1年を12月と考えると、6月で前半が終わる。明日からは今年の後半ということになる。
4月からの年度を考えると、1年は始まったばかりだから、折り返し点の間隔は薄い。
植物は、芽吹きしたあとの成長を始める時期。森は新緑から深緑へと移り変わる。
緑の中を歩くこと、最近少ないなぁ。気持ちが痩せちゃうな。
葉っぱにまみれて葉っぱの匂いに酔いしれていたい。
葉っぱ好きの本領を発揮する季節を満喫しよう。それがいつか絵の中に甦る、はず!
1年を12月と考えると、6月で前半が終わる。明日からは今年の後半ということになる。
4月からの年度を考えると、1年は始まったばかりだから、折り返し点の間隔は薄い。
植物は、芽吹きしたあとの成長を始める時期。森は新緑から深緑へと移り変わる。
緑の中を歩くこと、最近少ないなぁ。気持ちが痩せちゃうな。
葉っぱにまみれて葉っぱの匂いに酔いしれていたい。
葉っぱ好きの本領を発揮する季節を満喫しよう。それがいつか絵の中に甦る、はず!
雨は嫌いじゃない。むしろ好きなくらい。でも、空が恋しいくらいに雨が続く。
少し空が明るくなって、空の青みが見えたと思っても、霧雨が残っている。
傘をさして、フラメンコのレッスンに通った。
エアコンが故障していた。音もれを防ぐために完全密閉のレッスン場。
梅雨時の蒸し暑さ。エアコン無しの練習は危険。部屋を変更することになった。
床を傷つけないためにボードをしく。しいたりはずしたりを繰り返さなくてはならなかった。
実際の練習以上に環境設定にからだと時間を使った。からだのためにはよかったかな。
ドタバタジタバタしながらアレグリアスを練習中。何年で完成するのか。
先生は一年半というけれど、もっとかかるような気もする。
大変なのはわかっていながらも、難度の高い踊りを自分たちで選んでしまう。
できるできないは別として、素敵な踊りをめざしたい。梅雨空に負けずにステッブを踏むぞ。
蓮とホテイアオイが陶器の中に育っている。火鉢のように見える。
火鉢を池に見立てて庭に置いているのはよく見かけるけれど、埋めてあるのは初めて。
見ていると、このほうがしっくりするような気になってきた。
冬のしつらえの火鉢が夏の水草をたたえているというのもいいもんだ。
同じ火鉢でも、金属製のものはよい使い方がわからない。
金属の火鉢を入れる円形の木製のものは、ゴミ箱にして使っている。
ちょっと気が引けるけど、大きさとしては最適。
箱火鉢を実際にギャラリーで使っているところがある。まさに冬の佇まい。
冬の個展では、そこでお餅を焼いてくれた。朝、火をおこすのが大変だとも聞いた。
ギャラリーオーナーさんのご実家にあったもの。五徳と火箸も。夏はどうしているのだろう。
日本家屋は家具調度品だけでなく、建具も季節で入れ替えをしていた。
季節感を大切にするのは、そんな必然性からだろう。
今、エアコンは使っても火鉢は使わない。そもそも火鉢の置き場所がない。しまう場所もない。
いつか、「火鉢」もなくなるのかな。俳句の季語としてくらいしか残らないのかも。
ネジリバナという名前を背負って、本当にみごとにねじれて咲いている。
ねじれ具合はそれぞれ。花付きもそれぞれ。これはなかなかのねじれっぷり。
このネジリバナ、根っこがものすごく太い。地上の姿からは想像できないくらい。
そのがっしりした根っこがあるからこそ、しゅるしゅるとまっすぐ伸びていける。
まさに、縁の下の力持ちだ。
すくすく育つのも、のびのび力を発揮できるのも、陰の力があるからなのだろう。
シンクロナイズドスイミングで、水面下のカメラが映す映像に、いつも感動する。
大きく飛び上がって空中を舞う人を、水面下で支える人がいる。
二人が、見えないように、完全に潜って、土台となっていた。
その支えを信じて飛び出す側にも感心する。絶対の信頼関係があるのだと思うから。
チームプレーは信頼関係を築かなければうまくいかない。どちらもすごい。
チームプレーは苦手だけど、心からの拍手は送りたい。
地上の花にも、地下の根っこにもなれないけど、せめて、そのあたりの土塊くらいにはなりたい。
歩道を歩いているときは、ガードレールによって車から守られていると感じる。
車道を車で走っているときは、ガードレールで人の飛び出しを防いでいると感じる。
そんなガードレールをゆっくり見てみたら・・・こんなに鋲(ボルト?)があるんだ。
レールとレールをつなぐものと、レールと支柱をつなぐものが必要だからか。
何キロもこれを繰り返しているのかと考えると、設置の手間がどれほど大変かがわかる。
いろんな立場の人の安全を守るため、部品ひとつとしておろそかにはできない。
道路工事は夜間にすることが多い。暗い所での作業はより難しいことだろう。
ひとつの螺子にも大切な役目がある。小さなものたちに、あらためて感謝。