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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

古暦、日記果つ

2018年12月18日 10時29分00秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 早めに寝て、久しぶりにすっきりとした寝覚め。昨日は最高気温12℃と予報よりも1℃だけ低かった。朝の内の雨を降らしたような雲が夜まで空を覆っており、気分的に寒さを感じた。
 本日は雲はとても少なく、昨日よりずっと快適な空模様である。降水確率0パーセント。
 スケジュール帳の更新の続き、昨日の集会の写真の整理、この1週間の書類の整理等々で1日が終わりそう。ノンビリと作業をする予定。

 スケジュール帳に新しい日程を掻きこみながら、昨日に続いて歳時記の「古暦」「日記果つ」「日記買う」「暦売り」という季語をめくってみた。
 暦を燃やす、暦を焚く、という行為は無くなった。印刷物を燃やすという行為も禁止されている昨今である。そして「暦売り」の姿もまず見なくなった。私がそれを目にするのは酉の市くらいである。私の知っている範囲では、デパートやスーパーの出入り口に暦売りが小さなコーナーを占めて売っていた。それが次第に店の店員が行わ葉になり、今では文房具売り場にかぎられて売られるようになった。
 最近は郵便局の職員が「賀状を売る」のが風物詩と云われる。だか、それが郵便局員にとってかなりの重圧であったり、局員の買い取りであったりと悪評そのもの。そんなことが風物詩というのもあまりにひどい話である。季語として扱うには気がひける。

★古暦戦場とほくなりしかな       石田波郷
★捨て切れぬ思ひの朱線古暦       岡崎津留子
★吾のみにわかる印や日記果つ      平木寿枝子



スケジュール帳の更新と年賀状の作成

2018年12月17日 22時23分54秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 新しい日程をスケジュール帳に記載。だいぶある。3月まではスケジュール帳を作っているが、もう4月、5月の予定も入ってきた。そろそろ来年12月までのカレンダーを入力しないといけなくなった。
 年内には作ってしまわないと間に合わないようだ。

 今スケジュール帳に日程を記入しながら気がついたのは年賀状の作成。そろそろ作理始めないと間に合いそうもない。年賀状は出す頃だとは認識していたが、あと2週間で大晦日である。当たり前のこととはいえ、迂闊であった。

★賀状書くけふもあしたも逢ふ人に    藤沢樹村
★古暦過去を捨て去るごとく捨つ     戸田 豊


疲労困憊、本日は早寝

2018年12月17日 21時39分34秒 | 読書
 夜の集会は「改正水道法」の勉強会。朝からの会議と忘年会で疲れていたが、仕事上随分と水道事業とはかかわりを持ったこともあり、興味がある。問題点の整理の為にも参加した。40年近くも道路管理者の立場で水道事業と接してきたので、具体的な問題点があまり議論もされずに法が成立したことも分かった。
 質疑も含めて18時半から20時まで、タップリと資料を見ながら話を聞くことが出来た。もう少し勉強を続けたい問題である。

 さすがに草臥れて、帰途は何処にも寄らずそのまま帰宅。お酒が解禁となっていれば、みんなと軽く居酒屋で一杯のみに行くところだが、当面は回避である。

 本日の集まりを撮影した写真は20日までに整理して、いくつかを送信しなくてはいけなくなった。明日・明後日は予定は入っていないのでこの作業に当てることにした。少しのんびりできそうである。

 本日は早寝をしたいが、体が素直に睡眠状態に移行できるか、ちょいと不安。

会議と忘年会

2018年12月17日 16時03分11秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
午前中に事前会議2、午後に同じく1をこなして14時からの幹事会が無事終了。事前会議はそれぞれ40分くらい。本番の幹事会が90分ほど。会議としてはこれが限度。
会議と平行して忘年会用の芋煮の仕込み。仕込み担当もてんてこ舞い。会議終了後は、配膳。
手際の良さには毎回感心する。
お酒を飲まない私を含めて10数名はこれより別の集会。今晩は久しぶりに20時以降の帰宅である。

明日は忙しい

2018年12月16日 23時20分51秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の横浜の最高気温は6.9℃と7℃に届かなかった。雨は予想通り昼過ぎから15時くらいまで。冷たい雨となった。
 夕方は晴れて、星空も見えたが、先ほど夜のウォーキングに出かけたら薄曇りで星を見ることが出来なかった。月が薄い雲の向こうにかろうじて半月の形がわかる程度に見えていた。

