核の密約問題で先週のサンデープロジェクトでの各党首の意見を田原総一郎が聞いていたが、自民党と公明党はしらばくれていた。民主党もあまりはっきりした意見を言いたくはなさそうだった。
アメリカの戦略基地のある日本で麻生元首相がアメリカの核の傘のもとに行動するという意見を述べているように、核がアメリカ本土(ハワイ・グアム含む)以外にないとしたら、軍事的にアメリカは出遅れることになる。
空母も原潜も核配備可能である。
ロシアも中国も潜水艦には核搭載型を使っている。
これで原潜回廊の日本海を行ききしているのである。
沖縄の海に核兵器を落とした米艦船があったが、それは嘘だというのだろうか?
tbsnews
元大使秘書官「核持ち込み密約あった」
核持ち込みの密約問題で、ライシャワー元駐日大使の側近がインタビューに答えました。
核兵器を搭載したアメリカの艦船の寄港などを日本が容認する、日米両政府のいわゆる「核密約」問題。
この密約については、60年代に駐日大使を務めたライシャワー氏が、80年代になって、「領海の通過や一時寄港は核の持ち込みにはあたらないので、事前協議はしなくてもよいと理解しているし、日本政府も了解していた」と明らかにしています。
今回、ライシャワー氏の元側近がインタビューに答えました。
「60年にそのような(日米間の)合意があったのは極めて明白でしょう。ライシャワー氏も本に書いています」(ライシャワー元大使の特別秘書官だったジョージ・パッカード氏)
しかし、岩国基地沖に核兵器を積んだアメリカ海軍の艦船が長期にわたって停泊していたことを知ったときには、ライシャワー氏は激怒したといいます。
「彼は即座にラスク国務長官に電報を送り、90日以内に核兵器を撤去しないと、この事実を公表し、大使を辞任すると迫りました。(核の)一時寄港はOKでも何か月にもわたり沖に配備するのは日米安保違反だと考えたのです」(ライシャワー元大使の特別秘書官だったジョージ・パッカード氏)
ライシャワー氏が激怒したという「密約」の範囲を超えた核の持ち込み。アメリカが、核兵器の持ち込みについて本格的に検討していたことを裏付ける文書も見つかっています。
1955年、当時のダレス国務長官から国防長官に宛てた極秘書簡では、「日本には核物質を装填すれば核爆弾になる『核抜きの爆弾本体』と『核物質装てんの爆弾』の両方を配備することが望ましい」とされ、「核抜き爆弾の配備作業はすでに進んでいる」と書かれています。
さらに、78年のアメリカ国防総省の文書には、過去、核兵器が配備・保管された場所の一覧表がついていますが、その中の塗りつぶされた地名は、研究者らの解析によって「硫黄島」と「日本」であることがわかっていて、核抜きの爆弾本体が日本本土に配備されていたと記録されています。
有事には、沖縄の嘉手納基地から核物質が運ばれる手順になっていたとみられます。
核の持ち込みについて問われた河村官房長官は・・・。
「日本の非核三原則は守られている。そのことはアメリカも十分承知している。同盟関係の上で、お互いの信頼の上でやってきている」(河村建夫 官房長官)
(27日23:10)
公明党の支持母体創価学会の見解 ホームページトップ