昭和初期の書籍に紹介される柳生十兵衛 きちんと両目がある
(『人と剣』 国会図書館)
(『人と剣』 国会図書館)
江戸初期の剣豪柳生十兵衛は、片目に眼帯をつけた隻眼の剣豪として知られている。
徳川家に剣術指南役として仕えた柳生家に生まれ、早くから剣術の才能を発揮していたという十兵衛。
時代劇では柳生家最強の隻眼剣士として描かれることが多いが、
実は十兵衛が隻眼だったと伝える同時代の史料は存在していない。
「隻眼の最強剣士」は十兵衛を格好よく脚色する為の創作である可能性が高いのだ。
徳川家に剣術指南役として仕えた柳生家に生まれ、早くから剣術の才能を発揮していたという十兵衛。
時代劇では柳生家最強の隻眼剣士として描かれることが多いが、
実は十兵衛が隻眼だったと伝える同時代の史料は存在していない。
「隻眼の最強剣士」は十兵衛を格好よく脚色する為の創作である可能性が高いのだ。
兵法書を著し武芸に秀でた十兵衛は、若い頃に3代将軍徳川家光の怒りに触れて謹慎を言い渡された。
その間12年、剣術修行に身を入れていたと十兵衛自身は記録に残しているが、
いつの間にか諸国を巡って武者修行や山賊退治などをしていたという逸話が広く認識されるようになってしまった。
そうした逸話の一つとして、父との稽古中に片目を失明したというものが伝えられ、現在に至っていると考えられる。
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