シルクな暮らし

ほどほどナチュラル&シンプル生活
代替療法・暮らしの知恵・子供の事など

またね。三宅島

2008-08-28 | 旅とお出かけ
午後2時を過ぎて三宅島を出航したカメリア丸。
名残惜しく、遠ざかっていく島を見、
船内に入ってテレビでオリンピック中継を見、一眠り。
子ども達に起こされて甲板に出ると、
とろりとした夕日が静かに海の向こうに消えていくところでした。

すっかり暗くなって、すれ違う船の明りを眺めているうちに
船は竹芝桟橋へ到着しました。

家にたどり着いたのは夜中。
みな疲れきっていましたから、さっさと床について寝てしまいました。



次の日から「また行きたいなぁ。三宅島に住みたいなぁ」とか言っている小学生が約1名。
母「いいんじゃない? 漁師になんな、漁師に」
欽「え……ひとりで行くの?」
母「私は暑いの苦手だし」
エ「電車がないところはつまらないし」
欽「え~~~!」

ツンドラ地帯 silky家。(笑)


  
旅から帰って、欽ちゃんは夏休みの自由研究として、三宅島のことを調べてまとめました。島に滞在中手に入れた資料や、本を活用して、彼なりに頑張ってまとめたものです。9月には欽ちゃんのブログで公開予定です~。お楽しみに~。
夏休み工作作品は8/25にupしましたので見てくださいね♪


三宅島の歴史と自然を知るのに役立つ本を見つけました。
美しい写真がぎっしり詰まっている、内容の充実した本です。
(欽ちゃんの自由研究はかなりの部分、この本にお世話になりました)
三宅島の自然ガイド―エコツーリズムで三宅島復興! (BIRDERスペシャル)
島に生息する野鳥や淡水魚・植物の図鑑、
噴火後の自然回復、自然保護などについても詳しく書かれており、
はっきり言って面白い。ぜひ一度手に取ってみてください。

三宅島のオアシス【大路池】の森には、樹齢750年とも言われるスダジイの大木【迷子椎】がありました。森で迷ってもこの木を目標にすれば助かると言われたことから名がついたのだそう。

かなり駆け足の島一周で、まともな写真が撮れなかったのが心残り。 スナッパーさんのblog、5/7の記事の写真を見ていただくと、迷子椎の大きさ・迫力がお分かりいただけるかと思います。写真と動画が満載。三宅島の自然とダイビングを紹介しているダイビングショップの方なので、内容は海がメインですが、三宅島の自然や鳥の記事もあって面白かったです。

三宅島 3日目

2008-08-26 | 旅とお出かけ
2000年の噴火以来、観光ツアーこそ組まれていないようですが、
バードウオッチング、釣り・ダイビング、原生林、スターウォッチング、火山…と
いろいろな楽しみ方ができ、見所が多く魅力ある三宅島。

3日目は小型バスで島を1周しました。
市役所の職員の方が、ガイドをしながらのバス運転です!
大丈夫。運転は滑らかで照葉樹林の中の細い道もスイスイ♪ 
木が倒れて道を半分塞いでいる所も難なくスルーです。
乗客「おおーっ」ぱちぱちぱちぱちぱち

「島にある信号機は 3個だけなんですよー」と説明する職員さん。
そのうちのひとつは小学校の前にあります。
島の子も、島を出て都市に出ることがあるので、そのとき困らないように信号機の見方・横断方法を学習するためなのだそうです。


バスは窓を閉めたまま、高濃度地区の道路も走ります。
住む人のいなくなった家々が しんと立っている中に、“もう頑張れない”と壁に大きく書かれた家もありました。
あるホテルでは、オーナーが数時間ずつの一時帰宅で、ホテルの手入れを一所懸命されていたのですが、台風で屋根が飛ばされて、もうあきらめてしまわれたのだとか。
バスの中からやりきれない思いで荒れていく家々を見ていたら、家の手入れをするために戻って作業されている男性の姿がありました。その男性がバスに向けた一瞬の視線が忘れられません。

2005年に全島避難指示は解除されましたが、島民全員が戻ってきたわけではなく、一部の方は島での生活を諦めたため、三宅島の住民数はひどく減少しています。特に若者が戻ってこないのだそうで、この島でも高齢化が進んでいるのが悩みなのだそうです。

ガイド兼バス運転をして下さった職員の方は、本州から三宅島に移り住みました。
島の暮らしは大変だろうと言われるが、それほど大変でもない。この島の暮らしを本当に気に入っている。(自分の)子どもも楽しそうに島の学校に通い、両親も島を気に入ってくれていて、そのうち引っ越してくる予定なのだと、運転をしながら話されていました。

民宿やホテル従業員の何人かの方は、
ただ今活性中 三宅島』とか
灰テンション 三宅島』等とプリントされたTシャツを着ていて
かっこよかったですよ。

自然の持つ力と、人々の力で、
三宅島の暮らしも自然も、昔以上に豊かに回復しますように!

