Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「シューマニアーナⅥ」(伊藤恵)

2017年03月27日 13時36分46秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 伊藤恵のピアノ独奏による「シューマニアーナⅥ」を今朝から聴き始めた。Ⅴにおさめられている「幻想曲作品17」は私の好みの曲であったので幾度か続けて聴いた。
 このⅥには「ノヴェレッテン作品21」(1838)と「4つの小品作品32」(1838-39)がおさめられている。シューマンが28歳から29歳にかけての曲である。
 「ノヴェレッテン」は演奏時間が50分を超える大曲である。「4つの小品」は12分ほどの小品。
 いづれも私は聴きこんでいない曲。
 録音は1995年から96年にかけて行われている。

         

明け方は2月中旬並みの気温

2017年03月27日 11時53分24秒 | 天気と自然災害
 深夜から明け方にかけて雨が強くなった。雨の音で幾度か目が覚めた。現在は太陽がときどき顔を出しているが、寒い。
 横浜地方気象台の発表では、「東部では、27日夕方まで強風や高波に注意。神奈川県では、27日夕方まで急な強い雨や落雷に注意。低気圧が関東の東にあり北東へ進行。神奈川県下は雨や曇り。27日は、上空の寒気や低気圧が急速に発達しながら北東へ進み、曇りで夕方にかけて雨や雷雨となる」となっている。最高気温は10℃と昨日よりは高くなっているけれど、明け方の気温は2月中旬並みとのことである。
 昨日ずっと家に閉じこもっていたら、全身の筋肉が何となく固くなっているように感じた。腰痛体操をしながら、柔軟体操も合わせていくつか。
 気分転換に、今日はせめて横浜駅ならびに図書館までは歩いて出かけたいものである。
 午前中は「シューマニアーナⅥ」(伊藤恵)を聴き始めた。

丹沢・箱根は雪の予報も‥

2017年03月26日 23時04分21秒 | 天気と自然災害
 本日は時間雨量換算5ミリ未満の冷たい雨が降り続いた日曜日。昨夜の深夜0時の9.2℃が最高気温になるようだ。日中は予報どおり6℃程度であったらしい。朝9時では4.7℃の表示である。雨の区域は終日南から北上しているが、暖かい風ではない。
 とても桜の開花宣言の後の天気ではない。強風注意報も解除されていない。このまま朝までこの寒さと雨が続く予報になっている。丹沢・箱根は雪が降るかもしれない。


「これぞ暁斎!」展 書き忘れたこと

2017年03月26日 19時46分04秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
         


 「百鬼夜行図屏風」(1872-90)のことを記載した部分で書き忘れたことがあった。右隻の右上部に楕円形の球体の顔から直接羽が生えた妖怪が描かれている。一見蝙蝠から胴体を無くしたような姿態である。私はこの形を見た時に、カトリックの絵画で描かれる「セラフィム=熾天使」を思い出した。天使の9つの位階の最上位の天使である。生保マリアの昇天図などに子どもの顔から直接羽が生えた図像で描かれる。一見赤子のような形である。ムリーリョ「無原罪の御宿り」では左上に描かれている。
 1872(M4)年以降、キリスト教が合法化されて以降に暁斎は多分このような絵画は見ていると思われる。それがこの「百鬼夜行図屏風」にも反映されているのではないか」と思った。
 いろいろなものを貪欲に吸収し、描き尽くそうとした暁斎ならではの作品のように感じた。

本日の読書‥

2017年03月26日 17時53分39秒 | 読書
 外に出かける気力はなくなり、朝から読書タイム。

・高階秀爾「バロックの光と闇」
・鎌田浩毅「地球の歴史(中)-生命の登場」(中公新書)
・今橋理子「江戸の花鳥画」(講談社学術文庫)


 どの本もまだ読み終わるところまでは行っていない。ジャンルの違う本なので疲労感はないが、それでも家に籠っての読書というのはあまりはか(量)が行かない。
 学校でたっぷりと長時間の3科目の授業を受けたような気分だが、「もう活字を見たくない」という疲労感はない。
 夕食後は少し趣きを変えて、今話題となっている

・呉座勇一「応仁の乱」(中公新書)

