テープルの上に無造作に置かれた2枚の折り紙。
今月は折鶴を見る機会が多い月。
色とりどりの紙が何千羽もの鶴になる。
子供の頃は、あの大量の鶴の束が苦手だった。
何かの怨念がこもっているように見えていた。
後に、それを折るひとりひとりの気持ちがわかるようになった。
鶴以外にも単調な平面が立体に変化しているのは面白い。
ここから何が生まれるのか、可能性が大きく広がる。夢が広がる。
テープルの上に無造作に置かれた2枚の折り紙。
今月は折鶴を見る機会が多い月。
色とりどりの紙が何千羽もの鶴になる。
子供の頃は、あの大量の鶴の束が苦手だった。
何かの怨念がこもっているように見えていた。
後に、それを折るひとりひとりの気持ちがわかるようになった。
鶴以外にも単調な平面が立体に変化しているのは面白い。
ここから何が生まれるのか、可能性が大きく広がる。夢が広がる。
以前にも紹介したシリーズ。
35年前の先生のエッセイのひとつ「幸せは豪華な儀式と比例するか-結納品」。
その中に先生らしいなぁと思いながら読んだ部分を抜粋する。
「こより」の華麗な「つくり物」である。よくぞつくった。ちよっとした芸術品だ。と急に本気で
眺めると、だが、いま一息物足りない。光りすぎで、しかもどこか手抜きの感じがある。・・・
Yさんのイラスト。整理で再誕生。
戌年のてぬぐい用に描いたものに背景をつけたと聞く。
何年か前まで、干支のてぬぐいを作ってたなぁ。
ひと巡りしたところで新しいデザインを作らなくなってる。
この暑い時期に準備を始めていたのを思い出す。
そうなると、今年が何干支だったかも忘れている。えっと・・・
巻末の「参考文献」からも、坂本先生の場広い知識が見て取れる。
英語とフランス語はかろうじて見分けられるけど、それ以外は ???
先生から預かった原稿をデータ入力した時のことを思い出す。
10年前、今より多言語入力が厄介だった。
パソコンの翻訳機能もまだまだで、右往左往した。
それもこれも こうして形になると 懐かしい思い出。感慨深い。
第12章は「人体」。解剖図がいろいろ紹介されている。
解剖図が美術かと驚いたが、西洋でも日本でも、解剖図には画家が関わっている。
この章は美術史では馴染みのない言葉がたくさん出てくる。
解剖図自体、気持ちが悪いと思われるかもしれない。
でも、ものをよく見て描き止めようというのは、景色も人体を同じ。
先生のいう「その外側」として、最も相応しい章かもしれない。