朝から曇っていたが、10時ころからポツリポツリと降り出した。
気温は現在の室温で24℃もあって、動き回らなければ快適な家籠り。
さて、先日気になる所に2箇所に出かけたのでご紹介。
▼(気になる木)
かなり昔のCMで♪この木何の木気になる木・・・というのがあった。
それと似たような木が新聞に掲載されて、かなり気になっていたので出かけてみた。
本田技研熊本製作所の北側道路を500m~1Kmくらい走った道路脇にあった。
「多富の樹」と命名されているらしく、富や幸福に直結しそうな雰囲気が漂っていた。
駐車箇所に制限を受けるので、何やら樹の根元にあった説明板のようなものを見ることも出来なかった。
いわゆる・・はいパチリ・・さようなら状態。
さて、その次の気になるものは・・
▼(陣の内城趾)
そもそも、このような城跡が有ることさえ知らなかった。
国指定の史跡になったことで、これまた新聞に紹介されて知った。
パンフレットで見る限り甲佐町の町外れの平坦な城跡にみえる。
甲佐町は我が町から間に御船町を挟んだ位置にあり、距離的には近い。
ところが、行ってびっくり玉手箱。
何と古代山城風で狭い離合に心配するような道を中腹まで登ると、道路脇に小さな駐車スペースがあるばかり。
それ以降は、テクテク歩いて登る。
この段階で、お城好きの相方もゼ~ゼ~と顎を出し始めた。
▼(徒歩で登る途中からの遠望)
なんでこんな場所に城を造ったのかと、ブツブツ言いつつ登る。
相当に古い古代の山城かと思ったらどうやら発掘調査の結果は「小西行長」の城であったらしい。
なんで小西行長がこんな場所に城を築いたのかは後で調べることにしよう。
▼(頂上付近の土塁に囲まれた平地)
写真は沢山あったのだが、似たような風景で土塁の内側は意外と平坦になっていた。
説明板等はなく、何処が本丸跡だの大手門だのはまったく判らないので、空想の世界を漂う。
まあ彼方こちらの城跡は見ているので、大凡の見当はつくがこれほど公開資料に乏しい城も珍しい。
関ヶ原合戦の時代に、東軍に味方した清正によって滅ぼされているので、歴史の闇に紛れてしまったのだろう。
さて、車を駐めた位置まで坂道をテクテクと歩いて下る。
そこで、さらに気になるものに遭遇。
道路の直ぐ脇に、やたらと山肌の土が向きだしになったり、所々に穴があったりする場所があった。
昔なら自然の山で山芋を掘るなどということはよく見かけた。
ただ自然薯の堀り方にもルールがあって、やたらと土手を崩したりせず掘った穴も放置せずちゃんと埋め戻す。
それが私の祖父の時代の自然薯掘りのルールだと子供の頃に教えられた。
どうやらこのルール破りは野生の猪の公算が大である。
タケノコや野草の新根の柔らかいところなどが狙いらしい。
放置しておくと猪によって、城跡は二度目の落城を招きかねない。
野生動物との関係性は、人間の方に問題がある場合が多いが、ここは一つ穏便にお願いしたい。
気になる木から始まって、気になる城跡に最後は気になる猪で〆となった。
「縄張りに入ればウグイス谷渡り」・・・しろ猫
雨も止んだようだし、この隙に買物にでも・・