南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

諸葛孔明の経済政策

2009-02-10 01:36:23 | 古代中国
昨日、古代中国商の時代の貝の貨幣のお話をしたついでに、
もうひとつ上海博物館で見た貨幣のお話を一つ。この上の写真
は、三国志の時代の蜀の国の通貨『直百五銖銭』という鉄製の
貨幣です。それまであった蜀の『五銖銭』100枚に値するという
意味の名前なのだそうです。などというと古銭マニアの人のアク
セスが増えそうですが、私は残念ながら古銭マニアではなく、
たまたま博物館で目撃した展示品のことを適当に書いているだけ
なので、本格古銭マニアの人は期待しないでいただきたいと思い
ます。

このお金が作られたのは調べたところ214年。日本ではまだ
卑弥呼というミステリアスな女性くらいしか歴史に登場してきて
いない頃のことです。その頃中国では、208年有名な赤壁の戦
いで、呉の孫権とのタッグで魏の曹操を破ったあの三国志のヒー
ローの劉備(といっても彼は赤壁の戦いでは実質的な活躍はして
いませんが)が、今の四川省の成都に入り益州の牧となるのが
214年。三国志の蜀の国の実質的なスタートとなるのですが、
そのあたりからこのお金が鋳造され始めたのだそうです。

これを考えたのは、誰あろう、諸葛孔明をおいて他にないで
しょう。ジョン・ウー監督の映画『レッドクリフ』では金城武
が演じておりましたね。いつも羽根扇を持っている人です。
諸葛孔明というと映画のイメージからも何か軍略の天才のよう
に思われていると思うのですが、じつは彼ほど多芸多才な人は
いないのではないかと思えるほどの人でした。私ごときが諸葛
孔明のことを語るのは諸先輩方からするどい突っ込みを受け
そうで、気が引けるのですが、じつは政治経済に関しても天才
だったのではないかと思っております。

蜀の国は今の四川省が中心の山国。面積も三国の中で一番
小さいし、人口も少ない。こんなところを拠点にするのは
ちょっと損なんじゃないかと思っていました。周りを険しい
山で囲まれているので、敵が攻めてきた場合、守りやすいと
いうメリットはあるのですが、その他は結構不利じゃないか
なと思っていたのですが、実は、さすがは諸葛孔明さん。
蜀の国は、実は塩と鉄の大産地だったそうなんです。
当時これらの資源は今でいうとおそらく石油、天然ガスに
匹敵する貴重な天然資源。それらの天然資源が眠る土地で
あることをおそらく彼は最初から知っていたのでしょう。

また、蜀は漢の時代から、シルクの名産地。宮中の礼服には
必需品だったのではないかと考えられるシルクなので、
これをおさえることはさらに有利。塩と鉄とシルクの三つを
押さえれば、国土は小さくとも他国にまさる経済力を持てる、
そう諸葛孔明は考えたに違いありません。

彼がすごいのは、それ以外に、外圧を除いてから、国内の農業
生産力を回復させ、経済を復興させて物価の安定を計る、
そして徹底的に行政改革を行うのです。まさに構造改革。
それまで巣食っていた悪徳官僚を罷免し、行政組織を簡素化し
ていきます。徹底した法令遵守を説き、信賞必罰の姿勢を徹底
させます。また同時に、灌漑を行い、農地を拡大していきます。
国民の生活は安定し、国の経済力は増えていきます。(しかし
その後の度重なる遠征で経済力は衰えていくのですが)

そんな諸葛孔明が、劉備が蜀を拠点としたときに行ったのが
この貨幣の鋳造でした。彼は徹底した市場価格への介入を行っ
て、諸物価の安定を図ったのだとか。このお金は、西暦234
年まで鋳造されるのだそうですが、その年を最後に消滅します。
その年とは、諸葛孔明が遠征の途上、五丈原で命を落とした年
です。蜀はその後263年まで続くのですが、孔明の死が蜀の
国の実質的な滅亡でした。孔明が没してから4年後、やっと
その頃、邪馬台国の卑弥呼の使者が魏の洛陽の都に到着するの
です。日本で最初の通貨と言われる和同開珎が登場するのは、
それから500年近く後の708年のことです。

こんな昔の中国にこんなすごい人がいたんですね。今の時代に
もこんな人が欲しいです。