を読んでみたい。ただしこれに手間取ると前の3冊の進行に影響を及ぼしてしまうので、読み始めたら一気読みしたいが、出来るだろうか。


冷たい雨の一日

2017年03月26日 12時28分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日の横浜の日中の最高気温の予想は6℃とかなり低い。昨日までとは随分と違う。そして雨が明け方から降り続いている。しかも強風注意報が出ている。ただし今のところ団地内の樹木は揺れていない。無風である。
 東京では桜の開花宣言が発せられたが、横浜ではまだ。この様子では一気に開花して、一気に散るというパターンになっているような気がする。桜を愛でる時間は短そうである。
 4月1日に花見の予定がふたつ重なっている。ほんとうは大勢でわいわいとする花見よりも、妻とのんびり歩きながら、人が大勢見に来ない桜を訪れたい。今年はそのような機会はなさそうである。たぶんは宴会に参加する私を置いて妻はひとりで桜見物に出かけると思われる。桜を見て回るのが毎年の妻の楽しみ。私がいないほうがのんびりできるのであろう。
 そして多磨霊園に花見を兼ねて墓参りに毎年出かけることにしている。今年は日程がうまく合うであろうか。都内や横浜市内よりは1週間近く遅れて見頃を迎える。

 この冷たい雨ではとても葉山の神奈川県立近代美術館まで出かける気力はでない。昨晩「断念」と決断しておいて気分的には楽になった。


神奈川県立近代美術館葉山は断念

2017年03月25日 23時01分02秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日はほとんど一日中在宅。休養日であった。夕刻に横浜駅まで出かけて1時間ほどコーヒータイム&読書で過ごしたのみ。結局神奈川県立近代美術館葉山の「1950年代の日本美術-戦後の出発点-」と「反映の宇宙」展は明日で終了してしまうので、残念ながら断念することになった。
 さらに本日は休肝日にもしようと思ったが、夕食時につい缶酎ハイに手を出してしまった。後からする反省は、サルでもできると笑われるのは目に見えている。

 暁斎展の感想はその2と追加の「風神雷神図」をアップしたのでとりあえず終了。

 明日は特に予定は入っていないので引き続き休養日&読書タイムにしてのんびり過ごしたい。さいわい本日も腰の痛みはほとんど出なかった。


「これぞ暁斎!」展 追加

2017年03月25日 21時40分54秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
      

 その1で「鷹に追われる風神」(1887)を取り上げたが、一昨年の「画鬼暁斎」展では「風神雷神図」(明治前半、暁斎記念美術館蔵)が展示されていた。作品の出来た年代の前後関係は不明であるが、私は風神雷神図の方が先に出来上がったのかなと感じた。
 それは琳派の画法を暁斎がまず学んで琳派の画家としての存在証明である「風神雷神図」をまずは描いたうえで、パロディーをつくるのが通例の筋道のような気がしているからである。
 「風神雷神図」は従来は雷神を左、風神を右に描くのだが、暁斎はそのような伝統にこだわらず、注文主の意向かもしれないが、縦長の画面に両者を上下に描いた。しかも風神の方が左に寄っており、どちらかというと風神のもとに雷神が駈けつけるような時間差を感じる。通常は雷神の元に風神が駈けつけてくるような具合に描くのだが、時間が逆転している。
 私は暁斎の風神雷神図はこのような琳派の伝統を無視するかのような暁斎の試みは、しかし成功していると思った。上限の風神雷神の間合いも緊張感にあふれていて、画面全体が締まって見える。雷神は天空をにらみ、風神は下界を見つめで風を巻き起こそうとしている。両者が天上と地上に対して風雲急な混乱をもたらそうとしているかのような力強さを感じる。
 パロディーとしての「鷹に追われる風神」は地上に混乱をもたらす元凶として地上に落下させられるさまを描いているように思える。もしも雷神が負われるとしたらどのように追われるのであろうか。誰に追われるのであろうか。やはりとても興味が湧く。
 このふたつ作品、いろいろな物語を彷彿とさせる楽しい作品であると思う。

「これぞ暁斎!展」感想 その2

2017年03月25日 14時52分27秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 今回の暁斎展は「ゴールドマン コレクション」の800点から180点を選んだということになっている。
 その1では気に入った作品の共通点ほを「動」という視点でとりあえず括ってみたが、それではおさまらない作品も多数ある。前回と同様、図録から絵は取り込んだ。
 


