南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

七福神巡り

2007-01-07 11:47:48 | 日本
正月の二日、深川の七福神巡りをしてきました。昨年から
私は、日本の本籍地を愛知県の田原市から、東京の江東区に
移しましたので、ここは新たな地元です。でも日常、住んで
いるのはシンガポールなので、江東区のことはあまりよく知
りません。深川の七福神巡りも、生まれて初めての経験とな
りました。日本のあちこちに七福神があるのですが、七福神
をお参りすることはこれまでまったくありませんでした。

私の妻は深川生まれなので、深川の七福神は毎年初詣でお参
りしているということでした。門前仲町の富岡八幡宮から、
森下のあたりに散在している七福神をぐるっと巡るのに、二
時間くらいかかります。11時過ぎくらいから出発して、昼食
をはさんで、ぐるっと回って戻ってきたのは2時くらいでし
た。

深川の七福神をまわって、気づいたのは、川が多いことと、
江戸時代の有名人にゆかりのある名所が多いということでし
た。富岡八幡宮は、日本地図を作った伊能忠敬が出発地とし
たところでした。樺太(サハリン)を探検した間宮林蔵の墓
も途中にありました。松尾芭蕉の庵の跡もありました。
紀伊國屋文佐衛門も深川にいたのですね。いきなり日本の
江戸時代が凝縮された場所にタイムトリップした感じでした。

ところで、この深川七福神巡りをしてみて、いくつかの疑問
が出てきました。どのような疑問かというとそれは次のよう
な二点でした。
七福神の正式なお参りの仕方は
七福神の神様の正体は

まず、一番最初の疑問点です。お参りの仕方はどうあるべき
かということですが、つまり拍手を打つべきかどうかという
ことでした。初詣は自動的に拍手を打つという先入観があっ
たのですが、この七福神が祀ってあるのは大部分がお寺のよ
うなのです。稲荷神社というのや、神明宮というのもありま
したが、拍手を打ってよいのかいけないのか、わけがわから
なくなりました。

妻のほうは、先日、テレビでやっていたH木K子さんの初詣
の仕方を見ていて、「女性は拍手を打たない」ということで、
手をあわせるだけのお参り方法をとっています。私はその
番組を見ていないのですが、それが本当に正式なものなのか
どうかよくわかりません。インターネットで調べようとした
のですが、女性が拍手を打たないと言っているのはH木さん
だけのような気がします。またニ礼ニ拍手一礼というのが
正式のような気がするのですが、いろんな人のブログを見て
いると、H木先生が「一礼ニ拍手二礼」と言ったかのように
記憶している人が多いのですね。何が正しいのかわからなく
なってしまいます。

私は最初の富岡八幡宮の恵比須神は拍手を打ったのですが、
後はすべて合掌だけですませました。しかしながら、常に
これでよいのだろうかという疑問がまとわりついていました。
拍手を打たないことで、ご利益が得られないのではないのか、
あるいはやはりお寺で拍手を打つのはおかしいのではないの
か、という疑問がぐるぐる回っていました。

七福神で拍手を打つべきか否かについて、インターネットを
調べたのですが、これぞという回答を発見できませんでした。
拍手を打っても別にご利益がなくなるということではない、
ということを書いてあるサイトがありました。でもお寺にあ
る七福神は何となく合掌だけのほうがよさそうな雰囲気です。
これはどなたか権威のある人にマスコミを通じてきちっと
教えてほしい気がしますね。

さて、二番目の疑問です。これまで、七福神の絵は見たこと
があるのですが、それぞれのキャラクターについてあまり
知りませんでした。しかし別のルートで、七福神に接点が
あったのです。

何年か前に、インドのデリーに出張に行ったとき、時間が
あったので、デリーの博物館に行きました。ほとんど人が
いない部屋の中に、おびただしい数の神様の像がありました。
その後で、中公新書の『ヒンドゥー教』(森本達雄著)とい
う本を読んで、びっくりしました。七福神の弁財天が実は
インドのサラスウ゛ァティーという女神だという話しがいき
なり出ていたのです。

もともとサラスウ゛ァティーというのは西北インドに実在し
た川の名前で、河川に住む霊が神格化されたものだとか。
インドのオリジナルのサラスウ゛ァティーは、白蓮華の上に
座して、シタールのような弦楽器を弾いています。この女神
が、弁舌や、学問芸術(とくに音楽)を司ることから、弁才
天と書き表され、それが弁財天と化して、富や財をも受け
持ってくれるということになったようなのです。

日本では、琵琶を持っている紅一点の女神ですが、日本の
弁財天も昔から、河川や湖、池など水辺に祀られているの
だそうです。インドからはるばる日本まで旅してきた女神
なのですね。

実は、大黒天もインド出身だったのです。日本では、大国主
命(おおくにぬしのみこと)とコンバインされて、今に至っ
ているのですが、もともとは、インドの全知全能の神、
シウ゛ァ神だったというのです。幸福の付与者でもあると
同時に、破壊を司る神でもあり、恐ろしい憤怒の形相をして
います。憤怒の色が黒であるということで、シウ゛ァ神は
「マハーカーラ」と呼ばれていたそうです。「マハー」とは
大きなという意味で、「カーラ」とは黒いという意味です。
これを漢字に直訳したものが「大黒天」ということなのだそ
うです。

この他、毘沙門天もインド出身です。ヒンドゥー教では
クベーラと呼ばれ、暗黒界の悪霊の主だったそうですが、
後に財宝福徳を司る神になったのだそうです。多聞天とも
呼ばれ、知恵の神様にもなり、また武闘の神様にもなった
とか。

恵比須さんは唯一日本出身の神様で、いざなぎのみことと
いざなみのみことの三男だそうです。漁業の神様として信仰
されていましたが、今では農業も、商売繁盛も管轄してい
るのだとか。何か万能ですね。

布袋さんは、実は神様ではなく、中国の僧侶だそうです。
大きな腹をしているので、福徳の神として神格化されたの
だそうです。福禄寿は道教の星の神様だとか。正体はよく
わからないのだそうですが、名前が縁起がよさそうなので
七福神に抜擢されたのだそうです。

あと一人、寿老人ですが、この人も中国から来た老人だそう
ですが、正体はよくわからないようです。名前から、長寿の
神様として信仰されているようです。

この大部分は後で調べて分かったことですが、七福神は
日本固有のものかと思ったら、インドや中国やらの外国人
混成チームだったのですね。今やインドと中国は21世紀に
大発展が予想されている二大大国ですが、すでに七福神の中
にその二つの国の神様が入っていたというのですから、運も
お金もインドと中国に有利に流れるのも当然というようなも
のですね。

今年、皆様にとりましてもよい年でありますように。