塾通い、相変わらずしてません。
学校が終わってから別の場所に移動し、しかも暗い夜道を歩くのが嫌……というのが彼らの言い分です。
あまりに内弁慶なsilky兄弟であること。。。涙
中2のエジソン君は学校の宿題だけでも虫の息。時間がある時は勉強に付き合う(注:大したことは出来ません)ときもありますが、学習はただ本人に任せるばかり、母は励まして心配するばかりという有様。
小6の欽ちゃんも勉強と言えば学校の宿題が中心で、気が向いたら通信教育の問題を解く程度です。こちらはとても強情で、母親の言う事など聞いてくれませんから、勉強で分からないことがあると兄貴に相談して教えてもらっているようです。
楽しそうに見えるから言いですけどね、別に。ぶつぶつ。
edu10月号の中村吉右衛門さんのスペシャルインタビュー“「習う」ということ”は心に沁みました。長い時間をかけて何か一つのことを深く学び、打ち込んできた方の言葉は無駄が無く、重みがあって素直に受け入れられますね。
“強いて勉める”意味合いのある勉強という言葉に、私の子ども達はとても拒否反応を示すのですが、吉右衛門さんの仰る「習う=倣う」ということは、子ども達が元々持っている本性に合っているような気がします。
【学ぶ】すなわち【真似ぶ】ですね。
関係が無いようでいて全てのことは繋がり合っている。
勉強をしない分、子どもの学びをどこに見つけるかが、母親の腕の見せ所なのかもしれません。
昔遊びは技術が必要で難しいです。
私は憧れるばかりでお手玉3つは回せません。片手2個回す程度。
独楽も回すのがやっとで、華やかな【技】は無理。
自分自身そういう遊びで育っていないので「こんな感じかナァ」と言いながら子ども達と遊んできました。
頭で考えることが大切なのと同様に、
身体や手を様々に動かすことも重要だと思います。
「できない」から「できた」までの過程と喜び、出来た時の満足感はパソコンやゲームとは比べ物にならない。
【生きた体験】は映像などのバーチャル体験とは別物です。
自分の目で見、耳で聞き、五感を使って実物に触れ、身体を動かすことで、頭で考えていただけでは分からなかったことを【学び取り】【完全に自分のものにする】ことが可能になります。
正直なところ「子どもが塾に行って真面目に勉強してくれれば
どれだけ楽か!」
と思わないでもないですが(笑)、無理をしていない分 素直で 正直で ちょっとバカな息子たちを見ながら、ま、こういう人達がいてもいいよね、と納得する今日この頃です。
なんだかんだ言っても、自分の子どもですもんね。
ウェブedu 「みんなの子育てエピソード」:http://edu.webshogakukan.com/blogportal/
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hawaii_plumeria.gif)
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小学館の雑誌eduのサイトで当ブログが紹介されています。
学校が終わってから別の場所に移動し、しかも暗い夜道を歩くのが嫌……というのが彼らの言い分です。
あまりに内弁慶なsilky兄弟であること。。。涙
中2のエジソン君は学校の宿題だけでも虫の息。時間がある時は勉強に付き合う(注:大したことは出来ません)ときもありますが、学習はただ本人に任せるばかり、母は励まして心配するばかりという有様。
小6の欽ちゃんも勉強と言えば学校の宿題が中心で、気が向いたら通信教育の問題を解く程度です。こちらはとても強情で、母親の言う事など聞いてくれませんから、勉強で分からないことがあると兄貴に相談して教えてもらっているようです。
楽しそうに見えるから言いですけどね、別に。ぶつぶつ。
edu10月号の中村吉右衛門さんのスペシャルインタビュー“「習う」ということ”は心に沁みました。長い時間をかけて何か一つのことを深く学び、打ち込んできた方の言葉は無駄が無く、重みがあって素直に受け入れられますね。
