goo blog サービス終了のお知らせ 
South Is. Alps
South Is. Alps
Coromandel
Coromandel, NZ
Square Kauri
Square Kauri, NZ
Lake Griffin
Lake Griffin


外食・カレー(池下・シャティ

ナスのカレー、卵のカレー、ほうれん草とチキンのカレー
フィッシュ・ティッカ(白身魚のタンドリ釜焼き)
プレーン・ナン、チャパティ
以前は、大学院の後輩(インド研究者)に教えてもらって、そのインド仕込みのカレーのレシピにしたがって作っていたのだが、3-4年前にこの店ができて、時々出かけるようになってからは、さっぱり作らなくなってしまった。この店では、カレーの辛さが選べる上に、マイルドにこなれたスパイスにはかなわない。辛さは1から9段階まであって、4が普通とのことで、今のところ、6止まりだけれど、たぶん、まだ、大丈夫。とりあえず見つけたこの店を紹介するウェッブサイトは以下の通り。
http://itp.ne.jp/servlet/jp.ne.itp.sear.SBSSVRegInfoDisp?id=TO0000103000000091&Media_cate=populer

2004-05-09 22:19:23 | 夕食・外食 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


読了・在日

姜尚中、2004、『在日』、講談社
姜尚中の「在日」は、同世代に生きる一人として、経験した歴史を共有したという実感を込めて読むことができた。もちろん、かれの「在日」としてのアイデンティティに関わる苦悩を全面的に共有することは不可能なのだが、逆方向で、共感する部分が多かった。
私の生まれ育った現在の東大阪市は、「在日」の人口が大きく、また、住まいとはほんの100メートルばかりのところにかれらの集落があって、子どもの頃から一緒に遊んだり、今から思えば、ひどい差別的な言辞を弄しつつ、彼らとつきあってきた。
また、小学校や中学校の同級生たちも、当然のように「在日」が大勢いた。大学に入ったとき、小学校の同級生と突然で会う。懐かしい思いで、「**」と彼の日本姓で呼びかけたとき、「俺は*だ」と本姓の指摘を受け、自分自身の在日問題にたいする自覚のなさを恥ずかしく思うと同時に、困惑した。
彼の本姓を知らなかったのだから、私は、彼のことをその名で呼ぶことはできない。私は、彼のアイデンティティ表象として「日本姓」しか知らなかったのだから。しかし、こうした齟齬は、典型的な差別のひとつだろう。知らなかったということは、なおさら始末に悪い。今考えると、私がその友人に声をかけるとき、「僕は君を**と覚えているが、どのように呼んだらいいのか教えてくれ」とでも、言うべきであったのか。残念ながらその友人とは大学卒業以来、30年以上も出会っていないのだが、もう一度あって話してみたい気がする。
姜尚中は大学生の時、日本姓の「永野鉄男」を捨て、「姜尚中」になった。中学以来の彼の吃音も、そのことによって、いやすことができた。アイデンティティの再確立。しかし、その彼も、父の墓標を日本姓で刻むことを決意する。父も、生前、墓を第二のふるさとの熊本に建てることに同意をしていた。また、彼自身の子どもを名付けるとき、韓式の命名法ではなく、日本式に親の名の一字をとってつける。
姜尚中が現時点で行き着いた新たなアイデンティティは、日韓問題を超越する。それは、『プロジェクトとして「東アジアにともに生きる」』ということであった。アイデンティティの危機を経験して初めて、彼のこの概念に行き着くことができると思うが、きわめて貴重な視点として心しておきたい。

2004-05-09 14:19:21 | 読書 | コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )