Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

とりあえず一段落の気分

2017年03月08日 23時12分18秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 ようやくシャセリオー展の感想の第一回目をアップした。例によって誤字脱字、変換間違い、言い回しの変なところはを今直したばかりである。まだ変なところがあるかもしれない。何か宿題を忘れたような気分でいた。残りは2~3日中にも仕上げたい。

 本日は神経痛の痛みはあまりでなかった。午前中パソコンに向かっている間に少し痛みが出たが、いつものとおりの腰痛体操をして痛みを回避できた。
 午後に横浜駅まで歩いて往復。帰途は杖がなくとも歩けたような気もしたが、無理はしない方がいいと思い、杖は畳まなかった。

 明日は、注文していた椅子が配送になる日である。午後からは妻とティツィアーノ展に行く予定にしていたのだが、注文した家電量販店の店員に不在票が入るので、心配はいらない、と言われた。再配達は配送する人に申し訳ないが、予定日が変えられないということなので、やむを得ない。午前中に配送されれば、問題ない。それを期待している。

 フランスのロマン派の画家シャセリオー(1819-1856)と、ドイツのロマン派の音楽家シューマン(1810-1856)が同時代の人であることに、本日気が付いた。没年が一緒である。
 音楽では私はドイツロマン派を聴く機会が多い。しかしおなじロマン派と云われるが、音楽と絵画では受ける印象がこんなにも違うものなのだろうか。
 音楽と絵画の違いを論ずるほどの能力は無いので、これ以上言及はしないが、面白い課題である。「古典主義」「ロマン主義」とはどういうことか、から論じないといけないようだ。

「シャセリオー展」感想(その1)

2017年03月08日 18時51分30秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 国立西洋美術館で開催されている「シャセリオー展-19世紀フランス・ロマン主義の異才」(2.28-5.28)の内覧会に参加する機会を得た。以下の作品は図録から採録させてもらった。
 37歳という若さで亡くなったというテオドール・シャセリオー(1819-1856)については知らないことばかりである。名前も知らなかった。
 ただ奇しくも今CDを聴いている、ドイツ・ロマン派を代表するシューマン(1810-1856)とほぼ同時代人であり、同じ年に亡くなっている。
 シューマンのピアノ曲を思い浮かべながら内覧会で見た作品を思い浮かべている。

 早熟なシャセリオーは、11歳で新古典派のアングルに入門し、16歳でサロンにデビューしている。その一方でロマン派のドラクロワに傾注。1840年以降はアングルとの師弟関係がなくなった。



 その1840年(21歳)に制作されたのが、「アクタイオンに驚くディアナ」である。「たまたま純潔の女神ディアナの水浴を目にしてしまった狩人アクタイオンが、鹿に変身させられ、猟犬に食い殺される」という不条理な神話に材としている作品である。ディアナは後ろ向きでその配下のニンフたちが大きく描かれ、狩人は鹿に変身させられ猟犬に襲われている凄惨な場面は遠景に描かれている。これはサロンに落選させられた作品という。
 後でも述べるがシャセリオーの描く背景の自然描写は不気味である。嵐や不穏な空気に満ちている。ここでは左の樹木がこの不条理な物語に即したように暗く不気味に描いている。遠景の猟犬に襲われている狩人は明るい残照に照らされていて、この不条理な世界を際立たせている。しかも鹿に変身させたという女神はいかにも怯えたように無垢に背中を見せ、こちら向きのニンフがこの凄惨で不条理な物語の演出者のような表情をしている。また沈もうとしている三日月がディアナのちょうど頭にあり、まるで冠のようでもある。これは何かのシンボルなのだろうか。
 表情が明確に描かれているのはディアナの前のニンフとその後ろにいるおびえたように水に浸かって青い服に手をかけているニンフである。こちらのニンフは若い。狩人の身に迫る惨劇を見つめる目が、この不条理な事態を告発しているようにも見える。むろんこのように現実の人間らしい表情を描いた作品はルネサンス以降例はあるのだろうが、私には特に印象に残った表情である。神と人間という枠から離れて、人間としての眼でこの惨劇に登場しているように見える。ロマン主義というものの主張にも思える。
 しかし月の沈み具合や左方向の太陽の光線からは時間的にもあり得ない画面である。そしてディアナの背中に日が当たっており、太陽が二方向にあることになる。これらのことから時間を無視してまでも劇的な、そして不条理で凄惨な場面構成に力点を置いた作品に思える。確かに新古典派の指向とは違うと感じた。



