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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「死者の贈り物」(長田弘)

2025年05月27日 22時03分18秒 | 読書

   

 午前中は、「日経サイエンス5月号」の特集記事から「リュウグウが語る太陽系惑星の起源」と「アルマ望遠鏡で迫る惑星誕生の現場」を読んだ。
 午後からは昨日に続いて長田弘の詩集を引っ張り出してきた。「死者の贈り物」(ハルキ文庫)を再読。
 2003年に刊行されたこの詩集の「あとがき」に長田弘は「『死者の贈り物』にどうしても書き留めておきたかったことは、誰しものごくありふれた一個の人生に込められる、それぞれの尊厳というものだった。ひとの人生の根本にあるのは、死の無名性だと思う。」と記している。
 本日は前半の11編を読んでみた。いく枚もの付箋が貼ってあるが、3編から抜粋。


 渚を遠ざかってゆく人

・・・・
波打ち際をまっすぐ歩いてくる人がいる。
朝の光りにつつまれて、昨日
死んだ知人が、こちらにむかってあるいてくる。
そして、何も語らず、
わたしをそこに置き去りにして、
わたしの時間を突き抜けて、渚を遠ざかってゆく。
死者は足跡ものこさずに去ってゆく。
どこまでも透きとおってゆく
無の感触だけをのこして。
・・・・

 三匹の死んだ猫

・・・・
生けるものがこの世に遺せる
最後のものは、いまわの際まで生き切るという
そのプライドなのではないか。
雨を聴きながら、夜、この詩を認めて、
今日、ひとが、プライドを失わずに、
死んでゆくことの難しさについて考えている。

 箱の中の大事なもの

・・・・
愛するということばは、
けれども、一度も使ったことはない。
美しいということばを、口にしたことある。
静かな雨の日、樹下のクモの巣に
大粒の雨の滴が留まっているのを見ると
つくづく美しいと思う、と言った。
どこの誰でもない人のように
彼はゆっくりと生きた人だった。
死ぬまえに、彼は小さな箱をくれた。
「大事なものが中にはいっている」
彼が死んだ後、その箱を開けた。
箱の中には、何も入っていなかった。
何もないというのが、彼の大事なものだった。

 私は最初の詩の「わたしの時間を突き抜けて、渚を遠ざかってゆく。/死者は足跡ものこさずに去ってゆく。」というところにとても親近感を覚えた。死んだ友人、まだ生きているが連絡の取れなくなっていても無性に会いたくなる友人を思い出したとき、こんな感覚に襲われたことが幾度かある。
 その友人たちは、常にふと私の元から気が付くといなくなっていた。そしてそれが不思議に私の心に刻み込まれる足跡なのだ。その足跡は私の身体にわずかな痕跡も遺さずに突き抜けていく。突き抜けたという感触すら曖昧なときもあるが、確かに突き抜けていったのだ。この年になるとそんな感触が繰り返される。そんな友人たちが増えてきた。
 長田弘の詩は、そんな痕跡や感触を私に思い出させてくれる。


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