心象風景 絵描きブログ

美術のこと、旅のこと、いろいろを心象風景を描くようにつづる絵描きの雑記。

寺山修司展

2018-11-16 21:56:38 | 日記

神奈川近代文学館で開催中の「寺山修司展」。

本や日記、手紙、自筆原稿、写真など、膨大な数の展示物で会場が埋まっていた。

ことばにこだわる寺山修司のイメージを、会場のいくつかの空間に造っている。

天井桟敷の写真の垂れ幕をくぐるようにして、展示場を移動する。

映像も数カ所にあり、パワーを感じる展示だった。

この文学館の建物の柱にも修司のことば。

周辺の公園にもこんなことばの何かがばらまかれている。宝探しのよう。

寺山修司のことはぼんやりしか記憶はないが、強烈な人生だったことは知っていた。

会場には、その人生に感動した人たちが訪れ、食い入るように展示を見ていた。

それほどの影響力があったのかと改めて驚いた。

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身近で遠いもの

2018-11-15 21:11:02 | 日記

寄席の看板。一目で寄席のありかがわかる。寄席文字ならでは。

ところが、この文字読めない。とくに小さい文字のは難しい。

「寄席文字」の辞典というものもあるらしい。それ、いったいどう使ううんだろう。

辞典で予習しておいて、看板ををすらすら読んで通ぶりを披露するのに役立つとか ? 違うな。

辞典を使うのは看板をつくる側だろう。一目をひくことは自ら実証済み。

また疑問。これ、相撲の番付の文字と一緒かなぁ。江戸文字ってのもある。

いろんな書体があるのは楽しいけど、読めないときはどうしたらいいのか。

やっぱ、諦めるしかないか。雰囲気を読むってことでいいことにしよっかな。

そもそもだれもが読めなきやいけないというものでもない。なじめば読めるのだから。

雑貨店が包み紙をわざわざ英字新聞にするのは、なんとなく舶来イメージが好ましいからだろう。

江戸の筆文字が、もはやそのようなイメージ主体の文字になりつつあるのか。

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胡蝶蘭の滝

2018-11-14 22:38:46 | 日記

白糸の滝を思わせる。この光景に出会うと、何の店が開店したのかと見てしまう。

それが目的なのだから、みごとにはまっている。

自分の個展でも胡蝶蘭をいただくことはあるが、滝になったことは一度もない。

最近は白の胡蝶蘭が葬儀にも使われてもいる。

かつて、法事といえば白と黃の菊だった。

そういえば、黄色の胡蝶蘭は見てないなぁ。

祝いには紅白を使うので、黄の胡蝶蘭の開発はすすまないのかも。

金色の胡蝶蘭、なんて、金の仏界みたいでいいかもね。

お坊さんの衣装がめだたなくなって嫌がられるかな。

こんな発想自体、不謹慎と叱られそうだ。因みに自分の葬式は無くていい。

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角砂糖のこだわり

2018-11-13 23:33:24 | 日記

お気に入りの珈琲店が近くにできたので、さっそく行った。

深煎り豆で濃くいれたコーヒーに角砂糖が、決まりのスタイル。

創業者の想いをずっと守っているのだそうだ。

食べ物が豊かでない時代の角砂糖の思い出があるらしい。

創業者の想いが大切に守られていることが興味深い。

周囲の人たちに尊敬され、愛されていたのだろう。

そんな創業者に恵まれたら仕事も頑張れる。

そんなことを思いながら、コーヒーに角砂糖をひとつ溶かした。

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燃えるゴミ ?

2018-11-12 23:07:21 | 日記

ソフトクリームを食べられるコーナーのゴミ箱。そこにこんな貼り紙がある。

「燃えるゴミ」とは燃やすゴミのことだろう。

「burn」には、燃える・燃やすの意味があるようだが、「燃える」はどうなんだろう。

「燃えない」は、回収して再利用のために燃やさないとか、燃やすのは危険ということだと思う。

「燃えるゴミ」と「燃えないゴミ」の区分には謎が残る。

ゴミを回収する側は、それを説明するつもりはないのだろうか。

ゴミを出す側も、ゴミのその先は気になる。

説明してもわからないと思われているのだろうか。だとしたら残念。

ゴミの問題はまじめに対面すべきことだろう。

家電の修理のさいに「直すより買った方が安いですよ」とはよく聞く言葉。

当然、壊れた家電はゴミになる。これは燃えないゴミか。

高い安いは変動する基準。それを理由にするのは情けない。

今の家電は一定期間で壊れるようにできている、という話もある。なんだそりゃ。

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