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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

山に柴刈り・川に洗濯

2024年01月19日 19時40分33秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日に続いて暖かな日になり、午後から一番薄いダウンのジャケットを着て出かけた。昨日よりも最高気温は1℃ほど低い14.2℃。低いと言って3月中旬並みの気温ということで、平年よりも高かった。本日も帰りのバスの中では汗ばんだ。
 私は百円ショップで親に頼まれた小物を購入するために横浜駅の地下街へ。その後、地下鉄で整形外科に出向いて左右の膝にヒアルロン酸注射。さらに横浜駅までもどり、喫茶店で一服と読書タイム。
 妻は私の親に頼まれた食材と、我が家の食材の購入のために他の駅の近くのスーパーまで自転車で出かけた。
 恥ずかしながら「おじいさんは山に柴刈りに行くも、途中でサボり。おばあさんは川に洗濯へ、ただしサボることなく荷物を抱えて帰宅」といういつもの行動パターン。

 昨日は木星と月が見かけ上の接近の日であったが、雲が空一面にあり、見ることは断念。本日は夕焼けが美しかった。


「近代美学入門」第3章から

2024年01月18日 21時45分53秒 | 読書

   

 「近代美学入門」(井奥陽子)の第3章から。気になったところを引用してみる。
 「いくら言葉を尽くしても理由を言い当てることが出来ないのが、美しいという感情です。何かを純粋に美しいと感じることはは、それが何であるか(概念)や何のためにあるのか(目的)にもとづいていない、とカントは言います。」(第4節)
 「普遍性を実際に持つわけではないけれども、普遍性を要求する、というのが美の特徴です。道徳も感覚も美も、心地よい感情を引き起こします。しかし道徳は客観的で、普遍的です。感覚は主観的で、普遍的ではありません。美は主観的であるにもかかわらず、普遍的であるかのように私たちは期待します。」(第4節)
 「カントの主観主義美学の功績は、美を道徳から切り離したことにあります。道徳的によいものが美しくそうでないものは醜い、という美が善に従属する関係が否定されました。・・・真と善と美が対等に並べられるようになり、このフレーズが人口に膾炙したのは、19世紀のこと。カントは道徳だけでなく、美の条件とされることが多かった機能性や有用性からも美を解放し、美の自律性を強調した。・・・・美の自立性は、19世紀をとおして強調されていきます。フランスとイギリスの文芸を中心に「唯美主義(耽美主義)」と呼ばれる潮流が生じました。」(第5節)
美の自律性は、芸術の自律性に直結します。芸術の自律性とは、芸術が道徳や宗教や政治などに縛られないことを言います。・・・・美や芸術の自律性が主張されるようになったのも、たかだか250年前のことです。そうした価値観が近代の産物であるということに自覚的であったほうがよい、ということです。」(第5節)
しかしながら、主観主義美学に基づいた美の自律性がときに常識か普遍的真理かのように語られることは、近代美学史に携わる身としては危うさを感じる。まず、美の政治性について。美や芸術に携わる人は、どのような場面であっても政治や道徳に無関心でいてよいのでしょうか。美を理由にすれば何でも正当化されるのでしょうか。もうひとつ指摘しておきたいのは、私たちが何を美しいと感じるかは、後天的に方向づけられる部分があるという点です。その感じ方は文化や制度によって形づくられる可能性があります。美の感じ方は、社会的に形成された規範が無意識のうちに内面化してしまっているものではないか。それが自身や他人を苦しめるものになっていないか、振返ってみても良いかもしれません。」(第5節)
 以上第4節と第5節から長々と引用した。

