まんまるログ

融通性か?和・洋・中・無国籍・ジャンクとなんでも食べる胃袋と脳みそ。

昔々 アナトリアで

2015年03月07日 | 映画
アナトリアというと…

マケドニアのアレクサンダー大王は、アナトリアを経て東方への大遠征を行った。
結果アナトリアはローマの属州のひとつになった。
ローマ帝国が東西に分裂した後、のちにビザンツ帝国と呼ばれるようになり東のローマ帝国領となった。
その後はセルジュク(セルジューク)か(オスマン)か…トルコのイスラム教徒の支配下になった……らしい。
〝アレクサンダー大王〟は映画を観た。
うら若きコリン・ファレルが演じていた。

アナトリア(小アジア)半島が舞台のトルコ映画の話。

トルコにはセミフ・カブランオール監督がいる。
他には思い出せない。
トルコ映画は滅多に観る機会がない。
三回か四回か 思いだせないが 思いだせない程度観ている。


〝昔々 アナトリアで〟は映画の半分以上、多分七割以上…が夜のシーンで印象的である。

暗闇の中、死体探しをしているらしい話が始まる。

ここに埋めた、いや丸い木の下だ、 いやこの水飲み場所に、その度に掘り返される草原。

草原か高原か 似たり寄ったりの風景でそれも夜 となるとだれてくる。

たるい被疑者に延々と引き回されて疲れてくる面々。

警部、検事、医者 軍司令 穴掘り人夫… 捜査が長引く途中の会話が示唆的で行間を感じさせる。

 闇夜に写る人工衛星

映画の冒頭シーンは、カメラが外から窓ガラス越しに室内で談笑している男たち三人を写している。

三人のうちの一人は被害者で二人は被疑者である。

ラストシーンは、医者の目が解剖室の窓から外を眺めている。

医者の目に映るのは、殺された男の息子と妻が家路へと向かう姿。

冒頭シーンと対立するラストシーンが心に残る。

首都圏でも商業的に成功するのは無理な感じがする…映画だが…

機会があれば、ゆっくりともう一度みたい。

そんな気がする映画のひとつ。 
端整に創られている。
映像と会話の隙間が…長くて重い。

題名とパッケージのデザインに魅かれて観た。
ファンタジーでなければ、せめてサスペンスを期待していた。
いまか、いまか、と待ってはみても 特に何事も起こらない。

題名から連想していたものがたりとは、ずいぶん離れていた。
だけど……闇夜の人工衛星の光は、漆黒の中に光をもたらして飛ぶ金色の鳥(鳳凰)にも似ている。

ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督の名前を覚えた。


 
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