 明日は午前中に雨の予報。午後からは晴れる。最高気温の予報も12℃とずいぶん高くなる。せっかく冬になったと思ったのだが、晩秋に逆戻り。

 朝は9時前に家を出て、組合の会館へ。9時半から16時までは慌ただしくて、気が抜けない。帰宅時間も遅くなりそうである。忘年会もあるのだが、お酒は飲まずに過ごすことになる。とても寂しい。

「駒井哲郎」展から4

2018年12月16日 20時00分21秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日で終了した駒井哲郎展、遅くなってしまったが、印象に残った戦後の彩色のある作品をいくつか。

   

 まず「星座」という作品群。1971年の「星座Ⅰ」「星座Ⅱ」「星座Ⅲ」という3枚組の作品がある。これは数年前に東京都現代美術館で見ることが出来た。現代美術館の所蔵品である。
 その時にどこかで書かれていたらしいのだが、同じ「星座」という作品があることを知った。いつかまとめて見たいと思っていたのだが、どうも今回展示されている1968年に完成したらしい「星座」(石洞美術館蔵)がそれにあたるらしい。
 1968年と1971年とを比べると、後者の方が丸い形態が中心に変っている。作者の「宇宙」に対する「像」の変化である。同時に世の中の宇宙に対する「像」も確かに変化していたように私は感じている。私自身の「宇宙の像」も変化していた。
 作者にとって「星座」とは「宇宙」の意味なのである。例えば「星座Ⅱ」は星、しかもかに星雲のイメージである。星の一生の最後の超新星爆発後の残骸の輝きである。中心に残るのはブラックホールである。
 その宇宙の像は、米ソのロケットというものによる開発戦争という側面ではなく、ビッグバンであったり、膨張する宇宙であったり、ブラックホールなどの存在や、銀河系の形態やや銀河群というものの存在に関する知見の深化にともなうイメージの転換だったと思う。
 宇宙が突拍子もない不思議なものから、どこかイメージを作ることが可能なものとして身近になってきたことの反映なのであろうか。
 現在もまだまだ「宇宙の像」は更新をされているが、1960年代から1970年代にかけての方が、その変化は大きかったかもしれない。あくまでの私個人のイメージの変化に沿った思い出しかないが‥。
 私の脳内では「星座Ⅲ」のイメージが渦巻いている。

   


 そして思い出したが、当時購入することも読むこともなかったが、「新潮」という月刊誌があった。今もあるようでいろいろと物議をかもしている。当時書店に並んだこの「新潮」の表紙に時々目を奪われていたことを覚えている。展示では1972年の1、2、3、10月号の原画があった。一つ一つの記憶はないが、こんなイメージの月刊誌があった記憶がちゃんとよみがえってきた。どこか「輝いていた」雑誌で会ったと記憶している。
 当時は駒井哲郎の名も知らず、版画ということもほとんど理解していなかった。ずいぶん派手な雑誌だと思っていた程度である。ただあまり明るい世界は私の周りでは縁がなかった。
 今回あらためてこれら世田谷美術館蔵の作品を見て、3月号に香月泰男のシベリアシリーズの中にある「青の太陽」(1969)を思い浮かべた。駒井哲郎の作品の下の緑の造形が、うつむく人間の群れに見えてきた。どこか鎮魂歌として共通点を感じて、大いに惹かれた。



「木枯らし」の句

2018年12月16日 11時35分42秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 午前中の用事は終了。昨日のようにお昼前には家を出て組合の会館へ。午後からの雨にそなえて、起きてすぐに、いつも持ち歩くごく軽いウインドブレーカーとリュックに防水スプレーを軽く吹き付けた。
 本日の最新の天気予報では最高気温の予報が横浜では9℃。時系列の予報では正午から15時までが雨の予報である。南の空、遠くの方は明るい。はたしてどのくらいの雨になるのだろうか。予報は降る恐れもある、という表現から、断定的な表現までテレビ局などによって三秒に違っている。今のところ風はそれほど強くはない。体感温度はこのままならば昨日ほどには寒さを感じないかもしれない。