がんばれ!三宅島



三宅島 3日目の朝

2008-08-25 | 旅とお出かけ
朝の散歩で見つけたトベラ。
緑色の実が可愛かった。

朝に弱くなってきたエジソン君が「散歩、行かない」と言うので仕方なく欽ちゃんを連れて歩いてみた。何気ない道だけど、植生が東京とは違って興味深い。同じ伊豆七島の大島とも微妙に違う感じを受ける。欽ちゃんはあまり植物には興味がなさそうだが。

青い空の下に、火山ガスの影響で立ち枯れた白い木々が無残な姿を晒す。


だがその足元では草木の緑が回復しつつある。
初夏の訪れを告げるハマカンゾウも僅かだがまだ咲いていて、オレンジ色が爽やかだった。


写真ではわかりにくいけど、枯れた立派な木にびっしりと草が生えているのが芸術的だった。

視界が開けたところは海だった。

波は白く、海は青く、空は澄み…
   …あまりにもありきたりの表現で申し訳ない。

ただただ気持ち良かった。
もうこの島とお別れなんて、残念だ。

三宅島の海で~2日目

2008-08-23 | 旅とお出かけ
2日目。朝食をがっつり頂いた後、さっさと海に出発。

最初に向かったのは桟橋。三宅島ではもちろん船釣りも磯釣りも楽しめますが、宿のお兄さんに「どこで釣れますか?」と聞いたところ、真顔で念を押すように「桟橋です」と仰る。磯はやっぱり危ないんですかと尋ねると、視線をきっちり合わせて「危ないです。桟橋で釣ってください」とのお答え。
問答無用の迫力です。
素直に桟橋に向かいました。

朝っぱらから強烈な海の日差し。
釣りに興味のないエジソン君も、文句を言いつつ、おつきあいで釣り糸を垂れ
…た途端にぐぐっと引きがありました!


オヤビッチャ スズキ目 スズメダイ科

「おおおおお!」
通りかかったギャラリーから感嘆の声と拍手。
エジソン君、得意満面。
で、釣り上げ魚から針を外し、さっさと海にリリースしたので、ギャラリーのご家族が驚きました。
「えっ?逃がしちゃうの?」
「だって、すぐ死んじゃうし」と答えると、
若いママさんは、あからさまに怪訝な顔。
そこで、近くにいたおじさんが、ひとこと助け舟を出してくれました。
「キャチアンドリリースって言うんだよ」
おじさん、ありがとうございます。

「一匹釣れたからもうい~や。釣りや~めた」
…う…うむ。エジソン君のなんと早い決断。

常日頃から弟に
「魚が好きなんて言ってるくせに、なんで釣りなんかするんだよ。変じゃん。殺さないで逃がしたって、生きてる魚に釣り針が刺さってかわいそうだろ。釣りなんかやめればいいんだ」
と言い放っているエジソン君。
まるで夏目漱石の『坊ちゃん』のようなセリフでありました。

しかし釣りと泳ぎが目的ではるばる来たのだし、釣餌をたっぷり買ってしまった意地もあり、欽ちゃんとsilkyはそのまま釣りを続けました。
あまり長いこと待たずに二人ともオヤビッチャを釣り、サバやら、名前の分からないお魚さんを釣り上げました。

こんな可愛いのとか。

こんなのとか。

昼間の、日差しがきつい間は海水浴をし、
3時を過ぎたあたりでまた同じ桟橋に戻り、釣りをしました。
かかりはしなかったけれど、メジナや巨大なエンゼルフィッシュのような魚(ツノダシ?)、サヨリ等、たくさんの魚が群れて泳いでいるのが見えて楽しかったです。
頭のいいムロアジは針のついていない餌だけを上手に食べて通り過ぎて行くし。釣りの初心者がかなう相手ではありませんね。
大きな大きなフグが、よたよたと餌に寄ってきたときは、流石に「こっち来ないでー!」と慌てて釣り針を遠ざけたりして。

