★J.S.バッハ:ヴァイオリン・ソナタ第1,2,6番
(演奏:ヴィクトリア・ムローヴァ(vn)、ブルーノ・カニーノ(p))
1.J.S.バッハ:ヴァイオリン・ソナタ第1番 ロ短調 BWV1014
2.J.S.バッハ:ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 BWV1015
3.J.S.バッハ:ヴァイオリン・ソナタ第6番 ト長調 BWV1019
4.C.Ph.E.バッハ:ヴァイオリン・ソナタ ハ短調 Wq78
(1992年録音)
久しぶりに心地よい緊張感を味わえるヴァイオリンを聴きたいと思いまして、こんなディスクを選択してみました。
このところ、その日に聴いたディスクをレポートするような体裁になっていますので、今日の気分に合わせたチョイスは正解だったかなと思っておりますです。
クラシックにのめりこみ始めたころに入手したディスクでして、それまで知らなかった曲に出会うその時々が新鮮だった頃を思い出しますね。
ワクワクしながら封を切って、良いも悪いもわからないけど出てくる音に虚心に耳を傾けて浮き立つような心の高揚を感じていた頃・・・でありました。
確かに耳は肥えたかもしれませんが、今よりあの頃の方が新しいディスクを聴く時ときめいていたなぁなどと懐かしく思っております。
このディスクを最初に聴いた時、ロ短調のソナタ1番の第1楽章の雰囲気が、どうしても加藤剛さんがやっていた大岡越前のテーマとシンクロしてしまって困ったモンですが、今日も同じように大岡越前のエコーが私の頭の中だけで鳴り響いておりました。
このディスクははっきり言って名盤だと思います。
ムローヴァは後年、少なくとも1995年には自分が今まで弾いてきたバッハの演奏の仕方は誤りであったと言っていますが、これは誤りの時代なのか、修正された後なのかは私にはわかりません。
しかし、この多分に憂いを含んだヴァイオリンの音色、ストイックかつスレンダーな節回し・・・とりわけマイナーな旋律でかぼそくモノローグのように語られる場面などクラッときてしまいます。
「これが誤りなら、誤ったままのほうが良かったんじゃないか!?」
と言ってしまっては、ムローヴァさんに失礼ですかね?
またピアノのカニーノが特筆大書されるべきで、現代ピアノを使いながらどんな場合にもヴァイオリンをうまく立てるようにある時には密やかに、またある時には彩を添えるといった八面六臂の活躍をしています。
現代音楽の演奏にも精通している大家が弾いている、納得の伴奏です。
★J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番、第2番他
(演奏:ヴィクトリア・ムローヴァ(vn)、ムローヴァ・アンサンブル、フランソワ・ルルー(ob))
1.ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 BWV1041
2.ヴァイオリン協奏曲第2番 ホ長調 BWV1042
3.ヴァイオリン協奏曲 ト短調 (BWV1056)
4.オーボエとヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 (BWV1060)
(1995年録音)
このディスクあたりが、ムローヴァがフィリップスに在籍していた時のうちでも最も輝いていた頃の録音ではなかったでしょうか?
気の合った仲間による生気にあふれ、なおかつ親密な演奏が展開されているディスクであります。
ムローヴァはソリストですが、そんなに前面に出てくることはありません。
あくまでもアンサンブルの中で、それぞれに自分の居場所でリラックスして演奏を楽しんでいる様子が伺えて、聴いている方もとても落ち着いて耳を傾けることが出来ます。
オーボエのルルーも好演していますが、やはり白眉はコンチェルトの1・2番ということになりましょうか。
私は第2番のほうが好きなので一言しますと、こんなに据わりのいいこの曲の演奏は聴いたことがありません。
売りが強い演奏だと聴いている方も引いちゃいますけど、この演奏には田舎のやさしい陽だまりのような、純粋に音楽仲間とアンサンブルしていることの楽しさだけが伝わってくるような、そんな感じがするのです。
チャイコン優勝時に「彼女は笑うことも出来たんだ」とクリティックが書いたほど、成功のためには気の緩み、心の緩み、口元の緩みすら許されないというプレッシャーから心が閉じていたかもしれないムローヴァ。
もちろん実力は世界最高級の折り紙つきである大ソリストである彼女は、実は普通の人として、いろんな仲間とのコミュニケーションをとることに飢えていたのかもしれないとさえ思える親密な語り合いの聴かれる盤でした。
すっと背筋が伸びるような清新な演奏には、もとよりバッハの曲の素晴らしさがあってのこと・・・ということは言うまでもありません。(^^)v
(演奏:ヴィクトリア・ムローヴァ(vn)、ブルーノ・カニーノ(p))
1.J.S.バッハ:ヴァイオリン・ソナタ第1番 ロ短調 BWV1014
2.J.S.バッハ:ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 BWV1015
3.J.S.バッハ:ヴァイオリン・ソナタ第6番 ト長調 BWV1019
4.C.Ph.E.バッハ:ヴァイオリン・ソナタ ハ短調 Wq78
(1992年録音)
久しぶりに心地よい緊張感を味わえるヴァイオリンを聴きたいと思いまして、こんなディスクを選択してみました。
このところ、その日に聴いたディスクをレポートするような体裁になっていますので、今日の気分に合わせたチョイスは正解だったかなと思っておりますです。
クラシックにのめりこみ始めたころに入手したディスクでして、それまで知らなかった曲に出会うその時々が新鮮だった頃を思い出しますね。
ワクワクしながら封を切って、良いも悪いもわからないけど出てくる音に虚心に耳を傾けて浮き立つような心の高揚を感じていた頃・・・でありました。
確かに耳は肥えたかもしれませんが、今よりあの頃の方が新しいディスクを聴く時ときめいていたなぁなどと懐かしく思っております。
このディスクを最初に聴いた時、ロ短調のソナタ1番の第1楽章の雰囲気が、どうしても加藤剛さんがやっていた大岡越前のテーマとシンクロしてしまって困ったモンですが、今日も同じように大岡越前のエコーが私の頭の中だけで鳴り響いておりました。
このディスクははっきり言って名盤だと思います。
ムローヴァは後年、少なくとも1995年には自分が今まで弾いてきたバッハの演奏の仕方は誤りであったと言っていますが、これは誤りの時代なのか、修正された後なのかは私にはわかりません。
しかし、この多分に憂いを含んだヴァイオリンの音色、ストイックかつスレンダーな節回し・・・とりわけマイナーな旋律でかぼそくモノローグのように語られる場面などクラッときてしまいます。
「これが誤りなら、誤ったままのほうが良かったんじゃないか!?」
と言ってしまっては、ムローヴァさんに失礼ですかね?