★海に出て木枯し帰るところなし     山口誓子
★凩や焦土の金庫吹き鳴らす       加藤楸邨


 第1句、1944年の作。「この句を作った時、私は特攻隊の片道飛行を念頭に置いていた」と書いているとのこと。太平洋戦争のさなかに発表された句ということもあり、直接的な表現を避けたのだろう。「帰るところなし」とは片道切符の燃料のみの特攻隊をいっていることになる。
 第2句、「野哭抄」より。直後に「全官公労ゼネストを前に委員会出席、その後病臥 咳つのる目を日輪のゆきもどり」の句があるから、1947年1月の句と思われる。まだ今の23区内も空襲の焼けた跡が生々しい景観が広がっていたはずである。焼け野原に遺された金庫、それが荒れた社会の象徴としての金庫、ということにもつながっている。
 いづれも忘れられない句である。

明後日まで予定がいっぱい

2018年12月15日 22時48分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 明日も10時から団地の役員としての仕事、12時半から組合の会館で作業。夕方には早めに帰宅したいとは考えている。
 しかし明日の午後の降水確率が50%で雨のマークがついている。最高気温の予報も10℃。外を歩くことになっている。降ればつらい。明後日の17日(月)は朝から退職者会の事前会議があり、午後からは幹事会なのだが、降水確率が70%。

 特に明日の雨には困っている。お酒で温まりたい気分である。

上限の半月と火星

2018年12月15日 21時23分51秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 午前中は最大瞬間風速は15メートルもあった。しかし今はほぼ風はおさまっている。体温温度でどのくらいの差が出ているであろうか。

 組合の会館で作業の後、友人とたわいもない話をしながら、時間をつぶしてきた。結局喫茶店での読書タイムは30分も確保できなかったが、それでも久しぶりに気分よく時間が過ぎた。こういうような時間がとても大切に想う。歳の所為なのだろうか。
 しかし木枯らしが吹いた午前中、関東地方の冬らしい風と気温、体感温度に少しホッとした気分でもあった。やはり冬は気温が低く、完走し、そして空が青くないと関東地方らしくない。 本日の月は上限の半月。帰宅する頃にはご飯茶碗のように底を西の地平線に向けて、沈み始めていた。そのすぐ下側には火星が光っている。団地の西側から東に向かって歩いていると正面にふたご座が見える。東の空は港のあかりが強く、あまり目立たない。ぎょしゃ座のカペラが異様に明るく見えた。

★木枯らしに二日の月の吹きちるか    山本荷兮
★木枯らしや目刺にのこる海の色     芥川龍之介
★妻へ帰るまで木枯らしの四面楚歌    鷹羽狩行


木枯らしが身にしみる

2018年12月15日 11時25分54秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 風が強い上に冷たい。まだ10℃には達していないようだ。木枯らし○号になるのか。先ほど団地の中の業者の作業現場を見廻ってきた。
 早目の昼食の後、組合の会館まで。二時間ほど外の作業がある。

 昨日はゆっくり休養したかったが、それがかなわなかった。作業終了後、どこかでゆったりとした時間を過ごしたいものである。リュックに本を2冊ほど詰めた。

 昨晩は14日、テレビは例年のとおり「赤穂浪士」の番組。

年末、腹立たしさと予期しない慌ただしさ

2018年12月14日 23時25分03秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 今年は退院直後で沖縄には行けなかった。4年間毎年訪れていた。その都度戦跡や米軍基地や、辺野古や高江を訪れた。本日の土砂の搬入のニュースは胸が張り裂けるような気分を味わった。むろんさまざまな古代からの歴史遺産や観光資源や自然も堪能してきた。

 退職者会の友人たちは今年も沖縄を訪れ、南部戦跡や伊江島や辺野古をまわった。その報告文書を見ながら、沖縄の歴史と現状に思いが及ぶ。
 高額の旅行費になるが、それでも人を惹きつける何かがある。それは体験し、現地で呼吸し、人びとと交流しないと分からないものがある。私の体験は小さなものだが、それでも刺激は大きい。むろん現地に行かなければすべてがわからないわけではないが、肌で感ずることの大切さというのはある。私のように創造力が自分では欠けていると思う場合は、なおさらである。

