NHKのドラマ『チャレンジド』を二回目、三回目と続けて見て
いるのですが、初回のときの感動をなかなか超えられない展開
だと思っているのは私だけでしょうか?それなりに感動的な
エピソードが出てきて、教師としてどう教えるべきか、教育とは
何か、障害者とその周りの人間に与えられた苦難など、いろいろ
と考えさせられる事が多く、そういう意味では秀逸な内容の
ドラマだと思います。
それは何だろうなと思って考えてみると、もともとの脚本の
作りに課題があるのかなという気がしました。各人物の描き方
がステレオタイプ(いかにも典型的)な感じがするし、ストー
リー展開の進め方が時に強引な感じがするところが感じられ
ます。そういうディテールが気になってしまう私は、だんだん
と作者の泣かせようという意図には乗せられないぞという
反抗心を感じるようになってしまったのかもしれません。
じつは私は、会社に入ったばかりの頃、シナリオを勉強する
ために東京の青山にある学校に通っていたことがありました。
週に一度か二度の夜間の講座だったのですが、数人のゼミ形式
になっていて、毎回、短い作品を書いて提出しなければならず、
やがて仕事のほうも忙しくなり授業に出られなくなったので、
シナリオはすぐに挫折してしまいました。
でも、その時に教わったことは、自分の意図するエンディング
に持っていくための無理矢理な展開は避けるということでした。
このチャレンジドで言えば、二回目で副担任の先生が採点した
答案用紙を、飛ばされる危険があるにもかかわらず、カゴに
そのまま入れて、しかもいかにもという感じで転ぶところ。
川に流された答案が最後の一枚を残して見つかるという奇跡。
三回目でいえば、反抗的であった男子生徒が、盲目の教師が
走るのを見て心を寄せてくるところ。そのDVの父親が、
すぐに改悛するところなどです。他にもいろいろありますが、
ドラマを時間内に完結させなければいけないので、無理矢理
につじつまを合わせなければいけなかったのかという苦労が
しのばれます。
二回までの副担任の女の先生の描き方や、その他、教頭先生や
同僚の先生たちの描き方も何となく表面的で深みが欲しい気が
します。盲導犬のポン太は見事な演技をしていると思いますが。
じつは、こういう私も、今でこそ広告業で仕事をしているので
すが、大学を卒業する頃、学校の先生になる予定でいました。
1980年前後、その頃は安定を求めて公務員というのが大きな
流れでした。とくに私のような文学部の学生は、教師になる
くらいしか道がないように思えていました。リクルートスーツ
を着て就職活動というのをやりたくなかった私は、迷わずに
教師になることを希望しました。でも、今だから正直に告白
しますが、『チャレンジド』の主人公の先生のように教育に
対する情熱をそれほど持っていたわけではありません。
昔から教師になることを夢見ていたわけではなく、そういう
意味ではドラマの副担任のほうに似ていたのかもしれません。
大学の四年に愛知県の母校の高校で教育実習を終え、県の
公立高校英語教師採用試験にも合格し、赴任先の連絡を
待っていたのですが、一般教養の人文科目の二単位が不足
していたことが卒業間近に発覚し、留年、そこで教師になる
ことと決別することになるのです。
後から思うと、こういう自分は教師にならなくてよかった
(自分のためでもあり、教わる生徒のためでもあり)のでは
ないかという気がします。こんな中途半端な気持ちで教師に
なっていたとしたら、教わる生徒も可哀想だということで、
神様が「お前のような者は教師になる資格がない!」と
いうことで強制的に道を閉ざしてくれたのではないかと
思っております。
このドラマを見ていてつくづく思うのは、教師というのは、
教科を教えることの他に様々なことに責任を持たなければ
ならず、そういう部分は大変だなあと思うのです。生徒が
それぞれ抱えている悩み、生徒の家庭環境、親の問題、
社会の問題...もし自分が教師になっていたとしたら、
そのような問題にどのように対処できたんだろうかと思う
と恐ろしくなります。
でも、そうはいうものの人に何かを教えるということは嫌い
ではありません。むしろ大好きです。My Wifeに、よく
歴史がわからないとか、地理がわからないとか言って質問
をされることがあるのですが、複雑なことを分かりやすく
説明できたりするととても嬉しくなります。日本の航空会社
の国際便に乗って、CAの人に英語の発音がおかしいと、
徹底的にトレーニングしてあげたくなってしまいます(実際
にやったことはありませんが)。まあ、仕事でやるプレゼン
テーションなんかも学校の授業みたいなもんですからね。
まあ、年をとっても、自分は、どっかで誰かに何かを教え