 何かが欠落している。ようやくモヤモヤが少し形を作って見えてきた。
 第1点目、それは「鑑賞者の主観、そして多くは直観によって美として判断されてしまう」ことへの違和感である。誰もが初めてある作品に接したときに、「どこが美しいのか」という違和感を持つ場合がある。特に古代や近代以降の作品などを見たときに思うことが多々ある。
 不思議なことに、それらの作品も幾度も見ているうちに気に入って「美しい」と思うようになる場合や、作品の時代背景、作者の思いを知ることで、「美」として認識する場合がある。これは「社会的に形成された規範が無意識のうちに内面化した」事例とは違う。
 普遍性を、鑑賞後に手繰り寄せて、体得してから「美」として感じるとい迂回路があるはずである。
 第2点目、芸術の政治性についてである。本書ではナチスのプロパガンダ映画「オリンピア」を作成したリーフェンシュタールについて、上記のような批判を記載しているが、翻ってピカソの「ゲルニカ」や、ゴヤの「マドリード、1808年5月3日」などの政治性の強い作品についてどう評価するのか、も問われる。私はピカソやゴヤの作品に「普遍性」への強い意志を感じると同時にそれを獲得している作品として評価をしている。美が主観や直感だけではなく、人間が生み出した国家や政治、戦争というものとの確執を普遍的なものとして今も見せ続けている迫真力に人は感動すると思っている。一方で時代背景がわからなければ、理解できないこともある。「オリンピア」にはそのような普遍性への志向はどうだろうか。感じ方はいろいろである。
 この2点に注目しながら、これからの第4章、第5章でどのように筆者が回答しようとしているか、着目して読み続けたい。

    


眠気とモヤモヤ

2024年01月18日 17時48分18秒 | 読書

 12時過ぎに講座が終わってから、みなとみらい地区で昼食を取ろうとしたが、安くて電子マネーが使えるところはどこも満員。横浜駅まで歩き、フードコートでつけ麺で昼食。しかし量が多すぎて、少し残した上に満腹で頭がまわらなくなり、喫茶店で読書しているうちに寝てしまった。あまりページが進まなかった。喫茶店で少量のサンドイッチでも食べたほうが良かったと反省。若い人がもりもり食べるところは遠慮するべきだった。

 「近代美学入門」(井奥陽子)の第3章は読み終えた。いろいろと疑問が湧き上がるのだが、次第にその疑問に答える個所が出てくるかもしれないので、とりあえずはそのまま読み進めている。もやもやが膨らんでくる。

 最高気温が15.2℃にもなった。帰りのバスの中ではダウンのジャケットを脱ぎたかったが、狭いシートなので、身動きが取れず我慢。額に汗が滲み出た。
 


読書タイムと美術鑑賞講座

2024年01月17日 22時06分58秒 | 読書

   

 横浜駅近くの喫茶店で週刊誌等を購入したのちは、読書タイム。「近代美学入門」(井奥陽子)の第2章「芸術家 -職人から独創的な天才へ」の第3節の途中から、第3章「美 均整のとれたものから各人が感じるものへ」の第3節の途中まで読み進めることが出来た。
 まだ引用したい個所には至っていない。
 初めは静かで順調に読み進めた。もう少し読もうとしたのだが、隣の席のワイワイガヤガヤに負けて、途中で読書は断念した。喫茶店での読書タイムである以上、やむを得ないと割り切るしかない。
 早めに店を出て、頼まれた食材を購入して帰宅。

 明日の午前中は神奈川大学の講座を受講しにみなとみらい校舎まで出かける。講座は全3回の「比べて楽しむアート鑑賞」(講師:中村宏美氏)。第1回目は「風俗画の東西 人々の暮らしを描いた記録画の東西」となっている。
 毎月1回の講座である。楽しみにしている。


久しぶりに週刊誌購入

2024年01月17日 20時52分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は昨日とは違って風は弱く、暖かくすら感じる日となった。12℃もあった。最高気温となる前、13時半頃、横浜駅まで出かけた。

 珍しく週刊誌を2冊購入。能登                                                              半島地震と原発、そして羽田空港の事故の記事を求めて、週刊文春とアエラを購入した。
 ざっと目をとおしただけだが、災害対策・備蓄・対応の問題点、原発の避難計画の問題点、デマ情報の問題、そして羽田空港の過密の指摘など、私の主張についても触れられている。これからじっくりと読みたいと思っている。

