白雲去来

蜷川正大の日々是口実

「国民の生活が第一」。当たり前じゃないの。

2012-07-12 10:05:26 | インポート

七月十一日(水)晴れ。

 良い天気である。目を覚ました時には上の子供は既に学校に行っており、愚妻も慌てて出かけた。下の子供に、卵サンドを作ってから、のんびりと朝食。私の好きな、赤魚のかす漬け。良く見ると産地はアイスランドとある。随分遠い所から来て、自宅近くのスーパーで売られたものだ。もしメスだったらこの魚もジャパユキさんかもしれない。何か、悲しい特別な事情があったのだろうか・・・。などと考えながら美味しく頂きました。成仏してくれよアイスランドの赤魚さん。

 土曜日の締め切りの原稿に追われていて、どうも落ち着かない。その他にやらなければならないことが沢山あるので、今日は、パソコンの前からほとんど動かずに夜になった。

 ニュースでは、民主党を離党した小沢一郎グループが新党を立ち上げた。その名前が「国民の生活が第一」だって。思わず笑ってしまった。政治家である以上「国民の生活が第一」なのは当たり前ではないか。いや本来ならば、「ご皇室が第一」、あるいは「国防が第一」でなければならない。大体、今更ながら「国民の生活」などと言うことをあらためて党名にしなければならないとは、あまりにも語彙が不足している。「新潮文庫の100冊」でも読んで、もう少し日本語を勉強し直してほしいものだ。

例えば、憲法に「親孝行をしなさい」「悪いことをしてはいけません」などという人間として当たり前のことをいちいち明記するだろうか。そんなことを書いたら、この国にはよほど、そういった常識に欠けている国民が多い、と言うことを天下に喧伝するようなものだ。政治家が今更「国民の生活が第一」とわざわざ確認しなければならないほど幼稚なのか。

政治家である以上、そんな大衆迎合主義に走らずに、どんな理念や理想を持って、震災以降の我が国の低迷する経済を立て直し、復興を推し進めて行くのか。更に、尖閣諸島をめぐる国防問題、拉致家族のこと、あるいはTPPに参加するのか否か、沖縄の基地問題等、新しい政党の基本理念を国民の前に示すのが政治家たる者の使命ではないのか。

国難の際には、「国民の生活」をも犠牲にすることもあるのだ。その決断をするのも政治家である。「国民の生活」よりも、迫りくる「選挙が第一」であることはミエミエである。

夜は、酔狂亭で月下独酌。頂き物の「佐藤」の四合瓶が一本空いた。まだ二本ある。なぜかふふふと笑みがこぼれる。

そういえば、隠岐康さんから届いた「新潮文庫の100冊」は、私宛てではなく、上の娘の入学祝でした。嬉しいやら、ホッとするやら複雑な心境です。

コメント (1)
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