シルクな暮らし

ほどほどナチュラル&シンプル生活
代替療法・暮らしの知恵・子供の事など

2009-11-09 | 子どもと日常のこと
11月。年末に向けての作業をそろりそろりと始めている。
手帳のなぐり書きをあらためて見直していたら、子供との会話の記録を見つけた。


エジソン君(小6か中1の頃)は電車のデザインを考えるのが好きで、
その日もいつものように画用紙を広げ、エンピツ・ペン・水彩絵の具で、
黙々と飽きずに電車を描いていた。
「できたよ」
満足そうな表情で、どんな工夫を凝らしたかを説明してくれる。

そのあと朝食をとりながら、エジソン君がぽつりと呟いた。
「人にも黒は必要だよね」
「黒?」
「すべてを受け入れる黒。
 赤は黄色を受け入れないでしょ?」

色を扱いながら、そんなことを考えていたのか。

集中と繰り返しと創造活動から、
インスピレーションは降りるものらしい。

edu10月号特集『塾に行かせて「よかったこと」「後悔したこと」』

2009-08-24 | 子どもと日常のこと
塾通い、相変わらずしてません。
学校が終わってから別の場所に移動し、しかも暗い夜道を歩くのが嫌……というのが彼らの言い分です。
あまりに内弁慶なsilky兄弟であること。。。涙

中2のエジソン君は学校の宿題だけでも虫の息。時間がある時は勉強に付き合う(注:大したことは出来ません)ときもありますが、学習はただ本人に任せるばかり、母は励まして心配するばかりという有様。
小6の欽ちゃんも勉強と言えば学校の宿題が中心で、気が向いたら通信教育の問題を解く程度です。こちらはとても強情で、母親の言う事など聞いてくれませんから、勉強で分からないことがあると兄貴に相談して教えてもらっているようです。
楽しそうに見えるから言いですけどね、別に。ぶつぶつ。

edu10月号の中村吉右衛門さんのスペシャルインタビュー“「習う」ということ”は心に沁みました。長い時間をかけて何か一つのことを深く学び、打ち込んできた方の言葉は無駄が無く、重みがあって素直に受け入れられますね。
“強いて勉める”意味合いのある勉強という言葉に、私の子ども達はとても拒否反応を示すのですが、吉右衛門さんの仰る「習う=倣う」ということは、子ども達が元々持っている本性に合っているような気がします。
【学ぶ】すなわち【真似ぶ】ですね。

関係が無いようでいて全てのことは繋がり合っている。
勉強をしない分、子どもの学びをどこに見つけるかが、母親の腕の見せ所なのかもしれません。

昔遊びは技術が必要で難しいです。
私は憧れるばかりでお手玉3つは回せません。片手2個回す程度。
独楽も回すのがやっとで、華やかな【技】は無理。
自分自身そういう遊びで育っていないので「こんな感じかナァ」と言いながら子ども達と遊んできました。
頭で考えることが大切なのと同様に、
身体や手を様々に動かすことも重要だと思います。
「できない」から「できた」までの過程と喜び、出来た時の満足感はパソコンやゲームとは比べ物にならない。
【生きた体験】は映像などのバーチャル体験とは別物です。
自分の目で見、耳で聞き、五感を使って実物に触れ、身体を動かすことで、頭で考えていただけでは分からなかったことを【学び取り】【完全に自分のものにする】ことが可能になります。

正直なところ「子どもが塾に行って真面目に勉強してくれれば
どれだけ楽か!
と思わないでもないですが(笑)、無理をしていない分 素直で 正直で ちょっとバカな息子たちを見ながら、ま、こういう人達がいてもいいよね、と納得する今日この頃です。
なんだかんだ言っても、自分の子どもですもんね。

ウェブedu 「みんなの子育てエピソード」:http://edu.webshogakukan.com/blogportal/



    
ご訪問ありがとうございます。
ぽちっ♪とクリックで応援していただけると嬉しいです。
                  
人気ブログランキングへ  にほんブログ村 ライフスタイルブログ スローライフへ
................................................
 