 まずは「雨中さぎ」(制作年不詳)。最初は現代の版画が紛れ込んだのかと錯覚してしまった。少し膨らんださまで、普通ならば雨中に一本足でじっとたたずむ姿態を描くのではないか、と思うのだが、これはこれから動こうかという一瞬らしい。大型のさぎは地上で動くときは意外とのっそりと動く。その様子を捉えている。眼が作品から離れなかった。



 次が「三味線を弾く洋装の骸骨と踊る妖怪」(1872-90)。
 私はこの作品は、人物の後ろに刀が置かれているところから、文明開化といわれる中、旧士族階級が洋装をしながらも、昔と変わらず依然として支配者面をして威張っているのを揶揄している図に思えた。旧態依然の象徴が三味線。左手前の踊っているような妖怪は多分えばり散らされる側の象徴であろう。



 さらに「五聖奏楽図」(1872-90)。解説によると「1973年にキリスト教が解禁され、仏教界から排撃運動が試みられた。釈迦、孔子、老子、神武天皇が取り囲み、三味線・笛・鼓で囃し立てる。いがみ合う深刻さは見られない。これらの宗教画日本でにぎにぎしく併存する様を一大劇場に見立てている」としるしている。確かに十字架上のキリストは扇子を持っており、いじめられている図ではない。ただし極端な廃仏毀釈があり、神武と釈迦の関係は険悪。釈迦はその分キリストをより排撃する立場、さらに孔子も老子も行く末に大いなる不安を抱いていた時代である。どちらかというと共存・併存が暁斎の思いだったのかもしれない。



 一方で暁斎の仏画はとてもがっちりとした構図ですきが無い。特に達磨図、羅漢図、観音図は戯画的なものは私はしらない。仏教に対する信仰心は強かったようだ。私は達磨図に特に惹かれる。もろもろの禅僧の描く達磨図よりも私は惹かれる。



 同じコーナーに「祈る女と鴉」(1972-90)が展示されていた。これも初めて目にするが、墨一色の鴉が異様に大きい。対する遊女の祈りは真剣である。解説では作品の内容や意図は不明とされている。遊女の後ろの禿が手にしている着物は墨染の僧衣なのだろうか。真剣に祈る姿からは鴉を仏に見立てているのかと思ったり、鴉は暁斎の化身のようにも思えるが、どのように解釈したらよいのだろうか。不思議な雰囲気の作品である。



 最後に「幾世かがみ」(1969)が展示されていた。とても薄い色なので、ここでは色を濃くしてスキャナーをさせてもらっている。解説では「幾世かがみ」は「亡くなった女性の追善のための俳諧刷物画帖」。一方に閻魔大王、もう一方に阿弥陀を描いているとのことである。
 丁寧に書かれた俳句のひとつには「ちるものと思へどをしき桜かな」とあるらしい。どちらかというと豪快で早い筆致のような諸作品の中で実に丁寧な彩色と繊細な描画、細かな描写に惹かれた。心に残る作品であった。どういう関係の女性のだったのだろうか。
 なお、展示には春画のコーナーもあった。私の好みでいえば、暁斎の春画というのは滑稽の要素が勝り過ぎていて、私の好みではない。むろん滑稽の要素が強いことは春画の重要な要素でもあるし、権力者や世相を揶揄して笑い飛ばすには格好のジャンルではあると思うが‥。

   

 図版は「イスラエル・ゴールドマン コレクション Israel Goldman Collection, London Photo:立命館大学アート・リサーチセンター 」による。


シューマン「幻想曲作品17」

2017年03月25日 12時58分14秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 午前中は1時間ほどの打合せののち、「これぞ暁斎!」展の感想のその2を書き始めたが、終わらない。お昼までにアップしようとしたが、無理なので本日中に終わらせることに予定を変更。



 「シューマニアーナⅤ」(伊藤恵)におさめられている「幻想曲作品17」が気に入ったので、本日もこれを聴きながら作業を行っている。
 「子供の情景」や「森の情景」も一緒に収録されているが、短い時間で曲想が変わるのがめまぐるしい。落ち着いて聴くことが出来ない。しかしこの幻想曲はもとはソナタとして想定された3楽章形式で統一感のある曲である。短い曲の集合である前2曲も悪くはないが、作業をしながら聴くにはあまり向かない。幻想曲の第3楽章は低音から静かに立ち上がる出だしが好みである。とても余韻のある曲である。

