今日は広島に原爆が投下され、大量無差別殺戮が行われて69年を迎える。
過日、長崎を訪れた生徒の死に損ない発言が物議を醸しているが、原爆投下の上空からの映像は建物が殆どなく、津波の後の東日本災害の被災地に酷似していて、そのワイド写真には人影はまったく映っていない。
悲惨な記憶が単なる記録になりつつあるのを感じる。
あの戦争自体が記憶ではなくて、平板な歴史年表として教科書に記される。
人の目線も第三者的で、上空からの鳥の目線で当事者意識は希薄になりつつあるのではないか。もともと始めからあったかどうかも疑わしいが・・・。
この写真は、従軍報道カメラマンであったジョー・オダネルが長崎で撮影した、一見無邪気な写真である。
裸足で弟とおぼしき子供を背負った少年が気を付けの姿勢で立っている。
でも、「焼き場に立つ少年」と題され、背中の子はすでに死んでおり焼き場の順番待ちであって、すでに焼かれている死者に対し姿勢を正しているのだと言われると、俄然事の重大さに気づかされる。
この気付きこそが、人の目線であって少なくとも2人称か1.5人称の関係の目線ではないかと思う。
この写真に関しては、以前ブログにUPしたことがあったが自分の肝に銘じるため、原爆忌及び終戦日にはUPし続けたいと思う。
せめて他人の心をおもんぱかる配慮くらいは持ち続けたいと思うからだ。
