南の国の会社社長の「遅ればせながら青春」

50を過ぎてからの青春時代があってもいい。香港から東京に移った南の国の会社社長が引き続き体験する青春の日々。

私は新聞を読むのが嫌いです

2007-09-04 00:05:01 | Weblog
広告代理店の人間でありながらこんなことを言うのはなんですが、
私は新聞が嫌いなのです。昔から新聞が好きではありませんでし
た。ここ数年、家では新聞を取っていませんし、よほどのことが
ないかぎり、新聞を読んだりはしません。飛行機に乗ったりする
と、新聞を読んだりはしますけれど、そんなに真剣に読むわけで
はありません。

小学生の頃、学校の先生は、新聞を読むように言っていました。
大学の受験勉強のときも、新聞を読むのが大事だとみんな言って
いました。社会人になると、新聞を読むのは常識だという感じに
なっていました。会議の時には、「今日の日経新聞読んだか?」
などと言われたりすることもありました。

シンガポールで勤務している間、日本語の新聞を会社で二紙取っ
ていましたが、読まずに捨てることが多く、もったいないと思っ
ていました。英語の新聞も毎日来ていましたが、見るのは、記事
ではなくて、広告ばかりでした。

何故、自分がそれほど新聞を嫌いなんだろうとあらためて分析し
てみると、実は、新聞の記事の物の見方がどうも画一的で、それ
を押し付けているという雰囲気がいやだったのです。そんなこと
を昔から感じていたので、新聞がいやになっていました。

そういうことをMy Wifeに言ったら、彼女が働いている
下町の料理屋のお客さんにも、そのように言っている人がいると
言っておりました。その人は、国際的な弁護士さんなのだそうで
す。かなりの活字中毒なのだそうですが、日本の新聞は嫌いだと
言っていたそうです。

それまでは新聞嫌いということでなんとなく後ろめたい気持を
持っていた私ですが、こういう人もいると知ったことで、味方を
得たような気持になりました。

さらに、以前、日本に出張に来た帰りに成田で買った『フラット
革命』
という本を読んで、さらに勇気づけられてしまいまし
た。この本は、巨大メディアの没落と、インターネットが押し進
めるコミュニケーションのフラット化が述べられているのですが、
既存メディアの権威的な「公共性」が意義を失ってきているという
あたりの説明に我が意をえたりと感じました。

私たちは社会とつながりを保つために、新聞情報をたよりにして
いるような気がします。新聞を読まないと、自分が世の中から置き
去りにされてしまうような不安を感じてしまうのではないかと思い
ます。しかし、私は、自分自身が常識にコントロールされることの
ほうが不安でした。だからどんなに世の中から置き去りにされよう
が、新聞を読むことを拒絶しました。

こんな非常識な発言をすると、社会的には変な目で見られるのだと
思います。でも、ブログだからこそこのような意見を言えるのだと
も思います。マスコミの傲慢さは嫌いですし、自分達こそが世の中
の正義であり、正しい視点であると思っているその態度が気にくわ
ないのですね。こんな発言をして、不快な思いをする人がいたら
ごめんなさい。

私も若い頃は、マスコミに就職したいと思っていたことはあります
が、そっちにいかなくてよかったと思っています。広告の世界も
広い意味ではマスコミですが、広告はビジネスなので、自分には
合っているのかなと思います。

この間、新幹線に乗ったとき、前に乗っている家族の子供が飲み物
をこぼして、床が濡れたとき、私は持っていた日経新聞をさっと
床に敷いて難を防ぎました。タオルで床の液体を拭こうしていた
前の座席の母親は恐縮していました。このときほど新聞が役にたっ
たと思ったことはありませんでした。