 さて、明日も明後日も午後から所用があって出かけなければいけない。なかなか落ち着いてしたいことが出来ない。現役の頃も年末というのはとても慌ただしかったが、退職した今も、ないはずなのに、いろいろとしなければならないことが湧いて出てくるように次々と出てくる。もう勘弁してほしい。現役時代は仕事は良そうで来て、事前に体も意識も準備ができた。しかし今はいつの間にやら湧いてくるのだ。体よりも精神がついていかない。


年末・年始の禁酒令

2018年12月14日 20時22分36秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夕食前に帰宅。組合の会館から横浜駅を経由して病院により、自宅まで歩いた。風が冷たく、歩き始めは寒かったが、関内駅を通過する頃には汗も出てきた。上着の中にきていた薄手のセーターを脱いでリュックへ。横浜駅の喫茶店で読書タイムののち内科へ。

 いつも通っている内科の医師からは前回の血液検査の結果、「肝臓の数値以外の数値も含めて次回の市立病院の検査まではお酒は控える努力を続けた方がいい」とのことを言われた。
 血圧については病院で測ると、最高血圧も最低血圧も、正常値の低い方に近い数字であるらしい。ということで、自分で測って高い時に服薬するようにということで、10回分を処方された。ストレスも大きな要因、と云われた。
 これから忘年会、正月のお酒を少しだけでも、と期待していたがあっさりと否定されてしまった。とても残念でかつ無念。今年は残念ながら、このようなめぐりあわせなのであろう。

 世の人はすぐに占いだとかで、悪い年だの何だのといいそうだが、わたしは占いのようなものは嫌いである。占いだとか、生まれた干支や星占いで人の運命が決まるなどと21世紀にもなって口に出すことすら恥ずかしい。真顔で言われると声に出して笑ってしまうのが私の癖である。真顔でそのようなことをいう人とは、お近づきにはなりたくない。

 身体年齢にそった体のめぐりあわせ、住環境や人との付き合いの中での「体調」である。自分の体とはいえ、あるいは自分の体だからこそ、運命や「星の運行」のせいにしないで自分の体と丁寧に対話をしたいものである。

 そうはいっても、たまにはワインの1杯も飲みたいものである。

嫌な予感

2018年12月14日 15時57分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
昨日出来上がった新聞の原稿、会員のコメント追加分が早めに到着。午前中に編集し直して、印刷所に送信。表を3つ差し替えとなった。

そして先程、写真3枚のデータを受け取る。ダミーの写真と差し替え。しかし写真そのものの補正も必要なため、今晩再度編集作業を継続しなくてはいけなくなった。

そのうえに団地の役員としての仕事がいくつか飛び込んできた。明日も業務の立ち会い。
いつまでたってもノンビリ出来ない。読書タイムも取れない。泣き言が入るときは、必ず血圧も上昇する。
これよりいつもの内科。

ふたご座流星群

2018年12月13日 23時49分00秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 今晩はふたご座流星群が極大日。夜のウォーキング中にも犬を連れた夫婦が空き地の知覚で空を指さしながら見上げていた。しかし意外と雲が多く、流星観測には不向きな空。シリウスとプロキオンだけが異様に明るく輝いていた。

 ふたご座のポルックスとカストールは見えたが、流星は底を見ていても見つけることはできない。立ちどまって見ているとウォーキングにはならないので、見通しのよい箇所も一瞬立ちどまっただけで通り過ぎた。

 「流星」は秋の季語に含まれるが、

★流星の使ひきれざる空の丈     鷹羽狩行
★真実は瞬間にあり流れ星      マブソン青眼

長距離を歩いてみた

2018年12月13日 23時34分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 久しぶりに二日続けて2万歩を超えてあるいた。歩けるかどうか不安だったが、どうやら無事に完歩。体力的には大丈夫になったと思う。かなりの汗をかいた。明日は歩くのは減らして休養日とするつもりである。

 そしていつもの内科に行く予定。高血圧の薬は先月から処方されなくなったが、幾日か血圧が不安定な日があった。少し高めで推移した日もある。ただしふらついたりする症状はない。とりあえず相談してみることにした。ついでにγGTPの検査もしてもらう予定。

 明日は喫茶店で読書タイムでノンビリしてみたい。