 しかし週刊誌を購入したのは何年ぶりであろうか。退職後には購入した記憶がない。退職以前にもなかったような気がする。


29年目

2024年01月17日 19時35分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日は阪神淡路大震災から29年目の1月17日。当時の未明の大惨事に対する驚きを今でも忘れることはできない。当時何をしたか、労働組合として何ができたか、などについては幾度も記載した。あらためて記載することは今回はしないが、記憶を反芻はするようにしている。災害に対する私の意識もずいぶん変えられた。
 また当時の私の経験や振る舞いがすべて的を射て、正しいものだったとはとても言えない。その当時の労働組合の対応の経験を少しでも若い組合員に伝えたいと思っている。また自身の災害対策にも生かしたい。

 被災したかどうかに関係なく、当時の自分があの惨事を見て、どう感じたか。そのときにたとえ何かを感じなくとも、少しずつ事態の大きさに気がつき始めたことも含めて思い出すということはとても大事なことだと思う。各地で追悼の催しもあるし、語り継ぐということも行われている。またあの経験を生かした法律・政令などの法整備も行われた。
 しかし、その後の東日本対震災や熊本地震、その他のさまざまな災害、そして今年の能登半島地震に当時の経験が生かされているか、というと残念ながら、経験は生かしきれてはいないようだ。

 現在、能登半島の被災地で対応している方々の努力には、心底頭が下がるが、肝心の国や県のトップ、政府や政治家の意識や対応は甚だ疑問である。
 危機管理のときこそ組織のトップや、政治家は真価が問われる。そのような覚悟が希薄である組織のトップや政治家には早々に退場してもらいたいし、退場させたいものである。私たちは身近な組織のトップ、政治家の言動をしっかり監視する必要がある。

 


木星・月・土星

2024年01月16日 22時58分42秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 夕食前と夕食後の2回に分けて5000歩ほどのウォーキング。夕食前は月はかなり高く、西空の土星に向かって月がお皿のように地平線に向かって落ちていった。夕食後は土星は沈んでしまい、天頂付近の木星に吊るされた天秤のお皿のような月がかなり地平線に近くまで落ちていた。本日は月例5の月。明後日はもっと太って半月。上弦の月である。
  外の気温は5℃と低かったが、昼間と違い風がほとんどなくなり、寒さは感じなかった。それでも低温注意報は解除されていない。

 午後に続いて「近代美学入門」(井奥陽子)の第2章「芸術家 -職人から独創的な天才へ」の第3節の途中まで読み終えた。
 ちょっと教科書的な内容なので、予想と違った。少なくとも今読んでいるところまで、あるいは第3章「美 -均整のとれたものから各人が感じるものへ」までは復習のようなつもりで読むつもり。それでも新しい知見も点在しているので、乱暴には読み飛ばせない。
 教科書というのは分かっているようで、読み飛ばすと反省する破目になる。


強風・低温注意報

2024年01月16日 17時23分20秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日横浜市域には、強風・波浪・乾燥・低温注意報が出ている。14時少し前に親の通院の付き添いをしたら、冷たい北風が余りに強く驚いた。16時の外の気温は6.2℃。最大瞬間風速も18mを越えていた。

 帰宅後、少し気力が湧いてきて「近代美学入門」の読書を30分ほど。あと少し10頁程で第1章「芸術 -技術から芸術へ」が読み終わるが、残りは食後にして、いったん中断。

