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South Is. Alps
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Coromandel, NZ
Square Kauri
Square Kauri, NZ
Lake Griffin
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紅焼肉白菜(ホンシャオロウパイツァイ)

下記のウェッブでおいしそうだったので参考にさせていただきました。
紅焼肉(ホンシャオロウ)(前夜に作りおいた。下記のレシピと若干違う点がある。ばら肉を4-5センチ角ほどに切っておく。中華鍋に白ねぎを敷いてその上にばら肉を乗せ、ふたをして、蒸し焼きにする。ねぎの汁と油が出てくるので、これを煮詰める。鍋の中央を空間を空けて、キビ砂糖をいれ薄いあめ色になるまでにつめる。材料を返して、これに絡める。深鍋に移し、ねぎをとりさる。ねぎにしみこんだエキスを搾り出すようにするとよい。紹興酒、少々の水、中国醤油、八角、しょうが、にんにく、赤唐辛子をいれてとろ火で煮込む。あまり、醤油辛くしないほうがいいと思う)
紅焼肉白菜(ホンシャオロウパイツァイ)(白菜8分の一を1センチほどの幅で切って鍋に入れ、紅焼肉の半量をのせ、紹興酒少々と濃口醤油少々を加えて煮込む。豆腐があったので、これに加える。白菜から水分が出てくる。辛さを調整する。ほうれん草を湯がいて添える。卵麺を湯がいて添える。好みで麺やほうれん草を紅焼肉白菜と絡めて食する)
時間はかかるが、時間を掛けただけ、とてもおいしかった。

Letter from Yochomachi > 牛込・四谷周辺B級グルメ >:今日の亭主の特別料理「紅焼肉白菜(ホンシャオロウパイツァイ)」:http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C873682283/E20061203142210/index.html
Letter from Yochomachi > 牛込・四谷周辺B級グルメ >:柘榴園別館:今日の亭主大成功自作手料理「紅焼肉(ホンシャオロウ)」:http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C873682283/E20050813204025/index.html

2006-12-06 21:27:23 | 夕食・自宅 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


ピアイルクのアウトリガー・カヌー

前項のピアイルクのナビゲートするサタワル島のアウトリガー・カヌー。

2006-12-06 16:29:33 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


『星の航海術をもとめて:ホクレア号の33日』

ウィル・クセルク、2006、『星の航海術をもとめて:ホクレア号の33日』、青土社

本書は、1976-1980年にハワイ・タヒチ間の伝統的航法による公開を成し遂げた「ホクレア」号のハワイ人航海師ナイノア・トンプソンの航海技法習得の過程に焦点をあてて描いたものである。1976年の第一回航海ではミクロネシア・サタワル島の航海師マウ・ピアイルクがナビゲータをつとめ、ハワイ・タヒチ間5,500キロメートルの航海を成し遂げている。ナイノアは、1980年の往復航海において、伝統的航法による航海を主導したのである。

ホクレア号はハワイの伝統的な双胴船で、現代的な材料で建造されるが、大三角帆を二枚たてるというポリネシアの艤装を用い、航法機器(レーダーや海図、コンパスなど)は装備していない。伝統的航法とは、本書のいう「ウェイファインディング」という星座と太陽、月、惑星の運動、風、波、海流、海鳥の飛行、その他の自然情報を総合的に判断して行うものである。
ハワイの人びとは他のポリネシアの島々とは隔絶した地に彼らの伝統的航法を用いて到達したのである。それは、考古学的証拠により、約千年前の頃であったという。
太平洋の島々に人々が住むためには、彼らの造船術や航海術によらねばならないが、彼らが隔絶した島に到達するには二つの学説があった。その一つは、偶然的な到達であるとするもので、有名なハイエルダールによる「コンチキ」号の航海によって証明されたとされるものである。南米からタヒチに風任せ、海流まかせでたどり着いたこといよっている。
しかし、ハワイに偶然到達することは、相当困難である。赤道の南北には反転する海流や無風帯が存在し、偶然的な航海で南北の航海を行うことはできないのである。
そして、もうひとつの学説は、意図的な航海によるというもので、「ホクレア」号の航海によって彼らの海洋に関する自然の知識が、遠洋航海と遠隔地の島嶼への到達を可能にすることが証明されたとするものである。

実は、私は、1979年6月から翌年3月にかけて、ミクロネシアのカロリン諸島のエラート環礁で過ごしたのだが、このとき、ピアイルクが率いるカヌーがサイパン島からサタワル島への途上、立ち寄った。彼ら一行は、7月1日から3日まで滞在している。この項の写真中央奥で右を向いて座っているのが、ピアイルクである。彼は、既にホクレアの第一回航海を終え帰ってきて数年経ったところで、この年の9月にハワイに行って、その後、1980年のハワイ・タヒチの往復航海に乗船していることになる。
本書の主人公は、もちろん、ナイノアであり、彼による伝統的航海法の再現なのであるが、かれに重要なアドバイス(あるいは示唆)を与えたのが、ピアイルクなのである。本書を読んで、ピアイルクとであったことを思い出し、古いフィールドノートをひっくり返すことになった。ピアイルクのオーラを出すような落ち着きと彼のクルーたちの尊敬のこもったまなざしが印象的であったことを思い出した。ついでながら、苦い思い出の多い若気の至りのフィールドワークを思い出すことになった。

どうもホクレアは、ブームらしい。ホクレアが日本にやってくるのだとか。
ホクレア号航海プロジェクトニュース:http://www.gohawaii.jp/hokulea2007/



星の航海術をもとめて:ホクレア号の33日
青土社
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2006-12-06 15:43:10 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )