年甲斐もなく「恋バナ」?
この話題、ちょっと迷いましたが~~。
このところ若い人に混ぜてもらって
「婚活」の話を横で聞いていて思ったこと。
第一次結婚式ブームが20代で過ぎて、
次は30代での結婚、婚活話となるわけです。
「もっといい人現れる」症候群って、
結局は「運命の相手」は現れるのかって
ことですよね。
条件もあってて、性格も好みで
自分に好意を示してくれて、
共通の趣味がある~~とか?
ふ~~ん、こんな映画があったのですね。
実はいるんですね。
そしてそういう方に出会うのは
とてもカンタンとかのアドラーは
申しております。
あなたのそばにいるあの人がそう!!
まさに知人の彼女のケースだ。
「もっといい人現れる」症候群は
気になってはいても
付き合ってと言う勇気がでないから、
「べつに~~」「~~どうして私が」と
自分に言い聞かせていると、
アドラーなら言うでしょう。
運命の人に出会う方法、
それは~~。
自分がこの人こそ
「運命の人だ」と自分で決めること。
アドラー本の若者は反論、抵抗しています。
「そ、そんなバカな」と。
「~~実際に運命の人に出会った人を
私は知っていますよ」
はい、たとえば街角で何度もぶつかるとか、
落としたハンカチを拾ってくれた人とか~~?
元アナウンサーの中村江里子さんは、
同じ人と何度も遭遇し、相手のフランス男性は
「こんなに何度も遭遇するのは運命に違いない。
結婚を申し込まないのは愚かだ」と
プロポーズしたそうです。
羨ましいですよね。
アドラーによれば、
それは彼は彼女を「運命の人」と
決めたから、ということになります。
江里子さまも、「この人が運命の人と
自分で決めた」のでしょうね。
まあ、その方がイケテないおっさんだったら、
江里子さまもお断りになるでしょうね。
逆にいうと、
「運命の人に出会えたから」
ラッキーなのではなく、
「この人は運命の人だ」
と思えたことがラッキーなのでしょう。
この微妙な違いがわかるかな~~。
う~~ん、
うなっていたら、
こんな素敵な言葉を思い出しました。
伊坂幸太郎さんの小説、
「アイネクライムナハトムジーク」
「たとえばだな、
ハンカチを落として云々で出会って、
これは劇的な出会いだって
盛り上がるかもしれないけど、
その女が素晴らしい女かどうか
後にならないとわからないじゃないか、
その人がどんな人かは運不運~」
まあ、これは出会い方は関係なく、
どんな結婚でも言えること。
「ただ出会いが劇的だと、そこにばかり
目が言ってもっと大事なことがうやむやに
なるんだよ」
わかる、わかる、この年になると~~。
「~~だから出会い方なんてどうでもいいんだよ」
そしてこう続ける~~。
「~~あとになって、あの時、そこにいたのが
彼女(彼)で本当によかった。って思える、
それが一番すごいことなんだよ」
確かに。
言い方は違うけど、
アドラーと共通するものがあります。
それは、
自分の結婚や運命を何かや誰かに
託すのではなく、
「運命の人は自分で決める!!」
「自分の運命は自分で決める」!
「この人がそばにいてくれて
よかった」と思えるようになるために、
自分ができることはなんでもやる!
自分の運命、自分がどんな人生を、
どんな風に送るのか、送りたいのか
運命を自分でコントロールする。
人が一番自信が持てて、幸福を感じるのは
自分の人生を自分でコントロールしている感覚です。
運命の人は「神様」任せではなく、
あなたのそばにいるかも。
いまあなたのそばにいる方も
粗大ごみなどといわず、
運命の人、なのだと思いなおして
見直してみてはいかがでしょうか。
ダメ?
どこどこ、私の運命の人~~、
ああ、もう先に天国に逝ってるって??
というわけで、
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