雨月物語を読んでいたが、最後の「貧富(ひんぷく)論」を読むのをすっかり忘れていた。本日読み終えた。
この最後の「貧富論」はなかなか論旨が理解できない。とりあえず目をとおしたものの、理解できたのか、はなはだ心もとない。
「黄金の精霊」の言葉として「我もと神にあらず、仏にあらず。只これ非情なり。非情のものとして人の善悪を罪するは、天なり、神なり、仏なり。三ツのものは道なり。我ともがらのおよぶべきにあらず。ただかれらがつへ傳(かしづ)く事のうやうやしきにあつまるとしるべし。これ金に霊あれども人とこころの異なる所なり。」というところが、この貧富論の要点と思われる。
要は富は、仏教の因果応報や、儒教の天命論などから切り離した、富・貨幣独自の論理に従う、という趣旨であろう。上田秋成は、富・貨幣の論理から、倫理や宗教の論理を引きはがそうとしているのであろう。
雨月物語を読み終えて、ようやく高校生の頃の宿題を終わらせることが出来た気分である。宿題や他の教材の理解に追われ、いつかは読みとおしたいと思っていた雨月物語、意外と近代の萌芽をはらんだ物語だったと思う。当時の直感とはいえ、惹かれたのはこういうことが匂ってきたためであろうか。
もっとも50数年経ってこの程度の感想で終わらせてしまう私は成長していないのだろうと、自己卑下するしかない。