
今回の暁斎展は「ゴールドマン コレクション」の800点から180点を選んだということになっている。
その1では気に入った作品の共通点ほを「動」という視点でとりあえず括ってみたが、それではおさまらない作品も多数ある。前回と同様、図録から絵は取り込んだ。

まずは「雨中さぎ」(制作年不詳)。最初は現代の版画が紛れ込んだのかと錯覚してしまった。少し膨らんださまで、普通ならば雨中に一本足でじっとたたずむ姿態を描くのではないか、と思うのだが、これはこれから動こうかという一瞬らしい。大型のさぎは地上で動くときは意外とのっそりと動く。その様子を捉えている。眼が作品から離れなかった。

次が「三味線を弾く洋装の骸骨と踊る妖怪」(1872-90)。
私はこの作品は、人物の後ろに刀が置かれているところから、文明開化といわれる中、旧士族階級が洋装をしながらも、昔と変わらず依然として支配者面をして威張っているのを揶揄している図に思えた。旧態依然の象徴が三味線。左手前の踊っているような妖怪は多分えばり散らされる側の象徴であろう。

さらに「五聖奏楽図」(1872-90)。解説によると「1973年にキリスト教が解禁され、仏教界から排撃運動が試みられた。釈迦、孔子、老子、神武天皇が取り囲み、三味線・笛・鼓で囃し立てる。いがみ合う深刻さは見られない。これらの宗教画日本でにぎにぎしく併存する様を一大劇場に見立てている」としるしている。確かに十字架上のキリストは扇子を持っており、いじめられている図ではない。ただし極端な廃仏毀釈があり、神武と釈迦の関係は険悪。釈迦はその分キリストをより排撃する立場、さらに孔子も老子も行く末に大いなる不安を抱いていた時代である。どちらかというと共存・併存が暁斎の思いだったのかもしれない。

一方で暁斎の仏画はとてもがっちりとした構図ですきが無い。特に達磨図、羅漢図、観音図は戯画的なものは私はしらない。仏教に対する信仰心は強かったようだ。私は達磨図に特に惹かれる。もろもろの禅僧の描く達磨図よりも私は惹かれる。

同じコーナーに「祈る女と鴉」(1972-90)が展示されていた。これも初めて目にするが、墨一色の鴉が異様に大きい。対する遊女の祈りは真剣である。解説では作品の内容や意図は不明とされている。遊女の後ろの禿が手にしている着物は墨染の僧衣なのだろうか。真剣に祈る姿からは鴉を仏に見立てているのかと思ったり、鴉は暁斎の化身のようにも思えるが、どのように解釈したらよいのだろうか。不思議な雰囲気の作品である。

最後に「幾世かがみ」(1969)が展示されていた。とても薄い色なので、ここでは色を濃くしてスキャナーをさせてもらっている。解説では「幾世かがみ」は「亡くなった女性の追善のための俳諧刷物画帖」。一方に閻魔大王、もう一方に阿弥陀を描いているとのことである。
丁寧に書かれた俳句のひとつには「ちるものと思へどをしき桜かな」とあるらしい。どちらかというと豪快で早い筆致のような諸作品の中で実に丁寧な彩色と繊細な描画、細かな描写に惹かれた。心に残る作品であった。どういう関係の女性のだったのだろうか。
なお、展示には春画のコーナーもあった。私の好みでいえば、暁斎の春画というのは滑稽の要素が勝り過ぎていて、私の好みではない。むろん滑稽の要素が強いことは春画の重要な要素でもあるし、権力者や世相を揶揄して笑い飛ばすには格好のジャンルではあると思うが‥。


図版は「イスラエル・ゴールドマン コレクション Israel Goldman Collection, London Photo:立命館大学アート・リサーチセンター 」による。