 これより昨日の会議の書類の整理と、スケジュール帳への記入の作業。

 病院まではタクシーを利用したので、本日はまだ500歩も歩いていない。入浴前にウォーキングで出てみたいが、風がおさまっているだろうか。


二日酔いではないが・・・・

2024年01月16日 11時16分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 昨日はワイワイガヤガヤとだいぶ飲んでしまった。まずは組合の会館で、軽くワンコインでビールと焼酎の水割りを各1杯。つまみは鮭の中骨の缶詰と、鰯の缶詰。ワンコインにしては贅沢なつまみであった。15人ほどが参加。そののち、退職者会の某ブロックの新年会に合流し、20数名で宴会。うどん店だが、コース料理は手が込んでいて美味しい。最後は鴨南うどん。お酒はビール1本とハイボール3杯。ハイボールの最後の1杯が私のアルコール分解能力を越えていた。
 帰路はタクシーなど使わず、電車を乗り過ごすこともなく、帰宅。風呂にもはいらず、シャワーも浴びずに、着替えも満足にせず、布団にくるまって9時まで就寝。
 5時以降1時間おきに4回で白湯合せて4合を飲んでは、排尿を繰り返した。水分の補給は欠かさなかった。
 一応、毎晩飲まなくてはいけない降圧剤等の薬は服用して寝た。しかし朝の血圧は高め。いつも飲み過ぎた朝は血圧が高かい。
 朝食後、薬を服用してから、朝のシャワー。最初は風呂場の床が冷たいので、マットを敷いた。時間をかけて体を洗っていると風呂場が温まり、爽快な気分が戻って来た。
 頭痛などの症状はないが、昨日の書類の整理、日程のスケジュール帳への書き込み等の気力は湧いてこない。お茶をゆっくりと飲みながら、テレビのミステリーと街歩きの番組をボーッと見ていた。

 午後からは親の通院の付き添い。それまでにはもう少し回復していたい。


早起き

2024年01月15日 08時25分00秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 何とかいつもより1時間も早い7時半に起床出来た。記念に記しておきたい。昨晩の就寝時間はグズグズしているうちに2時を過ぎてしまった。登山をしなくなってから、こんなに早く起きた記憶は皆無。昨日ほどではないが、本日の朝は寒い。終日5mほどの北風が吹き、11℃との予報。

 これより持参する資料の点検をしてから、外出。


刺さって「痛い」棘

2024年01月14日 23時16分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 本日の午前中は団地の管理組合の諮問機関の会議。会議後、1時間ほどの作業。昼食休憩と退職者会の若干の事務作業ののち、横浜駅近くのいつもの喫茶店で読書と、有隣堂での立ち読み&棚の物色。物色といっても購入はせず、眺めるだけに等しい。立ち読みは数冊だけ。
 そのまま頼まれた買い物を1点購入し、帰宅。

 15時過ぎに最高気温11.5℃とのことで、昨晩の寒さに比べると格段に暖かく感じた。

 先ほど夜のウォーキングを3000歩ほど。空には雲もなく、月ももう沈んでおり、木星も西空にかなり低く見えた。土星と月が接近して見える日であったのに、見損なってしまった。木星から少し天頂付近にあるおうし座を建物の間に見つけようとキョロキョロしながら歩いた。家の傍でようやく見つけてそれとなくホッとした。

 明日は8時半に家を出て、労働組合の会館に9時過ぎにはついていたい。打ち出した資料を人数分コビーしなくてはいけない。退職者会の役員会と幹事会。
 そしていつものように16時過ぎまで会議と作業の連続。さらに18時から他のブロックの新年会におよばれしている。呼ばれているといっても会費は当然払う。本年第1回目の新年会である。
 あといくつ新年会があるやら。最後は2月4日の「新春の集い」である。結局12月の忘年会から2月初めまでの新年会、飲むための理由づけでしかない、というのが妻の棘ある嫌味である。


読了「奇病庭園」(川野芽生)

2024年01月14日 20時55分19秒 | 読書

 昨日「奇病庭園」(川野芽生)を読み終えた。自分よりも何十歳も若い人の小説を読むということは40代以降まったくなかった。なかなかおもしろく読ませてもらった。小説だから「気になった個所の引用」というよりは、「気に入った表現」ということでいくつか引用してみる。

言葉とはもっと深く惜しまれて出て来るもの、苔を伝って滴り落ちてくる雪解け水のように、きわめて貴重なものとして一滴一滴搾り出すように出てくるもの。そうして、与えられた痛みの意味も理解しなかった。」(翼について)
 言葉に対する作者の繊細ながら独自の感覚が滲み出ている。

