SJesterのバックステージ

音楽関連の話題中心の妄言集です。(^^)/
もしよろしければ、ごゆっくりどうぞ。

禁断の詩

2007年03月12日 00時00分10秒 | 長岡
長岡に戻ってきています。写真は信濃川にかかる長生橋です。
やはり今年も冬は来ていたということを、感じ取っていただけますでしょうか?

さてさて、先の記事で“真実(エロス)・セオリスト”を標榜したからには、一回ぐらい真実の追究をした記録を残さねばと思いこの記事をアップします。
良寛さんの記事をもってしても、一部エロから離れられないでいるようにもみえますので、今回はゆめゆめそのようなことがないように、注意して記事を掲載したいと思います。(^^)/


同僚と昼食を共にとっているとき何故か最近話題になることは、空腹時血糖値・γーGTP・白血球数などの数値・・・。
仲間たちも私同様に真実を追究する、またはハードボイルドに仕事をこなす中で、数字に裏付けられた話題を緻密に積み上げるというのは、発言に対して責任をとる姿勢を感じさせるまことに誠実な態度と申せましょう。

しかし、これらの不健康自慢を聞かせていただいていると、何かしら自らの会社への奉職というか献身の副作用としてわが身にこのような災いが降りかかっているのであるという語調にきこえてしまうのは気のせいでしょうか?
それほどに会社の要請が過酷であるのだ・・・と共通認識を抱いて、それを前提にして話が組みあがっていっているような・・・。

会社の要請が、ある意味で過酷であるのはよくよく分かります。心から共感します。
でもね、みなさんの体の指標が悪い真の原因は・・・

   不摂生

会社の要請の如何を問わず、これしかないのが真実だということを、私は知っています。


禁断というのは、真実(エロス)を追求するときには避けて通れないもの。かくのごとく雪に閉ざされた中にあればこそ、このような思索に耽ってしまう私がいるのでありました・・・。


法律について述べます。
法律はしばしば指摘されるとおり、正義の味方でも真実を暴く理論でもなんでもないということを学びました。
要するに、法律は知ってる人の味方であると・・・。

ここでは触れませんが、確定申告をしたときの経験に照らせば税務も然り。
納税が国民の義務であるから、全てを白日の下に晒して一円でも多くの税金を払うことに満足感を覚えるという態度で臨まない方にとってみれば、どのように申告するかという点について、説明の冊子を見るだけでは見解の相違が発生する余地は充分にある。


さて、誰も見ていない真実の瞬間に起こったことがらについて、十全に審理を尽くすとはいえ同じ(はずの)事象を検察は有罪だといい、弁護側は無罪あるいはもっと軽い量刑であると主張する・・・。

たとえ起こった事象(構成要件)には疑義がなくても、悪くないことことをした(正当防衛のような違法性阻却)のではないか、精神的にどうかしていた(心神耗弱のような責任阻却)のではないか、などというゴールに至るまでのハードルがあったりするもんだから、余計に思い通りの結論にするための権謀術数が横行することになる・・・。

当然に法律の条文は、今、その事案を判断する基準としては絶対であります。
だとすれば、裁判官が“それ”を適用したうえで自らにとって合理的な結論を導くためにするためにどうするか?
そのためには、多かれ少なかれ“事実を”それにあうように合わせてしまう工程を彼の頭の中でする、しかありませんよね。

制度の運用上はまことに適当なことと思うけれど、だいたい不服がある人がいて控訴するということが想定されていること自体、誰しもが納得する完全な理論でないことを証明しているようなもんじゃないですか?


なぜこんな話をするかというと、裁判員制度が話題になっていますよね。

私もそうですが“こんなことやりたくない、面倒に巻き込まれたくない”と言われるかたが大勢を占める中、「やりたい!」という人にごくまれにお会いすることがあります。
そして、そのような方ってえてして“王様ゲームを好む”という事実を私はたゆまぬ真実の追究の結果、知っているのです。

してみると、もし実現した場合にその運用を誤ると、この制度は大変な危険を孕んでいるように思われます。


かねて、我が家のテレビ君が天寿を全うしようとしているという記事を書きましたが、この度後継のプラズマテレビを導入しました。


前のテレビ君はS社のもので長野オリンピックに際して購入したもの・・・。当時はハイビジョンが写るということで“ふはははは・・・∞”と思っておりました。
そして不調を訴えるまで、私の「トリニトロン管は天下無敵だぁ~」という思いをただの一度も損ねられた記憶がないという稀に見るお利口なテレビだったのであります。
ちなみに今、留守宅で打ち込んでいるデスクトップのVAIOのディスプレイもトリニトロン管であり、そう聞いただけで私の眼には最高の画質であり解像度に思えてしまうのであります。

後継のこのテレビはH社の“うー”と呼ばれる機種です。
当初は候補にも挙げておりませんでしたが、さんざん液晶テレビでどれにするか悩んだうえで販売店店頭に行って、凄くさばけた店員さんのひとことによってあっという間に液晶テレビの選択肢が消え(厳密に言えばサザエさんのスポンサーのT社液晶テレビは残った)、プラズマテレビを擁するH社・Pa社・Pi社に絞られ、結局37型というサイズでの攻防によってこのテレビ君が我が家の“主役”の座を射止めたのです。

“地デジはとてつもなくきれいだぞ!”というわけで、またまた“ふはははは・・・・・∞∞”という気分でありますが、ホントに家に置いたときの坐りといい画面(販売店だとプラズマは液晶に比して暗いように思えるけど、家に帰るとプラズマで充分明るい)の鮮やかさといい良い買い物をしたと思っております。

決め手は、画面の強度でした。

小さな子供がいて、これまでトリニトロン管の画面には絶えず子供の指紋が付いており・・・、あるいは家の中でヘタするとボール遊びなどして画面に何かがぶつかる恐れがある、ひどいときには不安定極まりないテレビの上にジュースが置いてあったりする・・・。

液晶画面はノートPCの画面と大差ないわけで、衝撃に弱いし、ましてや飲み物などがかかったらどうなることやらということはご想像いただけるかと思いますが、これがプラズマテレビであれば前にブラウン管テレビと同様のガラスじゃないにせよ硬質のパネルが張ってあるため、ずいぶん安心感があると思ったのです。
現に、今日も子供の紙飛行機が何回もテレビ君に衝突しています・・・。
“大正解”だったと思っています。
我が家の過酷な使用状況に耐え、前任者のように永く家族に楽しみを提供してくれることを心から願ってやみません。

先ほど“テレビが我が家の主役を射止めた”といいましたが、ついている限りは親が何を言っても子供は振り向かず、テレビの言うことを聞いていることが多いという意味では決して誇張でも何でもありません。

このようなことは、“サラリーマン川柳”などでも詠われているとおりで、巷には私同様“真実(エロス)の追究”に余念がない皆さんがいっぱいいらっしゃることを感じます。
先般有楽町を訪ねた折に、主催している生命保険会社のロビーに投票用紙があったので、最優秀を決めるための一票を投じてきました。

著作権の問題で、句をご紹介することはマズイと思いますので全文は掲載できませんが“武勇伝”について詠んだ句を選びました。
流行のセリフを織り込みつつ、まことにうまいコトいったもんだと感服しました。

気になったのは、ロビーにサラセンの大賞候補100篇の色紙が掲げてあったのですが、そのうち1篇の作者よりエントリー辞退の申し出があったということで色紙が1枚空席になっていたこと・・・。

考えてみれば、これらの多くが恐ろしく権威ある“禁断の詩”ですものね!!

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