釣り上げたらすぐ針を外して写真を撮って海に戻しはしたけれど、
痛い思いをさせたお魚さんたち、ごめんなさい。
もしまた島に来ることがあったら、今度はシュノーケリングでお魚さんたちを観察したいと思います。

6時を過ぎて、そろそろ宿に帰ろうと歩き始めた時、海の向こうに沈んでいこうとする太陽が見えました。



秒単位で表情を変えていく光と海。
こんな光景を毎日見られたら、きっと
人の心はもっと豊かに 健やかに なれるのでしょう。



三宅島の海で~1日目

2008-08-17 | 旅とお出かけ
朝早くに、船は三宅島に到着。
薄明るい水色の空の下、乗客は船を降りました。
島の緑色の美しさと、火山ガスのために立ち枯れた木々の白さ。
寒々しい白い木々の足元には、再生し続ける自然の力がみなぎっていて、写真を撮ろうという気が起こりませんでした。心の中で、思わず両手を合わせてしまったsilkyです。

三宅島雄山の噴火は2000年に始まり、
島外への全島避難は、約5年間続きました。
2005年2月に避難指示は解除。
島に住んでいた方々は、やっと島に戻れました。

観光もすでに再開されていますが、火山活動による火山性ガス「二酸化硫黄」の放出は今も続いていて、島内には立入り禁止の区域もあります。また、三宅村の条例で、来島の際にはガスマスクの携行が義務付けられています。でもそれはあくまでも「携帯」であって、島の人が日常、顔につけているわけではありません。
ガスの濃度を知らせる回転灯が島のあちこちにあり、注意が必要な地域は島内放送で知らせてくれます。

チラシ『三宅島観光セーフティガイド』では、『ぜん息の人、気管支・肺に疾患がある人etc.は「二酸化硫黄」に対する感受性が高いと考えられます』等と物々しい注意が書かれていて、少々心配しながら島に渡りました。が、アレルギー一家silky家の誰も、旅行中一度も体調を崩すことなく、元気いっぱい、観光と海遊びを楽しんできました。


1日目は海あそび。
細かい黒砂利の浜『錆が浜』と岩場を、まずは散歩。
海が運んでくれた宝物を探しました。

定番の貝がら類とちっちゃなシーグラス。


小さなサンゴも流れ着いていました。

黒いのは冷えた溶岩?

何の骨?

見つけたのはエジソン君。
「何の骨かなぁ。イルカだったらいいなぁ」
う~ん、イルカにしてはちょっと重いかも。


海からの贈り物をたくさん見つけたね。
さ、次は泳ぎに行こう。
海水浴客がいる辺りに歩いていくと、人のよさそうなライフセイバーのお兄さんが近寄ってきて、いくつかの遊泳上の注意をしてくれました。
注意の一つ「潮の引きが強いので注意してください」
「………」(沖へ流される)
怖がりのsilky兄弟はこの時点で【あまり先まで泳いで行かない】
と心に決めたらしいです。

水深50~80cmあたりで たぱたぱ泳いでいるsilky兄弟。

幼児の水遊びだ。

静かだった波は、時間が経つにつれて段々大きく強くなってきた。
子ども達は泳ぎを楽しんでいるというより、波打ちぎわで転げまわって笑っている。
波に転がしてもらっているんだって。
欽「面白いよ~! お母さんも一緒にやろうよ!」
母「へ~。そんなに面白いの?」

じゃ、ちょっくら入ってみるべ。


ばーん!!! 

ごろごろごろごろごろごろごろ。

「いてていてていてててて」
た…楽しいけど、砂利とか、石ころとか、立派な石も一緒に巻き上げられて
身体にぶつかってくるから、けっこう痛い。

エ「きゃははははっ! 痛ぁーい! もっかいやろう!」
欽「うん! やろう!!」


エ「おかあさーん! 幼魚がいたよー! 目の前を通り過ぎてった!」
欽「ええっ! どこっ、どこっ。僕も見たい!」

楽しそうで何より。
かわいい奴らだなぁ。

少し離れたところで、シュノーケリングをしている人の姿もあった。
波と戯れるのも良いけど、あっちも楽しそうだ。水の中を泳いでいる魚を見るのは気持ちが安らぐよね。あまり見えすぎて怖いかもしれないけど。
今度来ることがあったら、シュノーケル・マスク・足ひれを準備しよう。


