明日遠い国へ旅立つという人に、
心穏やかな時にすべき仕事などを持ち掛ける人がいるだろうか。
急用で忙しい人や、嘆き悲しむことのある人は、
他の事など気に掛けないし、
他人の悲しみや喜びにだって関心を持たない。
心穏やかな時にすべき仕事などを持ち掛ける人がいるだろうか。
急用で忙しい人や、嘆き悲しむことのある人は、
他の事など気に掛けないし、
他人の悲しみや喜びにだって関心を持たない。
だからと云い、それを恨み非難する人もいない。
年取った老人や病気の人、さらには世捨人には、
これと同じことが言えるだろう。
これと同じことが言えるだろう。
社会は儀式が多いけど、どんな礼節だって避け難いものなどない。
だから、世俗世界で起こる世間体や義理を断れないで付き合ってしまい、
また、それを必ず果たそうとしたなら、
自分のやりたいことが山ほどあると云うのに、
体は疲れるし、心安まる時もなくて、
一生を些細な雑事に妨げられ虚しく終わってしまう。
「日は暮れたが前途は遠い。しかも自分の人生はもう先が見えている」と云う句もある。
この時こそ世俗との縁を絶つ時である。
だから、世俗世界で起こる世間体や義理を断れないで付き合ってしまい、
また、それを必ず果たそうとしたなら、
自分のやりたいことが山ほどあると云うのに、
体は疲れるし、心安まる時もなくて、
一生を些細な雑事に妨げられ虚しく終わってしまう。
「日は暮れたが前途は遠い。しかも自分の人生はもう先が見えている」と云う句もある。
この時こそ世俗との縁を絶つ時である。
信義をも守るまい、礼儀を気にすることもしない。
こんな気持ちを理解できない者は、気狂いとでも言えばいい。
また、正気を失っているとか、情けないと思うがいい。
人に謗られても、もう苦にはしまい。
誉められたとしても聞きいれまい。