クレィドゥ・ザ・スカイ―Cradle the Sky (中公文庫)森 博嗣中央公論新社このアイテムの詳細を見る |
『僕』が抱く空への憧れ。
永遠を生きるキルドレたちの物語が、ここで結ばれる。
「スカイ・クロラ」は劇場公開される前に読んだのだけれど、シリーズ作品がなかなか手に入らなかった。
ようやく「クレィドゥ・ザ・スカイ」まで読了。
「フラッタ・リンツ・ライフ」から続けて読んだのだけれど、最後は読むのを止められないほどだった。
静けさの中に秘められた、空への熱い憧れ。
乾いた地面に照りつける太陽のようなギラギラした気持ちが淡々と綴られていく。
物語は「スカイ・クロラ」へと続いていくのだが、ここまで読み終えてからもう一度「スカイ・クロラ」を思い返してみると、あれが本当の終わりだったのかどうか疑問が残る。
なぜなら『クリタ・ジンロウ』は一度『クサナギ・スイト』に殺されたはずだからであり、『クサナギ・スイト』が『カンナミ・ユーヒチ』に撃たれたことが本当にあった出来事であったのか、彼の主観から紡がれた物語だけでは判断ができないからである。
子供は本当に不完全な存在でしょうか。
映画「スカイ・クロラ」監督の押井氏はそう問いかける。
確かに、知能が発達しきっていない幼児・児童は不完全な部分を持っているかもしれない。
いずれ心身ともに成長し、相関的にそれらの不完全な部分が成熟していくことが我々の常識である。
だが思春期のある一時期から身体が成長せず、永遠ともいえる時間、生きていけるとしたら。
それは成長しない子供、だろうか。
大人になることは必ずしもいいことづくめではない。
自由を勝ち得る度、一つずつなにかを犠牲にしていく。
自分の気持ちを犠牲にして、時間を犠牲にして。
ずるいことやごまかし方、笑顔の作り方なんて、昔は考えてもみなかった。
それでも、大人になれてうれしいと思えているけれど。
体が覚える記憶と頭が覚える記憶。
どちらも重要だろう。
バランスを崩してしまうと、きっとうまくいかない。
甥っ子がどんどん成長していく姿を見つめ、
彼がいずれ立派な青年になることを想像し、
老いていく自分をぼんやり考える。
完全な大人なんていないのかもしれない。
完全な子供もいないだろう。
いつか、その時に笑えるといいな。
頭痛も治まりつつあるようでそちらもおめでとうございます。
このシリーズ読むと色々謎残りますよね。是非、イクリプスも!もっともこのイクリプス、最初はなかった話なんだろうなと思うと複雑です。
いつの時代も、どの時間も、どの人をとっても完璧なんてなくて、でもどこかの時代に、時間に、人に、最高と思える瞬間があって、それを逃さないように生きていけたらな。とそう思います。笑えるっていうのは何よりも大切なことなんですよね。
個人的には老いない、成長しないことに対する影響ってものすごく興味があったりしますが。
ところで、今まで気がつかなかったことですが、ボーダーラインを超えると子供がものすごくかわいいと感じてしまいます。あ~、天使っているんだなとか、無条件降伏って感じです(笑)オイとは恐ろしい。
いやー、やっと読み終えたよ。
ずいぶんとスローペースだったけど、ほかにも読んでいる本があって。
結局のところ「ぼく」は誰だったんだろう?
なんてね。
それにしても森氏の描写、ほんとにすばらしいよね。
文字なのか絵なのかわからなくなってきたよ、途中から。
それに、MKの言う通り「老いない」ということへの興味はあるなぁ。どうなるんだろう。もし老いないとしたら。
記憶は無限に紡がれるのかな。
いつまでも「成長」するのかな。
成熟の象徴としてのティーチャがいて、不完全なミズキがいる。
その狭間で「ぼく」はどうなるんだろう。
あー、やっぱりもう一回読まなくちゃ。
うちの甥もめちゃめちゃかわいいよ。
ぼくは「た~くん」と呼ばれています(笑)
ううむ。あれこそまさに最終兵器。