ているんでしょうね。
いるのですが、初回のときの感動をなかなか超えられない展開
だと思っているのは私だけでしょうか?それなりに感動的な
エピソードが出てきて、教師としてどう教えるべきか、教育とは
何か、障害者とその周りの人間に与えられた苦難など、いろいろ
と考えさせられる事が多く、そういう意味では秀逸な内容の
ドラマだと思います。
それは何だろうなと思って考えてみると、もともとの脚本の
作りに課題があるのかなという気がしました。各人物の描き方
がステレオタイプ(いかにも典型的)な感じがするし、ストー
リー展開の進め方が時に強引な感じがするところが感じられ
ます。そういうディテールが気になってしまう私は、だんだん
と作者の泣かせようという意図には乗せられないぞという
反抗心を感じるようになってしまったのかもしれません。
じつは私は、会社に入ったばかりの頃、シナリオを勉強する
ために東京の青山にある学校に通っていたことがありました。
週に一度か二度の夜間の講座だったのですが、数人のゼミ形式
になっていて、毎回、短い作品を書いて提出しなければならず、
やがて仕事のほうも忙しくなり授業に出られなくなったので、
シナリオはすぐに挫折してしまいました。
でも、その時に教わったことは、自分の意図するエンディング
に持っていくための無理矢理な展開は避けるということでした。
このチャレンジドで言えば、二回目で副担任の先生が採点した
答案用紙を、飛ばされる危険があるにもかかわらず、カゴに
そのまま入れて、しかもいかにもという感じで転ぶところ。
川に流された答案が最後の一枚を残して見つかるという奇跡。
三回目でいえば、反抗的であった男子生徒が、盲目の教師が
走るのを見て心を寄せてくるところ。そのDVの父親が、
すぐに改悛するところなどです。他にもいろいろありますが、
ドラマを時間内に完結させなければいけないので、無理矢理
につじつまを合わせなければいけなかったのかという苦労が
しのばれます。
二回までの副担任の女の先生の描き方や、その他、教頭先生や
同僚の先生たちの描き方も何となく表面的で深みが欲しい気が
します。盲導犬のポン太は見事な演技をしていると思いますが。
じつは、こういう私も、今でこそ広告業で仕事をしているので
すが、大学を卒業する頃、学校の先生になる予定でいました。
1980年前後、その頃は安定を求めて公務員というのが大きな
流れでした。とくに私のような文学部の学生は、教師になる
くらいしか道がないように思えていました。リクルートスーツ
を着て就職活動というのをやりたくなかった私は、迷わずに
教師になることを希望しました。でも、今だから正直に告白
しますが、『チャレンジド』の主人公の先生のように教育に
対する情熱をそれほど持っていたわけではありません。
昔から教師になることを夢見ていたわけではなく、そういう
意味ではドラマの副担任のほうに似ていたのかもしれません。
大学の四年に愛知県の母校の高校で教育実習を終え、県の
公立高校英語教師採用試験にも合格し、赴任先の連絡を
待っていたのですが、一般教養の人文科目の二単位が不足
していたことが卒業間近に発覚し、留年、そこで教師になる
ことと決別することになるのです。
後から思うと、こういう自分は教師にならなくてよかった
(自分のためでもあり、教わる生徒のためでもあり)のでは
ないかという気がします。こんな中途半端な気持ちで教師に
なっていたとしたら、教わる生徒も可哀想だということで、
神様が「お前のような者は教師になる資格がない!」と
いうことで強制的に道を閉ざしてくれたのではないかと
思っております。
このドラマを見ていてつくづく思うのは、教師というのは、
教科を教えることの他に様々なことに責任を持たなければ
ならず、そういう部分は大変だなあと思うのです。生徒が
それぞれ抱えている悩み、生徒の家庭環境、親の問題、
社会の問題...もし自分が教師になっていたとしたら、
そのような問題にどのように対処できたんだろうかと思う
と恐ろしくなります。
でも、そうはいうものの人に何かを教えるということは嫌い
ではありません。むしろ大好きです。My Wifeに、よく
歴史がわからないとか、地理がわからないとか言って質問
をされることがあるのですが、複雑なことを分かりやすく
説明できたりするととても嬉しくなります。日本の航空会社
の国際便に乗って、CAの人に英語の発音がおかしいと、
徹底的にトレーニングしてあげたくなってしまいます(実際
にやったことはありませんが)。まあ、仕事でやるプレゼン
テーションなんかも学校の授業みたいなもんですからね。
まあ、年をとっても、自分は、どっかで誰かに何かを教え
ているんでしょうね。