特別に誂えられた轡と手綱、鞍と鐙で締めあげられ、笞で駆り立てられて、彼は〈本の虫〉を背負って走った。彼の岩乗な体躯は、荒くれ者の〈本の虫〉の乗馬に向いていた。道具として隷従する不自由と、全力を解き放って走る自由、あるいは自由の不安と、服従の愉悦が、彼のうちで手を取り合った。」(蹄について)
 政治的に言ってしまえば、支配されることへの安住、奴隷の言いわけ、となるが国家や集団の中に自己を投じて「自由」であるということの幻想に踏み込んで叙述しようとする意欲は空回りはしていない、と感じた。

思念と詞とを乳として彼は育った。・・おのれのものと他者のものとの区別のないやや焼きが渡ってった。・・・・防波堤に押し寄せては追い返されていく波のように、少年の内なることばは決して岸を侵さなかった。ことばが胸に開いたその瞬間に相手に伝わらないことが、彼には理解できなかった。かれには目の前によぎっていく月白の蝶のように、野を埋め尽くす紅い雛罌粟のようにはっきりと見えているのに、他の誰にもそれは見えないらしかった。」(金のペン先)
 「言葉」が「詞」「ことば」になった理由はわからないが、内なることばへの馴致と、発せられる言葉に対する違和感、これは是非とも今後もこだわって欲しい。

誰か一人だけ選んで命を取っていいといわれたら、迷わずあの人を殺すわ。そうしたらようやく、深く眠れるような気がするの。・・・・だれのことも憎んだことがない者は、だれのことも愛していないのですって。あたしはすべてを愛していたけれど、憎んだことはなかった。」(翼についてⅡ)
 ちょっと若い人向けのアニメの世界なのか、と思わせながら、時代に即した「教団」という集団の内と外の論理に踏み込もうとしていることを感じる。成功しているか否か、もう少し次回作以降での展開に期待したい。

触角は目や耳よりもはるかに多量の、そして微細な情報をその持ち主に伝達した。触覚で花に触れれば、花の柔らかさや色彩、味や香りが、くらくらするほど強烈に感じられる。石に触れれば、石の冷たい沈黙が痛いほどわかる。他人に触れれば、相手のもの思いやささやかな不調から、来歴や死期まであらかたわかってしまう。触角を何にも触れさせるまいとしても、風が運んでくる目に見えぬ微細な物質を、触角は捉えてしまう。こうしてかれらは、春の倦怠を、夏の空無を、秋の寂寞を、冬の憔悴を知った。萌え出づる前の若葉が木の芽の中に身を潜めながら呼び声を待つときの震えを知らされた。降り出す前の、まだ天の奥深くにある雪の気配に、樹々がそっと溶け出すのを覚えた。遠い雨の気配に紛れて、だれかが地面に落とす涙を感じた。深い沼のほとりで、だれかが沓を脱ぎ捨てて自分ひとりのためだけに歌う歌を聞いた。夜の澱を搔き乱す迷い蛾の羽ばたきを、明朝屠られる仔豚の深い眠りを、すべてに倦み疲れた少女が夜ごとはためかせる非在の翼を、目の見えぬ少年の唇に走るおののきを-世界へ差し伸べられた感覚器官に刃を挿し込むように、知らされた。」(触覚について)
 長い引用になったが、いくら精緻に自然描写を繰り返しても、もどかしく捉えられない「感覚」。何とか獲得したい表現との格闘が見えていたので、長々と引用してみた。
 私はこのような表現の繰り返し、畳みかけるような例示による表現は、万葉の時代からの日本語の特徴ではないかと思っている。作者が短歌から小説世界に入って来た特性を垣間見た気がしている。

 作者は、32歳という。17日に発表される芥川賞候補で今年初めて「Blue」という作品がノミネートされた。他の候補も若いが、すでに複数回ノミネートされたことがあるらしい。
 17日の結果に注目したい。
 


本日から「近代美学入門」(井奥洋子)

