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ハイドリヒを撃て

2023年10月07日 | 映画
バンゼー会議(ヒトラーの為の虐殺会議)で会議を主導したのは、ラインハルト・ハイドリヒ。
ナチス政権の№3だと言われている。
『ラインハルト・ハイドリヒ』

身長191㎝ 金髪。
語学に堪能(英語 フランス語 ロシア語)
バイオリンの名手。
フェンシング (オリンピック選手)水泳 乗馬 馬術 射撃。
文武両道の男。
性格は非情 残酷 「冷酷の化身」と呼ばれる。
部下からは、「金髪の野獣」と渾名された。
「ヒトラーの絞首人」…トーマス・マンが彼を称して言ったことばだ。
「若き死神」「死刑執行人」「暗殺者ハイドリヒ」呼び名は多岐にわたる。


1941年9月23日、ハイドリヒはヒトラーによりドイツの支配下にあった、ベーメン・メーレン保護領(チェコ)の副総督に任ぜられた。
事実上の総督だった。
当時高まりを見せていた抵抗運動の撲滅を図って、全土に戒厳令を布告し弾圧を強化していった。

イギリスに亡命していたチェコスロバキア政府は、密かにハイドリヒの暗殺を計画した。
亡命したチェコ軍人の中から精鋭10人、選抜されて7人、選ばれた彼らは「エンスラボイド作戦」を実行する。

「ハイドリヒを撃て」は彼ら七人の精鋭がパラシュートでチェコに侵入。
ナチスの野獣を襲撃し 結果壮絶に死んでいくまでを描く。

1942年5月27日、ハイドリヒ襲撃。

一人の銃が装弾不良で発弾できない為、もう一人が改造手榴弾をハイドリヒの車めがけて投げつける。
彼の傷は表面だけに見えた。

X線検査の結果、肋骨骨折、横隔膜破裂、膵臓に異物混入、重傷で手術が必要。
ハイドリヒは、チェコの医者を拒みドイツから医者を呼んだ。

異物は体内から取り除かれたが、8日後の6月4日の早朝死亡。

死因は敗血症だと言われている。
※手榴弾には、イギリスが開発していた生物兵器のボツリヌス菌がひそかに仕込まれており、この神経毒により死亡した…
という説もあるが、確証はない。

バンゼー会議からおよそ4ヶ月後、野獣は死ぬ。
自分専用のメルセデスをオープンカーに仕立てて、乗っている人物が誰であるのか敢えてわかる様にすること。
市民に対して警戒していないというアピールに努めた結果の末路だ。

暗殺後、ナチスの凄まじい報復がチェコ社会を覆う。

ハイドリヒの死後、ナチスドイツは益々の泥沼にのめり込んでいく。



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