つい先ほどようやく帰宅。まだバスがあったのでいつもよりは早目だったようだ。しかし23時を超えての帰宅は現役の頃と比べるとやはりつらい。翌日に影響する。
本日は北風が身に染みた。
★撥音に散るは寿永の木の葉哉 蕪村
この句で、撥音というのは枇杷の奏法で撥を弦ではじいて鳴らす双方のこと。ここでは三味線ではなくそれよりも大きい枇杷のこと。また寿永とは入水した安徳天皇の治世の年号。
つまり枇杷は平家物語を語る琵琶法師の語りを指しているという。これまたとても混んだ仕掛けがあるのだろうか。
平家物語を語る琵琶法師のはどのような音の世界をつくり上げていたのであろうか。この句、寿永と効いて平家物語、安徳天皇を想像しない限り理解できない。
しかし、冬に木の葉の散る様を平家物語の哀切な雰囲気と絡めるというのは大胆な発想。なかなか思いつかない感性である。多分かなり大きな葉がバサッと落ちたのであろう。桐や朴葉、現代ならプラタナスの葉が相応しい。そして落ちても風に煽られて音をたてながら、吹かれていくような葉であろう。
過去と現在を、そして空間を自由に飛翔する自在さは羨ましい。
本日は北風が身に染みた。
★撥音に散るは寿永の木の葉哉 蕪村
この句で、撥音というのは枇杷の奏法で撥を弦ではじいて鳴らす双方のこと。ここでは三味線ではなくそれよりも大きい枇杷のこと。また寿永とは入水した安徳天皇の治世の年号。
つまり枇杷は平家物語を語る琵琶法師の語りを指しているという。これまたとても混んだ仕掛けがあるのだろうか。
平家物語を語る琵琶法師のはどのような音の世界をつくり上げていたのであろうか。この句、寿永と効いて平家物語、安徳天皇を想像しない限り理解できない。
しかし、冬に木の葉の散る様を平家物語の哀切な雰囲気と絡めるというのは大胆な発想。なかなか思いつかない感性である。多分かなり大きな葉がバサッと落ちたのであろう。桐や朴葉、現代ならプラタナスの葉が相応しい。そして落ちても風に煽られて音をたてながら、吹かれていくような葉であろう。
過去と現在を、そして空間を自由に飛翔する自在さは羨ましい。