またピアノのカニーノが特筆大書されるべきで、現代ピアノを使いながらどんな場合にもヴァイオリンをうまく立てるようにある時には密やかに、またある時には彩を添えるといった八面六臂の活躍をしています。
現代音楽の演奏にも精通している大家が弾いている、納得の伴奏です。
★J.S.バッハ:ヴァイオリン協奏曲第1番、第2番他
(演奏:ヴィクトリア・ムローヴァ(vn)、ムローヴァ・アンサンブル、フランソワ・ルルー(ob))
1.ヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 BWV1041
2.ヴァイオリン協奏曲第2番 ホ長調 BWV1042
3.ヴァイオリン協奏曲 ト短調 (BWV1056)
4.オーボエとヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 (BWV1060)
(1995年録音)
このディスクあたりが、ムローヴァがフィリップスに在籍していた時のうちでも最も輝いていた頃の録音ではなかったでしょうか?
気の合った仲間による生気にあふれ、なおかつ親密な演奏が展開されているディスクであります。
ムローヴァはソリストですが、そんなに前面に出てくることはありません。
あくまでもアンサンブルの中で、それぞれに自分の居場所でリラックスして演奏を楽しんでいる様子が伺えて、聴いている方もとても落ち着いて耳を傾けることが出来ます。
オーボエのルルーも好演していますが、やはり白眉はコンチェルトの1・2番ということになりましょうか。
私は第2番のほうが好きなので一言しますと、こんなに据わりのいいこの曲の演奏は聴いたことがありません。
売りが強い演奏だと聴いている方も引いちゃいますけど、この演奏には田舎のやさしい陽だまりのような、純粋に音楽仲間とアンサンブルしていることの楽しさだけが伝わってくるような、そんな感じがするのです。
チャイコン優勝時に「彼女は笑うことも出来たんだ」とクリティックが書いたほど、成功のためには気の緩み、心の緩み、口元の緩みすら許されないというプレッシャーから心が閉じていたかもしれないムローヴァ。
もちろん実力は世界最高級の折り紙つきである大ソリストである彼女は、実は普通の人として、いろんな仲間とのコミュニケーションをとることに飢えていたのかもしれないとさえ思える親密な語り合いの聴かれる盤でした。
すっと背筋が伸びるような清新な演奏には、もとよりバッハの曲の素晴らしさがあってのこと・・・ということは言うまでもありません。(^^)v
ドミソ動機は他の名曲にも登場します。
(1)モーツァルト/ピアノソナタ第15番冒頭
右手はドミソ動機、左手は「ドソミソ」。小学生が考えそうな出だしですが、なぜか清澄さにあふれていると感じられます。やはり、作曲者はあのモーちゃんなのだという点に幻惑されている可能性あり。
(2)ベートーヴェン/交響曲第5番第4楽章冒頭
単純ではあっても、力強く堂々としています。でも、ベトちゃんの曲でなかったら、簡明直截すぎて深み・含みがないと指摘したくなるでしょう。
(3)ドヴォルザーク/交響曲第8番第4楽章主題
これは、チェロが少し憂いを帯びた表情で「あ・の・ね」とゆっくり優しく語りかけているように聞こえます。簡明な動機からでも感銘を受ける場合があるという例の代表です。
♪~ドー・ミー・ソー・ソソソ・ソー・ドー・ミィー・ドドォー・シ・・・
という感じで始りました。
確かに仰るようにモーツァルトの第15番のソナタと出だしのありがたみはそんなに変わらないかもしれません。
しかし、その後にクーラウはト長調にモーツァルトはト短調に転調するところが教育用にしか評価されない曲と、立派な演奏会用の曲として通用している曲のさになっているのかもしれませんね。
名前だけ・・・というのではあまりに悲しい。
現実なんてそんなもんかもしれませんけどね。
ベートーヴェン運命の第四楽章も元気の良いときに聴くと本当に爽快でいいですね。
ドミソに限らず、これらの人は、簡単なことも難しいことも思いつくまま好き勝手やってあるため、後進が何をやってもビッグ・ネームにその萌芽ありと手柄をかっさらうことができるようになっているような気がします。
ジョン・ウィリアムスがスーパーマンやスター・ウォーズでどんなに気を吐いても、ツァラトゥストラの手法と言われてしまいかねないように・・・。