若い頃、漱石の小説に出てくる女性たちがあまり好きになれませんでした。
「こころ」のお嬢さんは、二人の男の間で態度はっきりさせず、一人を自殺に追い込むなどなど~~。
「どっちが好きなのか、はっきりしてよ」と、中学か高校の感想文に書いた覚えがあります。うーん、子ども
「草枕」の女性は「二人の男に愛されたらどうする」と聞かれて「両方とも男妾にするばかりですわ」と言ってのける。
漱石の作品は、二人の男に愛される女性が多いですね。
「それから」の美千代もどちらかといえば「こころ」と同じタイプ。
藤谷美和子さん、可愛かった!
「百円でポテトチップは買えますが、ポテトチップで百円は買えません」(わかる人はわかる?)
悪女が好きなのは、漱石が幼い頃、母親から愛されなかったという説もありますが、これまでの女性像の枠からはみ出ているがゆえに不幸になる女性に、自らを投影していたのではないでしょうか。
作家になるまでは、かなりのビョーキぶりですから。
女性用のきものを着るとか~~。
それはともかく、漱石展では漱石の好きな女性を絵として見ることができました。
その一部を紹介してみます。
ウーターハウスの「人魚」
「三四郎」の美禰子が三四郎に見せる絵です。
男を誘惑しては破滅に誘い込むという人魚伝説。
きれいなのでアップも。
ミレーのオフィーリア。
「草枕」では、さきほどの女性にオフィーリアを重ねています。
女優、ケイト・ブランシェットです。似ていますね。
この人も悪女が似合う?
漱石の奥様、鏡子さまも悪妻として知られています。
朝に弱くて朝ごはんを出さないとか、「でも不機嫌で朝ごはんを出すより、よく寝て機嫌よく家事をしたほうがよくはなくて」
なんて、いいですよね。
でも漱石はそんな妻をとても愛していたようです。
このくらいの悪妻ぶりなら可愛いですよね。
小説は浮世とは違うもの、面白い小説のほとんどは悪女が登場しています。
物語のなかくらい悪女ぶりを楽しみましょう、と年を重ねた紫苑は思うのでした。
悪女苦手な人も悪女な人も
応援ありがとうございます
「それから」「こころ」、若い時はただムカムカ(笑)しながら読みましたが、年を重ねてから読むとまた違った感情を覚えて、印象深かった覚えがあります。
島田雅彦の「彼岸先生」を合わせて読んだりして。
それにしても、漱石がそんな危なげな人だったとは知りませんでした!
てっきり品行方正な方と…。
そもそも悪女は美しいに決まってるし、
自分が美しいと分かっているから
悪女にもなれるんですよね。
私が男ならやっぱり悪女に惹かれて
振られるんでしょう。。ヽ(^o^)丿
フランス文学にも、ファム・ファタールはよく登場しますよね。宿命の女との関係は、「見てしまった」というような完了形がよく
用いられていて、前もって二人が宿命的に選ばれていて、互いの存在は運命的であるというように描かれています。
漱石の本、いつか読んでみたいと思います。
なんだかんだ言っても男性は
悪女がお好きなようで[E:think]
私みたいに分かり易い女は
面白みのかけるのでしょうね[E:coldsweats01]
新潟県の長岡市に、漱石の娘さん(筆子さん)がお住まいです。
(今、生きていらっしゃるかどうか、わかりませんが)
漱石のお弟子さんの松岡譲さんのところにお嫁にこられて、松岡筆子さんになっていらっしゃいます。
人魚の絵、きれいですね。
こわくて、きれいな感じ。
悪妻は・・・
漱石の奥さまが悪妻なら
私も主人にとって、家事をしない悪妻ですわ。
わが意を得たり、のコメントありがとうございます[E:up]やはり、ね。同じように思う人いて嬉しかったです。「好きではない」は大人しい表現で、私も「むかむか」。島田先生!懐かしい、これは未読なんです。読みます!
「ファムファタール」、直訳すると「運命の女」ですよね。「出会ってしまった」がゆえに運命が大きく変わってしまった。「マノン・レスコー」なんか?私も、それをどうして「悪女」と意訳するのか不思議に思っています。意訳した人にとって、運命の女は、平穏な生活を変えてしまうという気持ちがあるからでしょうか。こういうこと考えると面白いです。
いえいえ、現実の生活では、男性は悪女は敬遠されるのではないでしょうか。最近は特に。それに悪女でないほうがシアワセになれます。
そうなんですか。漱石のお嬢様に漱石のこと聞きたいですよね。本になっているかもしれませんね。調べてみます。ありががとうございます。