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『病魔という悪の物語:チフスのメアリー(ちくまプリマー新書)(電子書籍)』

 
原著は2006年に初版として出版されたようだが、コロナ禍にあわせて電子書籍として再発行されたようだ。本書に描かれているように、得体のしれない(と人々が考える)病原体に対する恐怖が生み出す様々な物語は、現代も形を変えて様々繰り返されていることがわかる。人類はいかにこれを克服できるのだろうか。

本書が取り上げた「チフスのメアリー」ことメアリー・マローン(1869-1938)は、チフスの健康保菌者(無症状キャリア:病原菌に感染しているものの発症せず、彼女の周りに感染者を増やす)として数十年に渡って監禁状態に置かれた。悪いことにチフス菌を含むサルモネラ菌は主として経口感染によってひろがるが、不幸なことにメアリーはアイルランドからの移民としてアメリカ大陸に渡ったあと、家政婦として働き、彼女の料理によって感染が広がった。

そもそも、腸チフスの原因菌の発見は、1880年代に至ってのことであり、メアリーのニューヨーク到着が1883年、料理人として働き始めたのが、19世紀末から20世紀初頭のことと、時期を同じくしていた。当時ニューヨークでは、腸チフスが蔓延しており、彼女の周辺だけでも数十名の患者が発生していた。衛生士のソーバーのおこなった疫学的な調査によってメアリーがあぶり出された。メアリーは発症したことがないにも関わらず、保菌者であることがあきらかになり、健康保菌者であることが明らかになった。彼女の死後、解剖の結果、彼女の胆嚢にはチフス菌の感染巣があり、胆汁を通して腸内にチフス菌が排泄されていたことが明らかになったという。ということは、同じような感染によってメアリーと同様の健康保菌者がいた可能性がいることが想像できる。

昨今のコロナ禍においても、無症状ではあるが、PCR検査によって新型コロナウィルスキャリアであることが明らかになった患者が報告されているが、まさにこれに当たる。さらに、今回のコロナ禍においてはPCR検査の結果の判別確率が100%というわけにはいかず、陽性/偽陽性・偽陰性/陰性の判別には確率的な問題があることも背景にある。無症状キャリアの存在が、感染症の流行にとって重要な課題となることは言うまでもない。そして、こうした無症状キャリアが自覚なく社会的活動を継続することによって、感染ルートの解明が困難になっていると言えるだろう。

さて、健康保菌者であるメアリーの身の上に起こったことである。彼女は長期に渡って隔離されたとはいえ、彼女自身にはなんの罪はなく、チフス菌も彼女にとくに手加減したわけでもない。彼女の免疫体質あるいは感染状況がそのような状況においていたということに過ぎない。ということは、同様の患者があ彼女だけではなく、たまたま、やり玉に挙がったということでもあるだろう。しかし、それにも関わらず、メアリーは長期に渡る隔離を余儀なくされ、社会的生活を営むことができなかった。コロナ禍においても、類似現象が数多く報告されている。感染者が感染したことを公言できない、感染者が回復したとしても、差別がある。職場復帰が拒否される。あるいは、誰が感染しているか不明であるからと言って、「自粛」を他者に強制する自粛警察が現れる。こうした現象はまさに、メアリーが追い込まれた状況と類似の現象である。他者に対する社会的寛容性と医学的な処置とは異なるはずである。我々はそのことをよく理解しコロナ禍で生きていく必要があるといえるだろう。

たまたまではあるが、2021年2月21日付の日経新聞朝刊に「感染症、人間関係をつく:拡散しやすい構造、数学で判明」という記事が掲載され、人間関係のあり方の進化(変化)が感染症の広がりに大きく影響していることが紹介されている。人類はもともと家族や親族などの限られた人間関係の中で暮らしていたが、地域社会や国家の誕生、さらにはグローバリゼーションの広がりによって、大きく人間関係のネットワークが拡散することになった。

この記事では触れられていないが、「エルディッシュ数」を思い出した。数学者のポール・エルディッシュ(1913-1996)は生涯にわたって500人以上の共著者と1500篇以上の論文を発表したことで知られている。そこで、エルディッシュとの距離を示す数として「エルディッシュ数」が考えられ、エルディッシュの共著者に対して「エルディッシュ数1」が与えられ、彼の共著者と共著があれば「エルディッシュ数2」が、さらに「エルディッシュ数2」の著者と共著があれば「エルディッシュ数3」があたえられという具合に、以下、「エルディッシュ数」が増えていく。これが、記事でも触れられるスケールフリー・ネットワークの理論だ。つまり、社会的ネットワークの広がりを表す数学モデルを用いて感染の広がりを予測することが可能であるというのが、記事の中身だ。

(関連して『新ネットワーク思考:世界のしくみを読み解く』https://blog.goo.ne.jp/sig_s/e/b4209db10606318d66f27947481634e6

じつは、「チフスのメアリー」こそが数学者エルディッシュに該当する。感染症に関連する用語で言えば「スーパー・スプレッダー」ということになる。さらに、社会のノード(結び目)として、多くの人々とネットワークをもつ存在、ネットワーク社会では「インフルエンサー」という言葉も思いつく。プラスの影響を社会に与えようと、マイナスの影響を社会に与えようと、こうした、社会的存在は、現代社会においては重要な役割を果たしている事がわかるだろう。そのことを踏まえると、現代版「チフスのメアリー」をどのように遇すればよいのだろうか。われわれは、よおく考えなければならない。



2021-02-21 11:30:03 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


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