店があると言う。何でも「冷やしたぬき」が評判の店と言うことで、そこに案内して頂いた。お店に着いたのは、午前十一時十分。何と、ほぼ満席である。これには驚いたが、もっと驚いたのは、お客さんの全員が同じ物を食べていたことだ。それも大盛りなのだろうか、とても大きい器に入った物を食べている。正に「ナニこれ珍百景」の世界である。私たちも、皆さんが食べている物、すなわち「冷やしたぬき」を注文した。すると一分程度で出てきた。「小」を頼んだのだが、それでも量が多く、清和崇さんに少し手伝って貰った。「更科」と言う割には、蕎麦は、いわゆる黒っぽい、「田舎蕎麦風」で、汁は、少し甘め。丼の中に、蕎麦と天かす、甘めに煮た「お揚げ」とネギ。若い人は、「ダブル」や「トリプル」という超大盛りを食べるとのこと。岐阜のB級グルメ、ソウルフードとして有名らしい。

また、品書きに「おばけ」とあるので聞いてみたら、「きつね」は「うどん」で、「蕎麦」にすると「おばけ」となるそうだ。遊び心がシャレている。食べている間にも、次から次と客が入ってくる。「立ち食いそば」のノリなのだが、「冷やしたぬき」恐るべし・・・。

食後に、護国神社へ。ここに初めて来たのは、野村先生が「経団連事件」にて戦線復帰した昭和五十九年のこと。当時は、宿泊することも出来た神社の青嵐会館に泊まった。そんなことを思い出しながら、受付で花房東洋先輩にご挨拶。〈続く〉。

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