2024年01月14日 19時21分23秒 | 読書

 本日から読み始めた本は、「近代美学入門」(井奥陽子、ちくま新書)。
 実は昨年末に購入して以降、「近代美術入門」という題の本とばかり思いこんでいた。本日読み始めて「はじめに」の冒頭から、慌てた。
 「本書は美学についての本である。美学とは、美や芸術や感性についての哲学です。哲学ですから、抽象的な話をします。」という出だしを読んで、ようやく「美学入門」であることに気がついた次第。著者には申し訳ない。
 そういえば大学の一般教養で「美学入門」という講座があったような気もしている。受講しなかったように思う。私としては特段「抽象的な話」に顔を背けるつもりは毛頭ないし、否、かえってそのほうがありがたいと思う。楽しみたいと思っている。
 ただし、「日本という文化圏」と「西洋」との比較にスペースはとっているものの、そこには「中国文化圏」「東洋」という概念が無いことがとても気になる。そこはちょっと危うさを感じた。そのことを留保しながら読み進めたい。


読了「雨月物語」

2024年01月13日 23時03分25秒 | 読書

   

 雨月物語を読んでいたが、最後の「貧富(ひんぷく)論」を読むのをすっかり忘れていた。本日読み終えた。
 この最後の「貧富論」はなかなか論旨が理解できない。とりあえず目をとおしたものの、理解できたのか、はなはだ心もとない。

 「黄金の精霊」の言葉として「我もと神にあらず、仏にあらず。只これ非情なり。非情のものとして人の善悪を罪するは、天なり、神なり、仏なり。三ツのものは道なり。我ともがらのおよぶべきにあらず。ただかれらがつへ傳(かしづ)く事のうやうやしきにあつまるとしるべし。これ金に霊あれども人とこころの異なる所なり。」というところが、この貧富論の要点と思われる。
 要は富は、仏教の因果応報や、儒教の天命論などから切り離した、富・貨幣独自の論理に従う、という趣旨であろう。上田秋成は、富・貨幣の論理から、倫理や宗教の論理を引きはがそうとしているのであろう。

 雨月物語を読み終えて、ようやく高校生の頃の宿題を終わらせることが出来た気分である。宿題や他の教材の理解に追われ、いつかは読みとおしたいと思っていた雨月物語、意外と近代の萌芽をはらんだ物語だったと思う。当時の直感とはいえ、惹かれたのはこういうことが匂ってきたためであろうか。
 もっとも50数年経ってこの程度の感想で終わらせてしまう私は成長していないのだろうと、自己卑下するしかない。


読了「雨月物語」

2024年01月13日 23時00分21秒 | 読書

   

 雨月物語を読んでいたが、最後の「貧富(ひんぷく)論」を読むのをすっかり忘れていた。本日読み終えた。
 この最後の「貧富論」はなかなか論旨が理解できない。とりあえず目をとおしたものの、理解できたのか、はなはだ心もとない。

 「黄金の精霊」の言葉として「我もと神にあらず、仏にあらず。只これ非情なり。非情のものとして人の善悪を罪するは、天なり、神なり、仏なり。三ツのものは道なり。我ともがらのおよぶべきにあらず。ただかれらがつへ傳(かしづ)く事のうやうやしきにあつまるとしるべし。これ金に霊あれども人とこころの異なる所なり。」というところが、この貧富論の要点と思われる。
 要は富は、仏教の因果応報や、儒教の天命論などから切り離した、富・貨幣独自の論理に従う、という趣旨であろう。上田秋成は、富・貨幣の論理から、倫理や宗教の論理を引きはがそうとしているのであろう。

 雨月物語を読み終えて、ようやく高校生の頃の宿題を終わらせることが出来た気分である。宿題や他の教材の理解に追われ、いつかは読みとおしたいと思っていた雨月物語、意外と近代の萌芽をはらんだ物語だったと思う。当時の直感とはいえ、惹かれたのはこういうことが匂ってきたためであろうか。
 もっとも50数年経ってこの程度の感想で終わらせてしまう私は成長していないのだろうと、自己卑下するしかない。