先日、SNSで顔が削り取られたお地蔵さまの写真とともに、日本にもいたタリバンと書かれていたのを見た。たしかに、バーミアン大仏を破壊した出来事を見れば、サイズ感の違いはあるが、類似した現象が見られたことは事実だろう。
また、海外に仏教美術が多数コレクションされていることは、『
「タリバンと同じ蛮行をした日本人」国宝級の仏像を海外美術館が山ほど所有するワケ』に書かれるように、明治の廃仏毀釈によるとみえる。一方同時に多数の浮世絵などの書画のコレクションもまた海外に秀品が多く見られるのは廃仏毀釈によるものではないのではないか。とすると、日本発の美術品コレクションが海外に多数あることは、廃仏毀釈と言うにとどまらず、明治維新の持つ歴史的な意味を今一度再考することが望ましいといえるだろう。
・「神宮寺(じんぐうじ)」の廃絶
・「宮寺(ぐうじ・みやでら)」の神社化
・「権現」号の禁止
・「牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)」の社号変更
この過程の中で仏像などが毀損され、寺院が破却されたことの背後に、政府による民間「信仰」の破壊があったとする。その傍証は、その後の神社の合祀令および官幣大社などの神社の格付けによる序列化(まさに、国教化であろう)によって、全国の名もなき社が統廃合されて失われていったことでもわかるだろう。つまりは、天皇の神格化と人民の「赤子化」とでも言うべき現象が起きていたのだ。その意味ではタリバンのバーミヤン大仏の遺跡破壊などは、現在も続くタリバン復権後のアフガニスタン各地でのISの破壊活動と考え合わせると別の側面を持つことがわかるだろう。
実際の廃仏毀釈は、地元の住民が仏像や仏具、仏画などを隠し持ったり、近隣の寺に運ばれたりして、現在も多くの寺院が生き残り、さらには、おおくが復活したことが知られている。このことは、人々が明確に意識したかどうかはおくとしても、自らの信仰を守ることに繋がり、明治から昭和初期にかけての日本社会の動向に対するささやかな抵抗と見ることもできるだろう。
著者の言うように、神社仏閣を訪れるたびに廃仏毀釈に思いをはせながら、残された建物や仏像を拝見することは、たいへん意味深いことと思われる。