小学館の雑誌eduのサイトで当ブログが紹介されています。

一粒の種から

2009-04-30 | 子どもと日常のこと
欽ちゃん(6年生)のランドセルの中から
詩を書いた画用紙が出てきました。

--------------------------------
一つぶのタネから
緑が生まれる。花が生まれる

一つの植物から
酸素が生まれる。タネが生まれる。

生まれる、生まれる。
わたしたちの手から次々と

--------------------------------

詩の内容と、詩の持つリズムの美しさに感動して、
「これ、どこで読んだ詩?」
と聞きました。
「僕が考えて書いた詩だよ」

いや、驚きました。
片付けなくて亡くし物はするし忘れ物はするし、楽をしたがるし、他力本願だし、こちらの言ったことが理解できないし……
普段口を開いても要領を得ないことをたらたら喋っている息子。
無駄に拗ねるし、ケンカもするし、こっそりズルしたりもする、ごく普通の息子。
見えないところで少しずつ変化し、彼の内側では
様々なものも湧き上がっていることを、つい見逃していました。

知らないうちに、子供は一気に成長するのですね。
生命力みなぎる雑草のように。

言う事・なす事がわけ分からないのは、彼ら自身が迷っていて、自分の考えを整理していくプロセスの途中だからなのでしょうか。

子供たちの成長には、ハッとさせられたりドキドキさせられたり。
こっそり応援しながら
静かに見守らせていただきたいと思います~。



 小学館の雑誌 eduのサイトで当ブログをご紹介いただいています

労は はらえ。

2009-03-19 | 子どもと日常のこと
今日はエジソン君の中学の卒業式で、お昼に帰宅する予定です。

卒業式は弦楽部の生演奏で進行するんですよ、うちの中学。
エジソン君たちの入学式の時は、体育館の窓際の渡り(2F)のところに楽器を持った部員たちが並んで演奏する中を、新1年生が入場したり退場したりしてました。
新1年の親たちは (*・ω・*)ほぉぉぉぉ
てな感じで うっとりです。

部活顧問の先生は真面目で妥協を許されない方らしく、
通常練習は月曜日から金曜日の週5日。
コンクールや卒業式や演奏会前には、それに土日もプラスされちゃったりします。

エジソン君曰く
「なんで土日まで練習があるのかなぁー。
 弦楽部は楽だと思って選んだのにー」

おまえ…そういう理由で弦楽部を選んだのか。

“大変”は若いうちにやっておけ。
人生の宝だ。

多摩川へ

2009-02-17 | 子どもと日常のこと
季節はずれに暖かな土曜日。
自転車をこいで多摩川へと向かう。

欽ちゃんがサッカークラブをやめて、
『お出かけ』のできる日々が戻ってきた。

小学校はあと1年。
頑張ろうと思えば続けられたかもしれない。
他のお母さん方からは「上手くなった」「伸びたね」と褒めてもらえていた欽ちゃん。でも何度足を運んでも出場させてもらえる試合は少なく、秋口になってからは殆ど出番はなかった。

「また出られなかった」と荷物を引き摺るようにして帰ってくる。
「皆は欽より長くサッカーをやっているんだもの、仕方ないよ。練習して追いつこう。欽には欽の良さがあるんだから、そこをのばしていこうよ。」と声かけをしていたが、欽ちゃんは納得していないようだった。

そんな或る日、
同じ仲間の一人に言われたのだそうだ。
「決勝戦に出られるんだったら女子のクラブにだって入っちゃうよな」
「女子…上手なのに。周りで聞いていた皆はどうしたの?」と問うたら
「笑ってた」 って。

練習に行けばわざとファウルされたり、
言葉の暴力を受け続けて、何ヶ月も前から暗い顔をしていた。
色々とあった中、決定的になったのは、ある決勝戦。
それは5年生の試合。
お手伝いに来ていた実力のある4年生がほぼフル出場で活躍する中、
数人の5年生に出番はなかった。

コーチは試合前に言っていたのだけれど。
「今日は必ず全員出すから」って。

その日家に帰ってすぐ欽の口から出た言葉。
「次の、フットサル大会が終わったらやめる」



ありがたいことにその大会では試合に出してもらえて、
4点のシュートをきめられた欽は、満足そうな表情で帰ってきました。
やっぱり続けるかな?と思いきや
「フットサルとサッカーは違うから」と、気持ちは変らないようで…。


2年に満たない短い間でしたが、サッカーを教えてもらって
皆とプレイできたのはいい思い出になったと思います。

本人の中では、まだ色々な気持ちがくすぶっているのかもしれないけど、
まだ5年生だもの。
様々な方法を探してもいいよね?



久しぶりに引っ張り出してきた釣り竿から、勢い良く繰り出される糸が
多摩川の上で きらりと光る。
きゅっと結んだ口元に、欽の意志がちらりと見えたような気がした。


絶え間なく、一定の速さと一定の調子を守りながら、川は流れる。
水は見る場所により、モスグリーンに、くすんだ青に色を変え、
日の光を反射した面が、白い模様を描きながら、
29km先にある河口へと向かっていく。

海へ。
海へ。

ゆるやかに。

虫けら、
なめらかな羽根を持つ鳥たち、
時折跳ね上がって飛沫を上げる魚たち。

汚されても汚されても、数多の命を育む川よ。
地球の血脈よ。

あなた方を模倣し、内包したこのちいさな命が

正しい知恵を身につけられるよう
正しい方へと向かって行けるよう

導いて下さい。



いつも読んでくださってありがとう!
お帰り前にぽちぽちっと応援をよろしくお願いします♪
     ↓♪           ↓♪

人気ブログランキングへ   にほんブログ村 ライフスタイルブログ スローライフへ


 小学館の雑誌 eduのサイトで 当ブログを紹介して下さっています


チェロと音楽の愉しみ
しるくら。~チェロ練習日記~も どうぞごひいきに♪

親子浦島

2008-12-31 | 子どもと日常のこと
今年になっての初めてはチェロの他に
もうひとつ。
今まで読んだこともTVで観たこともなかった
『のだめカンタービレ』

チェロの先生が息子のレッスンの時に仰った
「のだめ見たことあるでしょ」(決め付け口調)に
ちょっと困りつつ「いや…見たことがなくて…」
話しが続かなくて居心地悪くて、そのうち見なくちゃナァと思ってました。

偶然 深夜枠で アニメの『のだめ』(巴里編第6話だったかな?)を見つけて見てみたら
面白いの何の。

あまり笑っちゃったもので、仕事場で
「のだめって面白いのね~。知らなかった~」と話題に出したら
「私21巻までだったら揃えているよ」
「か…貸してくだサイ」

その頃ちょうど様々な問題を抱えていて、拒食と不眠状態だったのですが、
泣きながら『のだめ』を読んで、
泣きながら 笑いました。
馬鹿みたい 自分 と思いながら 笑えることが
不思議で 嬉しかったな。

12/30のドラマ版『のだめ』も見ました。
始まるなり欽ちゃんがTV画面に突進して文字を指差して
「ああっ! 坂本龍馬が出るよ! ほらっ ほらっ ここ!坂本龍馬だって!」
なんのこっちゃと思っていたら、
千秋様が玉木 宏。←この文字を見つけて龍馬と言ったのか、欽ちゃん。

「あれっ? 峰くんて もしかして」
「帯刀だー。小松帯刀ー!!」

ドラマ版は流石に「登場人物のイメージが違う」と不評でしたが、それなりに面白がって見てました。楽しみ方がちょっと違っているような気もしたけど。
元からあまり興味があるほうではなかった上にTVは数年間ずっと見ていなかった時期があるので、歌手とか俳優とか詳しくなくて、最近子ども達と一緒に見るようになって、妙な盛り上がり方をしています。

今は夜更かしして紅白見物。見た事がない歌番組に、子供達興奮。
「あっ! この人何ていったっけ?」
エジソン君(上の息子)「え~~っと、宇都宮?」
私「和宮様だよ、か・ず・の・み・や。」
っていうか、芸名で呼んであげようよ…

エジソン君「あ、幾島」
だから篤姫の役どころじゃなくて…

【edu ブログで子育てエピソード】 edu1月のお題『脳にいいこと、悪いこと』

2008-12-24 | 子どもと日常のこと
自分の体験を交えて、大勢の子ども達を見てきて感じたとことを。

私の場合、学生時代の脳の働きは最悪でした。
若い時より年をとった今の方が働きが良いかもしれない。
何が悪影響を及ぼしていたのかピックアップしてみますね。

*テレビとマンガ・TVゲーム
私はこれらのものに、思考力を奪われた時期があります。
大人は気がつかなかったり、忘れがちだったりしますが

子どもの集中力を侮ってはいけません

テレビやTVに向かう時の子どもの集中力は凄まじいものです。
特に映画やTVゲームは現実との境が完全にぼやけてしまうの。
TVゲームにのめり込んでいた時代、私は自分の回りをぼんやり見つめて
『この人たち、死んでもまた生き返るから大丈夫』
と何の疑問も持たずに思ったことがあります。
一呼吸置いて『あれ? 私、変かも』と気づいたの。
テレビは所詮、人が育つ中で触れてきたものを【記憶の中から呼び覚ます】道具でしかない、と割り切って、テレビやパソコンで学習させないでほしい。