ところでこの日、『彩雲(さいうん)』という、雲が虹色になっている現象が見られたそうです。
海遊びに夢中だったsilky一家は見逃してしまった! 残念。

みやけエコネットに写真と記事が載っていました。→彩雲

民宿の夕ご飯は魚料理がずら~りと並んで。(写真撮り忘れちゃった)
うまかったス。
食堂の壁には巨大な魚の魚拓がずら~りと並んで。
欽ちゃん、大興奮。
「明日は釣りだね!」
はい、楽しみだね。

つづく。

三宅島へ

2008-08-15 | 旅とお出かけ
写真は竹芝桟橋でございます。

先日、三宅島へ行ってきました。

「もう中1と小5だし、今回はそれぞれ自分の荷物を自分で荷造りしようね」
と言って準備をさせたんですが、

分厚い本や

エジソン君「ヒマだろうから船の中で読む」
silky「船酔いする。読めるわけがない。置いていきなさい」

余計なおもちゃ類

欽ちゃん「ヒマな時、遊べるように持ってくの」
silky「あんたは釣り道具だけで重いでしょ。置いていきなさい」

を次から次へとリュックに入れようとするし、そのくせ肝心な下着は入れ忘れるしで、準備段階で母はげっそり。結局、洗面道具だのレジャーシートだの、必要なものはみ~んな母の旅行カバンに入れることに。…役に立たない男ども…しくしくしくしく


とにかく。船に乗るぞ、船。
乗り込んだのは東海汽船“かめりあ丸”(写真、撮り忘れちゃった)

東京湾は陸上の光でにぎやかだったね。

夜10時半をとうに過ぎているのに、まだ働いている人達がいる。
作業車はライトを光らせながら、コンテナの間をすり抜け、走っている。
オレンジ色の、ぼんやりとした光の中で、巨大な機械が働き続ける。
遠く空に飛び立つ旅客機と、降りてくる旅客機の、小さく聞こえてくる音。
船は、暗い海に白い波を立てながら、島へ向かって進んでいく。

つづく。

ブルーベリー収穫

2008-08-12 | 生きもの・植物・自然
数年前からベランダで育てているブルーベリー。
毎年1~3個という、と~っても控えめな収穫でしたが、今年は今までにない快挙。
「今年の実りは、なんと、12個だー!!
「わーい! ぱちぱちぱち。」
これでも、うちにしては大収穫なのですよ……はは。

最初の一粒はエジソン君のお口の中へ ぽいっ。
2番目に色づいた一粒はsilky-windが味わいました。「すっぱー。」(笑)



狭いベランダに、所狭しと並んでいる栽培ポット。



過酷な環境でよくがんばってくれています。

親子(父・息子)喧嘩

2008-08-07 | 子どもと日常のこと
2,3日前に、しまいこんでいたスケートボードを引っ張り出し、家の中でゴロゴロ転がして遊んでいる中1・エジソン君。母silkyが何度注意してもやめようとしない。
見かねて父も注意するが、やはり やめない。

父「これだけ(何度も)注意してもわからないんだったら、
  お前の頭はトリ並みだな!」
エ「ぼく、トリだもーん」
父「よし!これからはお前の食事はトリのエサだ!」


…わかってないな、夫よ。
うちの食事は既に、トリのエサと大差がないのだよ。ふふ。

~ silky家の普段の主食 ~
玄米(若しくは分搗き米)+アマランス+キヌア+キビ+アワ
時々、はと麦も入る。


今日のお昼は 七分搗き米・アマランス・大麦・もちキビ・黒豆・
もちアワ・黒米・緑豆・小豆・黒ゴマで。

青菜も欠かさないしね。

詰めが甘いよ、おとうさん。

宮脇俊三と鉄道紀行展

2008-08-05 | 旅とお出かけ
ちょっとした成り行きで、世田谷文学館企画展
『宮脇俊三と鉄道紀行展』に行ってきました。
文学に詳しいわけでもないのですが、世田谷文学館は何度も訪れている場所のひとつです。
静かでじっくり楽しめる雰囲気と、広さは程々ながら、訪問者をしっかりひきつける展示品に、行く度、知らず長居をしてしまいます。京王線・芦花公園駅から徒歩5分という近さも、訪れやすさの要因のひとつでしょう。

