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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

昨日から「やさしさの精神病理」

2025年05月12日 21時56分45秒 | 読書

   

 昨日から読み始めたのは、「やさしさの精神病理」(大平健、岩波新書)。一昨日、書店の新書コーナーで精神医療関係の本を探していて見つけた。精神科医による1995年刊行の新書である。
 本日は読む時間的なゆとりはなかったものの、昨日序章「過剰な“やさしさ”」と第1章「“やさしい”時代のパーソナリティ」、第2章「涙のプリズム」を読み終えた。

 本書を読んで確かに1990年代には“やさしさ”が強調されていた記憶がある。当然にも私はその言葉の氾濫に違和感が強かった。私はいつの時も「流行り」言葉に大きな違和感を持つのが常である。常に私の持つ語感と、流行る言葉がもたらされる意味合いに大きな齟齬をきたすのである。また私の持つ語幹と違う言葉を入口に、不思議な言葉の世界に迷い込んでしまう。流行り言葉とはこういうものか、といつも私はその言葉の使い方を無視し、生きてきた。あえてその言葉を頼りに、社会の病理にたどり着こうなどとは考えも及ばなかった。
 
 第1章に取り上げてある4つの症例ならぬ事例は、相談者自身にとって重要な契機を「忘却」し、その代わりに他の事例を口実として浮かび上がらせるという逃避の事例でもある。一般的には大人になり切れていない、あるいは人間関係がうまく取り結べない人々、と判断されてしまう事例である。
 そこから社会の病理をどのように抉り出そうとするのか、興味深い。
 第2章の症例で次のような見解が示されている。

彼らの“やさしさ”は“一見やさしい”人や“やさしそー”な人、“やさしい感じ”の人をも含む「集団」との「協調」を目指していたのです。‣‣‣「やさしさ」がはやりの価値になったのは、六十年代後半の学園闘争時代のことのように思います。男も「やさしく」なければならなくなったのは、確かにあの頃です。‣‣‣違いは「やさしさ」が相手の気持ちを察するのに対し、“やさしさ”が相手の気持ちに立ち入らないことです。‣‣‣“やさしい”人々は、熱い人間関係が苦手のようです。「熱い思い」を伝えたり伝えられた利するのが嫌いです。反・熱血主義なのです。」(第2章「涙のプリズム」)

 六十年代の「連帯」の持つ「やさしさ」と、90年代の“やさしさ”を「熱血主義」と断定してしまうのは少し違和感はあるものの、否定はできない。「連帯」の「やさしさ」が相手の人格否定につながる場合があるという背理のような時代を垣間見た90年代の人々の“やさしさ”の持つ「踏み込まない」人間関係の持ち方という把握・結論は、興味深かった。


 まもなく引っ越します。「https://shysweeper.hatenablog.com/」(同じく「Fsの独り言・つぶやき」)。
 引っ越し後も引き続きご訪問ください。

 



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