去(いた)し十月四日(旧八月十五日)の籠神社、観月祭は、真に大事な祭りでありたぞよ。日向の高千穂の夜神楽も括(まね)き奉納いたしたが、日向とは、日に向かう、向津(むかつ)の意であり、天照国照神の対偶神、橦賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)の治(しら)す国でありたぞよ。
向津媛は瀬織津比売とも称し、水氣の神であり、滞津速川(たぎつはやかわ)の水の流れで現の世の諸々の罪穢れを大海原に持ち出でて、祓い浄める祓戸の神の筆頭であり、大海の龍宮乙姫とも現れるぞよ。
大海系の流れを司る宗像神と同体であり、住吉の神とも深い関わりがあるのじゃぞ。
その時々のはたらきで名は変われども、撞賢木厳之御魂天疎向津媛の神、御現れの時となり、十月四日満月の夜、籠宮に天照国照神と並び出でます、大事日でありたぞよ。
日の出の神と龍宮の乙姫、連れそうて世の立て直しに働くと申してある事と同じ理であるぞよ。
向津媛の神は、これまで封じられて居りたから、龍宮の名で働きておりたぞよ。
天照国照神とは、原始(もとはじ)めの日輪の神であり、その対偶の神が撞賢木厳之御魂天疎向津媛神であり、月神とも現れるぞよ。
天照国照の神は、人格神として彦火明命(ひこほあかりのみこと)と生(あ)れ、向津媛は、宗像の市杵島媛命とも現れるのであるぞ。
日月の元、始めの神がそろいて守護なせる世となりたのであるぞ。思凝霊(しこりがみ)が宗教思想で塗り固めた世を一度に立て替える事は仲々むずかしいが、世の元からの神々が、因縁の御魂の神民に憑(かか)りて、世を掻きまぜ掻きまで、次第に強い者勝ちの今の世を、切り崩して誠の通る世といたすぞよ。
この酉の年は大きな切り替え、改革の始まる年であるから、○○殿には、六甲の神界が後押しをいたして、この度の選挙では、これまでにない渦を巻かせてあるぞよ。
荒事無ければ、新事な起こらぬと申してあるが、三千年この方の体主霊従(からたま)の世を霊主体従(ひのもと)の元の道に立て直すのは、仲々至難であり大望の事であれど、それを為せねば、地球も人類も滅びてしまうから、神界の指図通り動いてくれる御魂の者が目醒めたら、その者等を使いて一つ一つと、世を立て直し、神理に適いた世に、何年かかりても改めてまいるぞよ。
世の始めからの約束で人民に任せてある現の世であるから、神が、くどく申しても人民の改心がならねば、神意も実らぬから苦心いたすところであるが、必ず実らせてまいるぞよ。
神戸の六甲の山とは、元は向津峰(むかつみね)と申し、天疎向津媛(あまさかるむかつひめ)の神の鎮まる山であり、向津が武庫となり、近世から六甲の字をあてたのであるぞ。
瀬織津比売と白(もう)す、天疎向津媛の神は水氣の神であり、清廉潔白、不正は許さぬ厳しき神であるから、その昔、時の体制から封じられ祓戸の神の一柱とされたのであるが、時節まいりて、表に現れて神意にそれぬ間違いは、厳しく立て分けてまいるから、これまで、我が天下と自在に世を構いて来た思凝霊(しこりがみ)が、これまで通りに、権力金力で立ち向かいて来ても、そんな事には負けず、不正を正してまいるから、強い者勝ちの、今の体制も足下(あしもと)から崩れてくるぞよ。
厳しくも誠の者には、有り難き瀬織津比売の神であり、縄文時代、北の蝦夷も、南の熊疎も隼人も、西の新羅も、日本中の人民、特に海人族が信奉して来た神であるぞよ。
神示では、大海の竜宮乙姫と申してありたぞよ。
扨て、天照国照日の神と橦賢木の月の神、日月火水括り結ぶのが白山菊理比咩の神であり、世の元からの神々の恵みで、縄文時代は皆、平穏に楽しく暮らしておりたのであるぞ。
日本人の因縁(遺伝子)の因はここにあるぞよ。
いろんな神の名が出てややこしいと思うであろうが…その元は、現の世一切を司る国常立之大神の図りであり、動植物でも科は同じでも…姿形も名も変わる如く、日の神、月の神も、時とところで名を変へ品を変え、変代(へぐれ)つつ、何とかして、この地球や人類を守りたいの一心であるから、この事は、忘れずに歩みてくれよ。
肉の身は祖先より受け継ぎ、神の分霊(わけみたま)を授かりて、人(霊止)と現の世に生まれたからは、誠を持ちて御魂の使命の果たしに勤め、親神の元え帰れるかどうかが人生の大事であるから…神に生かされておる事に感謝せよと申しても、それぞれ背負う因縁の果たしや、浄化の為、誰も思うようにならぬ苦労があり、一節一節越えてゆく、勇気と努力のいるのが、人生の修業であるから。
様々な苦労に負ける事なく、希望の光りで、道を照らし、辛くとも悲しくとも生き通さねばならぬのであるぞ。…
月日の神が図りて時の流れを作り、人の身は、時の流れに船を浮かべて下る如しで、時々に身の囲(まわ)りの景色は変われども、それに迷う事無く、舵取り竿差ししたがう事無く、人生を全うなすのであるぞ。
偉い人になったり、金持ちになる事だけが人生でなく、貧しくとも、身を病むとも、魂の親神を信じ、如何に一所懸命、真面目に生きたかが、神の見るところであるぞ。
卑下もじゃが、驕り高ぶりの慢心こそ、最も慎むべき事であるぞ。
撞賢木厳之御魂天疎向津媛の神、目を光らせる世となりたから、誠の者には結構であるが、どんな偉い者でも、利己主義(われよし)は、許さぬ厳しき世とめぐりたのであるぞ。
この度、籠神社の、始めての観月の夜祭りが、日月そろいて世界の守護をいたす、新しき幕開けとなりたぞよ。
朝に日の出を拝み、夕べに月を拝み、日々大切に活きてゆけと記すぞよ。
言霊神也
ン
日月瑞色新
平成二十九年十月十日
天橋道士龍華斎 修聖拝写
向津媛は瀬織津比売とも称し、水氣の神であり、滞津速川(たぎつはやかわ)の水の流れで現の世の諸々の罪穢れを大海原に持ち出でて、祓い浄める祓戸の神の筆頭であり、大海の龍宮乙姫とも現れるぞよ。
大海系の流れを司る宗像神と同体であり、住吉の神とも深い関わりがあるのじゃぞ。
その時々のはたらきで名は変われども、撞賢木厳之御魂天疎向津媛の神、御現れの時となり、十月四日満月の夜、籠宮に天照国照神と並び出でます、大事日でありたぞよ。
日の出の神と龍宮の乙姫、連れそうて世の立て直しに働くと申してある事と同じ理であるぞよ。
向津媛の神は、これまで封じられて居りたから、龍宮の名で働きておりたぞよ。
天照国照神とは、原始(もとはじ)めの日輪の神であり、その対偶の神が撞賢木厳之御魂天疎向津媛神であり、月神とも現れるぞよ。
天照国照の神は、人格神として彦火明命(ひこほあかりのみこと)と生(あ)れ、向津媛は、宗像の市杵島媛命とも現れるのであるぞ。
日月の元、始めの神がそろいて守護なせる世となりたのであるぞ。思凝霊(しこりがみ)が宗教思想で塗り固めた世を一度に立て替える事は仲々むずかしいが、世の元からの神々が、因縁の御魂の神民に憑(かか)りて、世を掻きまぜ掻きまで、次第に強い者勝ちの今の世を、切り崩して誠の通る世といたすぞよ。
この酉の年は大きな切り替え、改革の始まる年であるから、○○殿には、六甲の神界が後押しをいたして、この度の選挙では、これまでにない渦を巻かせてあるぞよ。
荒事無ければ、新事な起こらぬと申してあるが、三千年この方の体主霊従(からたま)の世を霊主体従(ひのもと)の元の道に立て直すのは、仲々至難であり大望の事であれど、それを為せねば、地球も人類も滅びてしまうから、神界の指図通り動いてくれる御魂の者が目醒めたら、その者等を使いて一つ一つと、世を立て直し、神理に適いた世に、何年かかりても改めてまいるぞよ。
世の始めからの約束で人民に任せてある現の世であるから、神が、くどく申しても人民の改心がならねば、神意も実らぬから苦心いたすところであるが、必ず実らせてまいるぞよ。
神戸の六甲の山とは、元は向津峰(むかつみね)と申し、天疎向津媛(あまさかるむかつひめ)の神の鎮まる山であり、向津が武庫となり、近世から六甲の字をあてたのであるぞ。
瀬織津比売と白(もう)す、天疎向津媛の神は水氣の神であり、清廉潔白、不正は許さぬ厳しき神であるから、その昔、時の体制から封じられ祓戸の神の一柱とされたのであるが、時節まいりて、表に現れて神意にそれぬ間違いは、厳しく立て分けてまいるから、これまで、我が天下と自在に世を構いて来た思凝霊(しこりがみ)が、これまで通りに、権力金力で立ち向かいて来ても、そんな事には負けず、不正を正してまいるから、強い者勝ちの、今の体制も足下(あしもと)から崩れてくるぞよ。
厳しくも誠の者には、有り難き瀬織津比売の神であり、縄文時代、北の蝦夷も、南の熊疎も隼人も、西の新羅も、日本中の人民、特に海人族が信奉して来た神であるぞよ。
神示では、大海の竜宮乙姫と申してありたぞよ。
扨て、天照国照日の神と橦賢木の月の神、日月火水括り結ぶのが白山菊理比咩の神であり、世の元からの神々の恵みで、縄文時代は皆、平穏に楽しく暮らしておりたのであるぞ。
日本人の因縁(遺伝子)の因はここにあるぞよ。
いろんな神の名が出てややこしいと思うであろうが…その元は、現の世一切を司る国常立之大神の図りであり、動植物でも科は同じでも…姿形も名も変わる如く、日の神、月の神も、時とところで名を変へ品を変え、変代(へぐれ)つつ、何とかして、この地球や人類を守りたいの一心であるから、この事は、忘れずに歩みてくれよ。
肉の身は祖先より受け継ぎ、神の分霊(わけみたま)を授かりて、人(霊止)と現の世に生まれたからは、誠を持ちて御魂の使命の果たしに勤め、親神の元え帰れるかどうかが人生の大事であるから…神に生かされておる事に感謝せよと申しても、それぞれ背負う因縁の果たしや、浄化の為、誰も思うようにならぬ苦労があり、一節一節越えてゆく、勇気と努力のいるのが、人生の修業であるから。
様々な苦労に負ける事なく、希望の光りで、道を照らし、辛くとも悲しくとも生き通さねばならぬのであるぞ。…
月日の神が図りて時の流れを作り、人の身は、時の流れに船を浮かべて下る如しで、時々に身の囲(まわ)りの景色は変われども、それに迷う事無く、舵取り竿差ししたがう事無く、人生を全うなすのであるぞ。
偉い人になったり、金持ちになる事だけが人生でなく、貧しくとも、身を病むとも、魂の親神を信じ、如何に一所懸命、真面目に生きたかが、神の見るところであるぞ。
卑下もじゃが、驕り高ぶりの慢心こそ、最も慎むべき事であるぞ。
撞賢木厳之御魂天疎向津媛の神、目を光らせる世となりたから、誠の者には結構であるが、どんな偉い者でも、利己主義(われよし)は、許さぬ厳しき世とめぐりたのであるぞ。
この度、籠神社の、始めての観月の夜祭りが、日月そろいて世界の守護をいたす、新しき幕開けとなりたぞよ。
朝に日の出を拝み、夕べに月を拝み、日々大切に活きてゆけと記すぞよ。
言霊神也
ン
日月瑞色新
平成二十九年十月十日
天橋道士龍華斎 修聖拝写
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