河鍋暁斎はどんな人だったのだろうか

2017年03月24日 23時21分50秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 内覧会に参加した人の義務というか、参加の条件である「これぞ暁斎!」の報告の記事をアップした。1回ではおさまらなかったので、できれば明日中にも第2回目をアップしてしまいたい。
 しかし河鍋暁斎という画家は、画家に留まらず明治という世相・時代にたいして、ジャーナリスト的、あるいは社会批評家的な眼を持ち続けた人だと思える。記事を書きながら感じた。
 そして社会のあらゆるものを描き尽くしたいという欲求を手放さなかった、全身好奇心と探求心の塊のような人柄だったのではないだろうか。その逞しい貪欲な好奇心・探求心のひとかけらくらい私にも分けてほしいと思うようになった。

 明日は午前中に少々打合せがある。午後からは何をするか、決めていない。


「これぞ暁斎!展」感想 その1

2017年03月24日 22時01分50秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されている行われた「ゴールドマン・コレクション これぞ暁斎!展」(2.23~4.16、⇒こちら参照)のブロガー特別内覧会(3.23)に参加する機会を得た。
 Webには河鍋暁斎について次のように紹介している。
河鍋暁斎(1831─1889)は、時代が大きく揺れ動いた幕末から明治を生きた絵師です。幼い頃に浮世絵師の歌川国芳に入門したのち、狩野派に学び19歳の若さで修業を終え、さらに流派に捉われず様々な画法を習得しました。仏画から戯画まで幅広い画題を、ときに独特のユーモアを交えながら、圧倒的な画力によって描き上げた暁斎。本展は、世界屈指の暁斎コレクションとして知られるイスラエル・ゴールドマン氏所蔵の作品によって、多岐に渡る暁斎作品の全体像を示します。

 2015年には三菱一号館美術館で「画鬼暁斎-幕末明治のスター絵師と弟子コンドル」という展覧会が行われ、ここでも私は内覧会に出席させてもらった。
 今回も多数の作品が並び、充分暁斎の世界を堪能できた。今回一巡してまずは「動」というキーワードが私の頭に浮かんだ。この点から心に残った作品をいくつか挙げてみる。むろん「動」がキーワードとなる作品はいくつもあるが、私が惹かれた作品である。【作品の図面は図録より】



 数多く鴉の作品を暁斎は残している。今回も多数の鴉の作品が展示されており、「日輪に鴉」(1872-90)の4幅一対で12羽の鴉を排した作品と、ここに取り上げた「烏瓜に二羽の鴉」(1972-90)が印象に残った。後者は鴉の憎々し気な表情と鳴くときの格好が実に写生的である。烏瓜の赤、葉の緑も生き生きとしている。口を開けて人間かあるいは他のグループの鴉か、他の度物を威嚇している鴉の動きが生々しい。枯木に止まっている鴉の眼もいいが、こちらのきつい目がとても鴉らしい。



 次が「雨中の蓮池に降り立つ白鷺」(1872-90)。特に雨の降るさまを白い斜めの太い線で表した点、雨に頭を垂れる蓮の向きと、白鷺の落下の方向とが重なっている。右上から左下への構図が目についた。



 そして一番気に入った作品が「鷹に追われる風神」(1887)。琳派にも学んだという暁斎である。そして琳派ならではの「風神雷神図」を思いっきりパロディー化している。
 私の推測では当然にも「雷神」を揶揄した作品が一対のものとして作られたと思っている。
 瀧と鷹を水墨画として扱い、逃げる風神は彩色されている。水墨画風の単色の世界がメインとなり、雄大さとスピード感を演出している。鷹に追われる神である風神にはもはや威厳がない。
 もしも雷神の図があるとしたらどのように雷神を費用減したのであろうか。興味がある。

   