“強いて勉める”意味合いのある勉強という言葉に、私の子ども達はとても拒否反応を示すのですが、吉右衛門さんの仰る「習う=倣う」ということは、子ども達が元々持っている本性に合っているような気がします。
【学ぶ】すなわち【真似ぶ】ですね。
関係が無いようでいて全てのことは繋がり合っている。
勉強をしない分、子どもの学びをどこに見つけるかが、母親の腕の見せ所なのかもしれません。
昔遊びは技術が必要で難しいです。
私は憧れるばかりでお手玉3つは回せません。片手2個回す程度。
独楽も回すのがやっとで、華やかな【技】は無理。
自分自身そういう遊びで育っていないので「こんな感じかナァ」と言いながら子ども達と遊んできました。
頭で考えることが大切なのと同様に、
身体や手を様々に動かすことも重要だと思います。
「できない」から「できた」までの過程と喜び、出来た時の満足感はパソコンやゲームとは比べ物にならない。
【生きた体験】は映像などのバーチャル体験とは別物です。
自分の目で見、耳で聞き、五感を使って実物に触れ、身体を動かすことで、頭で考えていただけでは分からなかったことを【学び取り】【完全に自分のものにする】ことが可能になります。
正直なところ「子どもが塾に行って真面目に勉強してくれれば
どれだけ楽か!」
と思わないでもないですが(笑)、無理をしていない分 素直で 正直で ちょっとバカな息子たちを見ながら、ま、こういう人達がいてもいいよね、と納得する今日この頃です。
なんだかんだ言っても、自分の子どもですもんね。
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小中学生のうつ病の増加というのも、身体を使わなくなったのも原因の一つだと思いますね。
ところで、内田先生という方が、学びについて丁寧に解説してます。
http://blog.tatsuru.com/2009/08/
教えてもらう人にやる気をださせるのが重要ですね
そういえばある人が
「うつむいてばかりいるから ウツになるんだ」
と仰っていたので、その話を知り合いに伝えたら、
「本当にその通りだね」
と深くうなずいていたのを思い出しました。
やる気を出させるのは相手が誰にせよ難しい事ですね。
子どもが塾生だった頃は、大変だとか、これはメリットこれはデメリット、とあれこれ忙しく考えましたが、終わってしまえば、どうってことはなかったなあと、思います。行っても、行かなくても、根本的には同じとさえ思えます。塾に行っていた頃にはそれ以前に比べて変化したところがありましたが、終わって1年経って元に戻りました。(嫌いな事苦手な事は最小限の努力であったとしても先に終わらせてしまう、というスキルは今も生きています、笑)
モクリンちゃんの身に付けたスキルは一番大切な事じゃないですか! うちはそれさえも努力していませんよ~。
塾に通いさえすれば何とかなるといった問題ではなく、基軸になるのは本人のやる気なんですよね。
塾に通うのは“塾の持っている情報やスキルを受け取りに行くこと”だと思うので、受験のためには通ってほしいんですが、うちは「塾には行きたくない。家でも勉強したくない」奴なのでお手上げなんです。(涙) 親の言う事には耳を貸さなくなりつつある年頃なので“学ぶ楽しさ”を引き出してもらえるならば、喜んで塾に送り出すのですが……
ずっと伸び続けて大樹になるもの、が親にとっては安心なんですが、うちはそうではなさそう。秋になって地上の葉は枯れてなくなってしまっても、地中に種を残す1年草や、信じて栄養を与えていれば球根や太って増えていく宿根草のように、目覚めたり眠ったりを繰り返すのかな?
嫌いなものは先に食べて、好きなものを後で楽しみながら食べる。。。私たちはそういう親子かもしれません(笑)
見守るというのは、本当に難しいですね。でも、子ども達を信じて、命の力を信じて、見守って行きたい、そう願います。
ああ、わかるわかる、私もそのタイプです。(笑)
信じること、待つことは本当に難しい。
相手が人間だと道に迷うこともあるから、ただ黙って見ているだけではなくて、“見極め”も必要になることがありますよね。
親の仕事は重たいです。