子どもも大人も、なるべく多くの自然や本物に触れさせた方が、ずっとずっと
頭の切れはよくなります。


よく「マンガでも、読書離れするよりかは活字を読む切っ掛けになれば」という意見もありますが、どんなに優れた作品でもマンガはマンガ。
活字を追う“読書”とは別物なのです。
自分の体験談ばかりで申し訳ないけど、非常に分かり易い例なので挙げさせて下さい。
私の学生時代はマンガ漬け。手塚治とか萩尾望都とか、質のいいものを山ほど読んで安心していました。国語の点数は悪くなかったし、文章力には定評があったから。
子どもが生まれてからはその勢いが読書に向いたのだけど、或る日『十二国記』という小説を読んでいて、

自分の頭の中で作り上げている登場人物(または風景)が
二次元の線画


だという事に気がついて、愕然としたのです。
これは恐ろしく 悲しいことでした。

決断。
ストレス解消にと頼って、大人になっても読み続けていたマンガをダンボール箱にしまい込み、しばらくは活字だけを追いました。
数ヵ月後、夜中に『指輪物語』を読んでいる時突然、頭の中に色鮮やかな光景が浮かび上がりました。

光と影の陰影
流れる雲

映画を見ているように、風景が動き、登場人物の表情が動くのを感じ、
本来、子ども達はこんな力を持っているのかと、目が覚める思いでした。



頭の働きをよくしたのは
*音読
*指先を動かす
*料理と片付け
判断力と決断力、段取りが身につきます。
我が家の兄弟を見ても、料理をする兄と料理を避けようとする弟の差は歴然。
(学校の成績については目を背ける事しかできませんが)
生きる力を身につけるのは、ある意味で学校の勉強よりも大切なのではないかと
私は思うのです。

意外と軽視されているのは
*自然素材のものに触れること
感覚が生き返ります。
これについては説明しきれないし、説明しても分からないかも。
やってみることでしか分からないものが、世の中にはあります。

最後に *食生活
身体が軽くなると、脳の回転が がぜん 早くなります。これも自分の体験。
身体を重くするもの【肉・牛乳・卵・砂糖】を少なくして野菜や海藻類を多くするだけで、頑なさが解消されて性格も温和になり、他人との調和がとれるようになる実例は沢山あります。
食生活は難しい問題だけど、
そろそろ戦後の栄養学から少し違う側へ目を向けてもらえるといいな。

----------
写真の水彩画は欽ちゃん作「白百合」
球根と根っこ付き。

何気ない日常の会話

2008-12-23 | 子どもと日常のこと
ネガティブ思考のsilky兄弟(特に欽ちゃん)は時々、私の心配をしてくれます。

silky「最近視力が落ちちゃって、TVなんか見えにくいのよね」
欽「年をとったから?」

いきなり【年】かい。

「パソコン仕事のせいもあるだろうけど、年をとったのも関係あるかもね」
「お母さんも、おばあちゃんになるんだよね」
「そのうちね」
「お母さんが死んじゃったら、ぼく、
 どうやって生活していったらいいかわからないよ」

お前はよ……

「ま、キミが成人するまでは多分生きてられると思うけどさ。それまでに
 料理と洗濯と掃除のやりかたは身につけておく事だね。
 がんばれよ。」
「え~~~~?」

え~~じゃないダロ。
自分の面倒くらい自分でみられる男になってくれ。

息子台風 -3-

2008-12-12 | 子どもと日常のこと
夕食は欽ちゃんと一緒に、握り寿司の準備をした。
ご飯に梅酢をふりかけただけの寿司飯を小さな俵型に握っていく。
「華やかにしよう」
お皿に寿司飯(シャリ)をヒマワリの花弁状に並べ、
お刺身を切ってお皿に並べて一旦冷蔵庫へ。
副菜と味噌汁も作って、準備完了。
「エジソン兄、まだかなあ」