 有名な「百鬼夜行図屏風」{1872-90}も動きがある作品である。右隻では愛嬌のある百鬼が闇の中をうごめいているが、左隻の左端へ移動している明るい物体に慌てふためいているようすが描かれていると図録の解説に記されている。同時に私が不思議なのは左隻の右側の団扇を持った妖怪と、笹竹を振りかざしている烏帽子をかぶった妖怪など右側の妖怪たちは、左端から逃げてくる妖怪を迎え撃つように見える。合戦図のようにも見えた。
 また当日会場である参加者が各妖怪には克明に「まつ毛」が描かれており、これがこの作品をより親しみのある作品にしているようだ、と言われていた。まったく同感である。よく見ると右隻の右側の二人の妖怪を除いて登場するすべての妖怪にまつ毛が描かれている。妖怪の登場する他の作品にはまつ毛は描かれていない。この作品にだけ丹念に描かれている。まつ毛だけでこんなにも表情や仕草が和らぐものか、と感じた。

 今回取り上げた作品以外にも「動」が溢れる作品はもたくさんある。たとえば「鯰の曳き物を引く猫たち」「「動物の曲芸」「蛙の蛇退治」「風流蛙大合戦之図」「墨合戦」なとなど。あくまでも私が惹かれた作品の中から選ばせてもらった。

 図版は「イスラエル・ゴールドマン コレクション Israel Goldman Collection, London Photo:立命館大学アート・リサーチセンター 」による。

                                                 【その2に続く】



マッサージは本日で終了

2017年03月24日 13時43分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 マッサージ・鍼・灸は本日でとりあえず終了。次はまた症状がひどくなったら、ということにした。回復過程で罹ったこともあるかもしれないが、私にはとても有効だったように思われる。整形外科での低周波治療やブロック注射よりも、別の整形外科でもらった腰痛体操と、マッサージ・鍼(低周波電気治療込み)の方が有効であった。腰痛体操とストレッチは欠かさないように云われた。
 整体の本によるストレッチと腰痛体操で紹介されたストレッチのいくつかを自分なりに組み合わせるのが効果があるようだ。

 本日は葉山に県立近代美術館を訪れようと考えたが、連日の外出で取りやめることにした。さすがに昨晩遅くなったので疲れた。
 昨日の内覧会の感想を、「シューマニアーナⅤ」(伊藤恵)を聴きながら綴ることにした。

加藤楸邨「まぼろしの鹿」から

2017年03月24日 10時02分47秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 春富士(15句中5句)      加藤楸邨「まぼろしの鹿」から
 少年の日を送った御殿場にて
★土筆なつかし一銭玉の生きゐし日
★春富士や仁丹の香が口に充つ
 一年の折学びし恩師に逢ふ
★声あげて夢の師とあふ春霰
 一年の折の友ら
★三椏の花に一言すぐわかる
★薔薇ほめる言がビキニの灰のことに


 私は小学校高学年のときはあまりいい思い出はない。中学・高校とは卒業後ずっと疎遠であった。1学年200人未満と少なかったにも関わらず、付き合う範囲は限られていた。上下の学年との購入も極めて少なかった。年令からすれば当然といえば当然だが‥。大学が横浜から遠かったこともあるのだろう。高校卒業後10年以上当時の友人とも付き合いはなくなってしまい、同窓の友人のほとんどの名前と顔を忘れてしまった。先生の顔も名前も同じようにすっかり意識の外に追いやっていた。だからだと思っているが、4句目の感動がよく理解できない。
 ここ10年ほど同窓会に出たりして少しずつ昔のことを思い出しているが、上記のような感動ははっきり言ってない。同窓の方の卒業後の人生の軌跡と自分の軌跡とがどこにも接点がないというさびしさもある。10代半ばの60年間というのは濃い時間であるが、私には喪失感の方が強い。
 それ以上に10代後半から20代初頭のインパクトが強いということなのか。4句目の感動に近いものは、その時のものが近いのかもしれない。

ようやく帰宅

2017年03月23日 23時24分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 先ほど帰宅。21時を過ぎても雑踏の渋谷駅周辺の人混みを縫うようにして東横線のホームにたどり着いた。横浜駅に着くとやはりホッとする。
 明日は午前中はマッサージと鍼・灸をしてもらう。午後の予定は白紙。可能ならば神奈川県立近代美術館葉山に行きたいのだが、体力が許すかどうか。
 本日はそれほど歩いてはいないが、腰は痛みは無いが、だるい。明日の朝に判断するしかないようだ。