バイト先にて発見。
発見の経緯はまた別の機会に。
初夏の、熱を帯びた風によく合う。
早朝のさわやかさよりも、けだるい午後のような。
クルマの中でずーっとリピート。
心地よいリズムと優しい音。
揺れるボーカルが涼しげ。
paris matchの他の作品も聴いてみたくなった。
聴いたらきっと好きになるはずの音楽たち。
そんな彼らに、これからも出会っていくんだろう。
そう考えると、ワクワクするな。
音楽って不思議で。
聴くときの気持ちで良くも悪くも。
クルマの中では、いつもCDが変わっていく。
天気に合わせて。
季節に合わせて。
気分に合わせて。
思い出の曲をかけて、そのときの気分になってみたり。
切ない気分のとき、悲しい曲をかけてみたり。
どちらが主で、従なのか、ぼくにはうまく説明できないけれど。
空気を震わせているだけのときもあれば、心の中に吹き荒れるときもある。
もともとは危険を回避するための機能であったはずの聴覚は、全く異なる機能も備えてしまった。それは、ヒトがヒトであるがゆえ、なのだろうか。初めて聴いた音楽なのに、なぜか懐かしかったり、心地よかったり。しかも、そこには個体差が生じる。好きなメロディー、リズム、音色。すべてを分解して本当に好きなところだけを抽出し、統計を取ったとしたら、対象のこれまでの経験が分析できるようになるのかもしれない。
好きの理由は心地よさ。だとすれば、特定の振動数に対して脳が反応していることになるのだろうか。視覚は入力された信号を分解して、処理し格納するという。同様に、聴覚の脳内での処理は振動数をキーとして記憶されているのであろうか。近い振動数のものは心地よい、と出力されるのだろうか。
完全にその仕組みが理解されたとしたら、それはそれでつまらない。あなたの好きな音楽はこれです、と提示されても、きっとうれしくない。洋服を買って初めて袖を通すときのような、ある種の緊張感が、自分の選択を肯定し、否定する。
結局、ぼくはこれからも音楽を聴いて、心地よいものを探すという、果ての無い旅に出かけて行くんだろう。自分自身の満足を求めて。果てが無いからこそ、いつまでも求め続けられる。
これからも、心地よい音楽にたくさん出会えますように。
発見の経緯はまた別の機会に。
初夏の、熱を帯びた風によく合う。
早朝のさわやかさよりも、けだるい午後のような。
クルマの中でずーっとリピート。
心地よいリズムと優しい音。
揺れるボーカルが涼しげ。
paris matchの他の作品も聴いてみたくなった。
聴いたらきっと好きになるはずの音楽たち。
そんな彼らに、これからも出会っていくんだろう。
そう考えると、ワクワクするな。
音楽って不思議で。
聴くときの気持ちで良くも悪くも。
クルマの中では、いつもCDが変わっていく。
天気に合わせて。
季節に合わせて。
気分に合わせて。
思い出の曲をかけて、そのときの気分になってみたり。
切ない気分のとき、悲しい曲をかけてみたり。
どちらが主で、従なのか、ぼくにはうまく説明できないけれど。
空気を震わせているだけのときもあれば、心の中に吹き荒れるときもある。
もともとは危険を回避するための機能であったはずの聴覚は、全く異なる機能も備えてしまった。それは、ヒトがヒトであるがゆえ、なのだろうか。初めて聴いた音楽なのに、なぜか懐かしかったり、心地よかったり。しかも、そこには個体差が生じる。好きなメロディー、リズム、音色。すべてを分解して本当に好きなところだけを抽出し、統計を取ったとしたら、対象のこれまでの経験が分析できるようになるのかもしれない。
好きの理由は心地よさ。だとすれば、特定の振動数に対して脳が反応していることになるのだろうか。視覚は入力された信号を分解して、処理し格納するという。同様に、聴覚の脳内での処理は振動数をキーとして記憶されているのであろうか。近い振動数のものは心地よい、と出力されるのだろうか。
完全にその仕組みが理解されたとしたら、それはそれでつまらない。あなたの好きな音楽はこれです、と提示されても、きっとうれしくない。洋服を買って初めて袖を通すときのような、ある種の緊張感が、自分の選択を肯定し、否定する。
結局、ぼくはこれからも音楽を聴いて、心地よいものを探すという、果ての無い旅に出かけて行くんだろう。自分自身の満足を求めて。果てが無いからこそ、いつまでも求め続けられる。
これからも、心地よい音楽にたくさん出会えますように。
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