外が真っ暗になって心細くなってきた頃、やっとエジソン君が帰ってきた。
食卓のお握りを不思議そうに見て、「なにこれ?」
「お寿司! 今まで頑張ってきたからお祝い!」
」 (無言で嬉しそう)

今日の演奏ビデオをみんなで、何度も何度も繰り返し聴いた。
私は演奏を聴いて感じたこと、感激したことを思いつく限り、遠慮なしに恥ずかしがらずに伝えまくった。
エジソン君は、練習中のこと演奏本番のこと、活動中の出来事、本番とその前後でのあった事、観客のあの子が面白かったとか、会場がきれいに飾り付けられていたね、とか、久しぶりに明るい声で喋りまくった。
欽ちゃんは「もう一回聴きたい」と何度も演奏を聴きなおして目を輝かせていた。
今までエジソン君に「欽も何か楽器をやれよ。一緒に演奏できるよ」と言われても
「僕はサッカーがあるもん」と答えていた欽ちゃんが、
「僕も何か弾いてみたいんだけど…楽器を習っていい?」と聞いてきた。


それからちょくちょく、演奏ビデオを見たり聴いたりして楽しんでいる。
台風一過
雨風で洗われて、心がまた近くになった。
でも相変わらず、くだらな~い事でケンカもしている。

明るくない話題も、あった。
「…2年の先輩の1人があさって退部しちゃうんだ。“つまらないから”って」
チェロ隊、コントラ隊はマイペースでのんびり練習していると思っていたのだが、
それでも、厳しい先生の指導についていけなくなる子はいたのだった。
「もう何人も退部してるよ」
そんなことも知らないの? だからお母さんはわかっていないんだよと、エジソン君の目が語っていた。
「練習は大変だけど、あんなに素晴しい演奏を作ってきたのにね。やめてほしくないね」
「…うん…」
心配事や悩みを打ち明けるのには、勇気とタイミングが必要らしい。
忙しくても難しくても、子どもに合わせたペースダウンをしていかなければ。

問題は次から次へと発生するだろうし
思い違い・勘違いはまた繰り返されるだろうけど、
それさえも吹き飛ばしてくれる力は、確かにある。

素直に
感謝して
今何ができるのかを 考えていこう

息子台風 -2-

2008-12-11 | 子どもと日常のこと
土曜日にはエジソン君の所属している弦楽部の演奏会が予定されていた。
同日、サッカーの招待試合予定日で、本部役員の母親はあれこれとやらなければならない仕事があった。
私だけ何もしないわけにはいかない。
同日、夫は出張中。
家族の誰も来てくれない演奏会。
毎日2時間以上、時には日曜日まで学校に足を運んで練習してきたコンサート。
欽ちゃんでさえ
「どうして僕は試合に行かなくちゃいけないの?」と聞いた。
弟は、まだ一度も兄のいる弦楽部の生演奏を聴いた事がなかった。

決めた。

「招待試合の準備とぎりぎりの時間までの手伝いはできます。
 片付けまでには戻れるので、途中抜けさせてもらえませんか?」
と学年代表のお母さんにメールした。
折り返し返事が返ってきた。
「いいですよう~」
弟には「母さん、お兄ちゃんの演奏をビデオに撮ってくる。それでいい?」
欽ちゃんは普通の表情で「いいよ」と答えた。
「欽の試合の応援できなくてごめんね」
「うん」


コンサートは部長さんの挨拶からはじまった。
会場となった小学校には大勢の子ども達、保護者の方たちが集まった。
部長さんの楽しく爽やかな話しかけに、小さな子ども達が元気に反応していた。
チェロの向こう側に、エジソン君の笑顔が見えた。
あんな笑顔、久しぶりに見た。

春と秋に行われた発表会に比べて、弦楽部全体の音に厚みが出て、一段と上手くなっていた。
聴く度に「よくここまで…」と感心するが、今回はそれに感動も加わった。
家ではまともに練習しないエジソン君が、真剣に演奏している。
弦を押さえる指がなめらかに動き、大きく使えている弓が、
同じパートの子達の動かす弓と角度まで一緒にさやさやと動く。
いつもかったるそうに傾いている頭が、しゃんと正面を向いている。


コンサートが終わって体育館から出ようとしたら、
口元をゆるめたエジソン君が目を伏せて、私の目の前を、足早に通り過ぎていった。

(3につづく)