心象風景 絵描きブログ

美術のこと、旅のこと、いろいろを心象風景を描くようにつづる絵描きの雑記。

「猫の手研究所」通信 No.9

2019-10-31 22:39:59 | 記憶のかけら

わが研究所に猫がいつくようになってから、いろんな人が立ち寄るようになった。

居候から家主へと昇格した猫は、窓の外を見ながら、来客の話に耳をすませている。

今日は隣町の肉屋さんが来ていた。

「へんな客がいてね。いつも小犬を抱いてウィンナを少しだけ買うんだ」

店は休みなのか、それとも誰かが店番をしているのか、どうでもいい話が続いた。

「この子に食べさせるんですよ、とわざわざ言うんだよ。なんでだろうね」

少しだけ買うのが恥ずかしいからなのか、思ったままを言う人なのか。

買う理由はどっちでもいいようだが、店主はどこに引っかかっているんだろう。

「うちで売ってるウィンナは、人が食べるほどのものじゃないって言いたいみたい」

それは思いつかなかった。なるほど、売る側のプライドってやつか。

でも、大切なかわいい犬に食べさせるものなら、厳選しているということもある。

肉屋の主人は、犬の食べ物は人の食べ物に劣ると考えているらしい。

この話を猫がどう聞いているのか気になって、猫の方を見た。

猫は相変わらず窓の外を向いたまま、耳だけピンと立てている。

そのまま じっとしていてくれ。肉屋の主人を引っ掻いたりしないでくれ。

猫が突然立ち上がった。慌てたけどすぐわかった。窓の外、上空を鳥の群が流れていった。

🐱 鳥の動きは刺激的だよ。人の思惑なんて 興味ないな。


雪らしき輝き

2019-10-30 23:59:07 | 日記

久しぶりに自宅から見た富士山頂。朝日を浴びて輝いている。すっぽり雪を冠っている。

年々、見える富士山が小さくなる。それでも、見えるだけありがたい。

富士山の向こうに、母がいて、友がいる。母や友の住む街の空を臨んでいる気になる。

富士山の姿は季節を見せてくれる。真っ白な雪の帽子は冬の近いことを知らせる。

富士山の向こう側からこちら側に来たのは25年前。

いずれ戻ると思って過ごしてきた。でも、もう戻らないかもしれないと思うことが多い。

土地に思い入れがあるわけではない。どこにでも住めると思っている。

ただ、過ごす時間は人とのつながりを変化させる。

若い頃はそんな「しがらみ」から逃げたかった。今、しがらまれたい思いもある。

自分の弱さを悟るということかもしれない。

だからといって、弱さを否定するものでもない。弱さを愛おしいとも思う。

結局、いつもいつも自分のことを大好きらしい。これはちょっと恥ずかしいな。


小さな紅葉

2019-10-29 23:31:21 | 日記

庭のマンサクとブルーベリーの紅葉。もうしっかり秋模様。

冬用の布団を干した。途端に雨。そして晴れ。布団は雨に洗われてふかふかになった。

洋服の方はまだ冬用を出していないので、ひたすら重ね着。

インナーを重ね、アウターを重ね、着心地は最悪。

年内の日程も詰まってくる。年末まで秒読み。「年末」を聞くと気が急く。

ここ数年、ゆっくり旅ができていない。たぶん、このまま終わるんだろうな。

時間のある時は気づかない。「出来る」時はほんとうに短い。

紅葉たちもそう言っているような気がする。「こんなに早く終わるとは・・・」と。

ゆっくり旅は無理でも、小旅ならできる。立寄り旅、日帰り旅を楽しもう。

旅への憧れはつきない。庭の虫の気分になれば、結構な旅ができそう。


かぼちゃ色の空

2019-10-28 23:37:25 | 日記

夕陽の空色は大好き。橙色の空と思っていた。

ところが、この頃この色が「かぼちゃ色」に見えてきた。そう、ハロウィンの影響だ。

昨日、頭をかぼちゃにして歩いている青年を見た。街にはかぼちゃ顔が氾濫している。

色の認識って、こんなもんだ。

そもそも「橙」はあのみかん。「空色」「土色」「金色」「水色」・・・

今は見なくなったのは「肌色」という色名の絵の具。

空や水と違って、肌の色は限定不可能。なくなっていることも納得できる。

厳密に言えば、空も水も場面場面で異なる。ただ、色名にはそれを言わしめた環境がある。

消し炭を知らなければ「けしずみいろ」という名は生まれない。

「たまむしいろ」は、玉虫という虫の存在を知った上でそれを見なければ生まれない。

かつて、玉虫厨子という工芸品に付けられた名称で、玉虫というものがあると知った。

そのとき、玉虫厨子のどこが玉虫でできているかはよくわからなかった。

後に、玉虫を貼り付けた部分はほとんど残されていなかったと知った。

毎日のようにかぼちゃを見ているこの時期は、夕空も「かぼちゃ空」になる。


菊の季節

2019-10-27 23:29:31 | 日記

駅構内に突然華やかなコーナーが出現。「新潟弥彦菊まつり」の紹介展示。

駅構内で各地の花が見られるけれど、始まったばかりは花の状態が最高。

少しずつかたちが崩れて、いつのまにかなくなっていく。「なまもの」は大変だ。

この菊の展示を見て、「あれ? 菊人形じゃないんだ」と思った。

菊人形、あまり好きではない。お城の展示だと、殿と奥方、武士がほとんど。

着物の形に針金で誘引された菊はともかく、顔や手はつるっとしていて気持ち悪い。

体全体を菊で作られた動物のほうが納得だった。

今回のは、懸崖作りの小菊はシンプルな形ですっきりしている。気持ちのいい展示だ。

毎日の水やりや花がらとりなど、管理は誰がするのだろうか。新潟から来るのかなぁ。

こちらはただ楽しんでいるだけで申し訳ないけれど、なるべく長く楽しめますように。