 次は「石碑にすがって泣く娘(思い出)」と題された、前作と同じく1840年の作品。私がシャセリオーの背景の自然描写が、描かれた人物の感情や物語と照応関係にあるのではないかと思うようになった作品である。前作とどうように幹を異様にのたうち回らせることで、泣く娘の心の乱れが象徴されている。シャセリオーだけの描写とは思えないが、シャセリオーがこの手法を多く採用していることは確かだと感じた。



 次はなんとも艶めかしい石版画である。「海から上がるウェヌス(ヴィーナス)」。1839年のサロンで評判を呼んだ原画の作者自身による石版画である。このS字状の女性像はその後のギュスタープ・モローやシャヴァンヌ、ルドンに影響を与えている。



 次の作品は「アポロンとダフネ」。アポロンの求愛を逃れるために川の神の娘のダフネが月桂樹に姿を変える、という神話に基づく作品である。シャセリオーという名は知らなかったが、この「アポロンとダフネ」(1845年頃)はギュスタープ・モローの「アポロンとダフネ」(制作年未詳)とともに見たような気がする。モローの作品は確かに見た記憶がある。そのモローが影響を受けて描いた作品としてどこかの解説で見た記憶があるが、錯覚だろうか。



 両者のダフネの姿態は極めて類似しており、先の「海から上がるウェヌス」とともに「両手をあげた女性像」は多くの画家に影響を与えている。当時の「女性美」のひとつの基準になったのかもしれない。
 背景の不気味な樹林は、この作品でも悲劇のシンボルである。根元ではすでに足が月桂樹に変わりつつある。ダフネという娘の悲劇、適えられない恋であることを突き付けられたアポロンの無念。多くの詩人の想像力を駆り立てたのであろうか。ゼウスの子という恵まれたアポロンであっても適うことのない挫折でもある。同時に想い人以外からの求愛を前に生きることを断念させられるダフネの悲劇でもある。
 個人的には私はモローの作品の方が好みである。こちらは岩山と一本の木を背景にこれから月桂樹に変身する直前の姿態である。足元はまだ変身を始めていない。ここではダフネという詩心に見捨てられる詩人アポロンという物語が新たに紡がれているように思われる。それが少年から大人への、詩心や無償の若い情熱を無くしていく通過儀礼でもあるという含意なのかもしれない。ダフネの足もとは変身はしていないが、しかし顔は表情を失いかけている。




   
 

「シューマニアーナⅢ」(伊藤恵)

2017年03月08日 11時16分06秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 本日の作業中に聴いているCDは「シューマニアーナⅢ」(伊藤恵)。録音は1990年。
 最初の「パピヨン」(作品2)は、シューマン(1810-1856)が19歳から21歳の頃にあたる1829年から1831年の作曲。当時ピアニストとしての活動を始めていた。謝肉祭の仮面舞踏会の光景を織り込んでいるとのことである。
 次の「謝肉祭」(作品9)は、1834年(24歳)から翌年にかけての作曲。「子供の情景」(作品15)や「クライスレリアーナ」(作品16)とともにシューマンのピアノ曲の代表作、あるいは初期の傑作と云われる。
 ウィキペディアによると、「実らなかった恋の相手エルネスティーネ・フォン・フリッケンの出身地アッシュ(Aš)のドイツ語表記「ASCH」を音名で表記した、〈As - C - H〉、〈 A - Es - C - H〉の音列に基づいており、「前口上」、「ショパン」を除く全ての曲に、これらの音列のいずれかが使用されている。なお、偶然であるが、シューマンの名前にも"ASCH"の文字が含まれている(SCHumAnn)」と記されている。
 クラシック音楽ではよく、人名や地名にちなんだ音名による音列配置が曲の構成に利用される。伝統的なものであるらしい。が、わたしにはいつも理解できない。日本語で言うとダジャレの世界である。ひょっとしたら真面目に「韻」に類するものなのかもしれないが‥。
 最後の「ウィーンの謝肉祭さわぎ」(作品26)は1839年(29歳)に作曲した5曲からなる。「幻想的絵画」という副題があり、作曲家自身は「ロマン的大ソナタ」と説明しているという。

 以上3曲、いづれも「謝肉祭」イメージの曲が並べられている。演奏者伊藤恵の配置なのであろう。