国鉄全線を乗りつくした旅の記録『時刻表2万キロ』から始まった宮脇氏の鉄道紀行の著作の数々に、まずは感心。目を引いたのは、代表作の執筆原稿の文字の読みやすさ。流石は元雑誌編集長です。原稿用紙のまま、手書き文字印刷で本を出してもいい位の、淡々としたきれいな文字でした。
宮脇氏自ら描いた路線図等の手書き資料の美しさにも、うっとり。
こういう、ていねいなお仕事をされる方って、好きです。
取材ノートも読みやすく、きっと整理整頓が上手な、仕事のデキル方だったのだろうと想像させられました。
海外取材先からお嬢様に宛てたハガキの、無駄がないのに愛がしっかり伝わってくる文章にも惹かれました。

宮脇氏は子供向け絵本も出版されています。
鉄道好きの息子たちと読んだ
スイス鉄道ものがたり (たくさんのふしぎ傑作集)
『シベリア鉄道ものがたり』等の絵本の原画も展示されていました。
絵は黒岩保美氏。
印刷物とはそういうものですが、原画を見て初めて、絵本を見たときには気がつかなかった、繊細で正確な描写に息をつめて見入り、ため息をつかされました。主役の鉄道だけではなく、風景も、人物も、なんとていねいに描かれていること。
鉄道の風景って、美しいものだったのですね。


世田谷文学館は常設展もなかなかイケます。
特に『ムットーニのからくり劇場』は一度見ると忘れられない独特の雰囲気を醸しています。私は『猫町』と『山月記』が好きで、今回も楽しみに行ってみたら、新しく3点のからくり箱が増えていて、更にグレードアップした不思議感に漂いました。(エジソン君は素直に「眠くなった」と言うておりました)
ムットーニさんは本が何冊か出ているようですが、どれも在庫わずかのようですね。(ムットーニ・カフェ)重版されるのかな?



鉄道紀行にそれほど興味のない私でしたが、
“鉄”なエジソン君よりもかぶりつきで楽しんでしまった展覧会でありました。
今年の夏休みにおすすめの、展覧会情報でした~。

ご無沙汰してます~

2008-08-01 | 子どもと日常のこと
シクラメンは さらに咲き誇ってまーす!

夏休み前後の忙しさで、更新が滞っていました。
楽しみにご訪問してくださっている皆さま、ごめんなさい。
「8月からは毎週火曜日更新です!」
…なんて無謀なお約束はできかねますが、
「せっかく立ち寄ったのにまた新しい記事がないなんて、がっかり」
されないよう、もちっとガンバリマス…。

過去記事の中には“ちょっと役立つ健康情報”とか“ストレス緩和&免疫力アップ・笑える話”などが半化石化しているかもしれません。気分転換にブログ内を発掘して遊んでみてください。「アラこんなところに」なんてものが見つかるかも~♪(注意:ゴミも一緒に埋まっています)


今日は欽ちゃん(小5)の俳句を公開♪

小学校の“海の移動教室”から戻り、授業で書かされて展示してあったのが、
終業式にやっと家に帰ってきました。
「さかな大好き」な欽ちゃんらしい作品です。
通知表は親の心臓に過重負担がかかりますが、
こういう作品が返ってくるのは、うれしいですねぇ。



次に、或る日の親子の会話。

母「“るぱん さんせい”って書ける?」
エジソン君「ええっと……ル…パ…ン…3…」

エジソン君は中1である。
母、表面笑顔で内心は渦巻く不安。
(中1でカタカナを書くのにどうしてそんなに時間がかかる?)

エ「せい…って、どう書くの?」
母「まあ、お兄ちゃんたら、わからないの?」
(余裕の笑顔だが内心「冗談はよせ~~」)
…1分ほど待つがまだ書けない。

母「世界の世じゃないの~、や~ね~」
エ「せかい、ってどう書いたっけ?」
…おい!

業を煮やした欽ちゃんが横から口を出す。
欽「ぼくが書く!」
エ「いいっ!わかったっ!」



おまえは~~~。
もう、笑うしかないよねー。
しかも何故紙の上に書かずに机に殴り書きするかな。
んでさ、【界】の字が
両手広げてぼんやり立ってるトーヘンボクに見えるのは
気のせい?