Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「撥音に散るは寿永の木の葉哉」(蕪村)

2017年02月02日 23時37分11秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 つい先ほどようやく帰宅。まだバスがあったのでいつもよりは早目だったようだ。しかし23時を超えての帰宅は現役の頃と比べるとやはりつらい。翌日に影響する。

 本日は北風が身に染みた。

★撥音に散るは寿永の木の葉哉    蕪村       

 この句で、撥音というのは枇杷の奏法で撥を弦ではじいて鳴らす双方のこと。ここでは三味線ではなくそれよりも大きい枇杷のこと。また寿永とは入水した安徳天皇の治世の年号。
 つまり枇杷は平家物語を語る琵琶法師の語りを指しているという。これまたとても混んだ仕掛けがあるのだろうか。
 平家物語を語る琵琶法師のはどのような音の世界をつくり上げていたのであろうか。この句、寿永と効いて平家物語、安徳天皇を想像しない限り理解できない。
 しかし、冬に木の葉の散る様を平家物語の哀切な雰囲気と絡めるというのは大胆な発想。なかなか思いつかない感性である。多分かなり大きな葉がバサッと落ちたのであろう。桐や朴葉、現代ならプラタナスの葉が相応しい。そして落ちても風に煽られて音をたてながら、吹かれていくような葉であろう。
 過去と現在を、そして空間を自由に飛翔する自在さは羨ましい。
 

「ふゆ河や誰引きすてゝ赤蕪」(蕪村)

2017年02月02日 20時55分45秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★ふゆ河や誰(たが)引すてゝ赤蕪(かぶら)(蕪村)

 「蕪」も「ふゆ河」も冬の季語なので、季重なりだが現代俳句の基準を強引に当てはめて切り捨てるのには躊躇する。
 この句は1782(天明2)年、蕪村67歳の句である。亡くなる前の年の句。この年の3月に吉野を訪れ、蕪村は体調をくずしている。
初めてこの句を目にした時、私は情景が思い描けなかった。最近は集落や街中を流れる用水路で野菜などを洗ったり冷やしたりしている光景はテレビなどで時々見ることはあるが、大きな河で野菜などを洗っている光景は現実でも、テレビの放映でもまず見ることはない。
 「ふゆ河や」というからには用水路ではなく、大河ではないもののそれなりにおおきな河と思われる。そして赤蕪を配しているのだが、赤蕪の赤が視覚的に浮き立つような河の大きさというものがあるのだろうが、日常生活でそのような体験から遠ざかっている今の私にはその川の大きさを想定できない。赤蕪の流れていくスピードもどの程度ならばこの句に合うのであろうか。
 そして冬の河だからと言って凍っているとも思えない。そんなことを考えているうちにようやく遠景の高い山並みに雪が張り付いている情景が、赤蕪との色の対比を為すのかと思い至った。蕪村が京都にいるとして、比叡の山は雪が張り付いているのだろうか。あるいはこの歳の3月に吉野を訪れ、夏以降に体調を崩しているので、吉野の冬山の情景を思い浮かべているのだろうか。
 こんな風に情景を想像する楽しみというのも、俳句の味わい方として捉えていいのだろうか。


いつもの疑問「接客も外注‥」

2017年02月02日 13時48分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩は風の音が煩く、その音で時々目を覚ました。強調のデータでは0時過ぎには風速8メートルを超える風が吹いていた。
 昨日整形外科での注射が効いたといえるのだろうか。今朝目覚めた時右の臀部の痛みはなくなっていた。また布団から起きて洗面所に行くのにも支障はないしまったく痛みはでなかった。劇的な変化かと喜んだら、朝食で椅子に座っていたあとに立ちあがってから昨日ほどの痛みではないがそれでもかなり痛くなった。痛みは昨日のようには長続きはしない。どうもじっとしていて動き出すときに痛むようだ。
 とりあえず今日はいつものように軽い牽引をしてもらって明日また痛みが出るようならばもう一度診断を受けてみるつもりである。

 朝のうちに家電量販店の修理部門に電話をしてプリンターの修理依頼をした。修理担当部所からの折り返しの電話待ち。
 量販店独自の延長保証を申し込んでいるが、配送料は3000円かかる。これはやむを得ないとして、修理にどのくらいの期間かかるのか、心配である。不具合の概略は電話で伝えても、実際に点検しないと何とも言えないのは十分理解しているけれど、依頼する立場からは何とももどかしい。

 いまはメーカーの修理も配送は運送業者におまかせになっている。10年も前は、修理部門の担当者が出張修理をしてくれたり、受取りに来て機械の具合を見ながら一応の修理の目安などを伝えてくれたものである。いつの間にか運送メーカーを使うようになってから、パソコンのメーカーで3回、プリンターのメーカーに2回、直接連絡したことがある。その方が効率的ななことはいろいろあるかもしれない。しかし受付担当は技術者ではないので隔靴掻痒、なかなか的を得ない。「実際に器械を見てみないと何とも言えない」という返事ばかりであった。接客という基本的な部分から技術者や担当者を外してしまうことが、本当の効率化なのだろうか、とその都度疑問に感じた。要望や利用者のニーズを電話の受付担当だけが直に声を聞くシステムということが果たして企業にとってもいいことなのだろうか。
 人の顔が見えない企業活動に陥っていないだろうか。面と向かって相対する応対の方が、クレーマーの数を減らし、言葉から刺を抜く効果があるように思う、というのは私の屁理屈だろうか。

 先ほどの家電量販店から折り返しかかってきた担当者の話は明確で、やりとりもスムーズであった。一応の修理の方向や、期間・値段など幅はあるもののこちらの了解のできる受け答えをしてくれた。ここも運送業者が取りに来るのであるが、どこのメーカーの対応より格段に優れていると感じた。今度から延長保証を活用することを考えた方がいいのかもしれない。

「セラミックス・ジャパン」(渋谷区立松涛美術館)

2017年02月02日 09時52分25秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 渋谷区立松涛美術館で開催されていた「セラミックス・ジャパン-陶磁器でたどる日本のモダン-」展を最終日の1月29日に訪れた。
 明治初頭の外貨獲得に大きな比重を占めた陶磁器の変遷をたどる展示。ヨーロッパのジャポニズムに浮世絵や陶磁器が果たした役割は大きいものがあったことは知られている。
 これまで横浜の宮川香山などの作品は見てきたが、他の陶磁器をこのように大掛かりで展示されたのを見るのはあまりなかったような気がする。
 当初の人の目を驚かすようなデザインにまで行きついた作品が、ジャポニズムが下火になり、アール・ヌーボーなどの影響を受けながら1910年代の大正期以降どのように変化していったか、努力の跡を見通すことができる展示になっていたと思う。
 私が惹かれたのは、展示番号21「花瓶」(清水六兵衛(4代))、同じく22「百合花模様花瓶」(錦光山宗兵衛(七代))である。アール・ヌーボーの思考するようなデザインとは違う指向に思えるが、現代的な感性に満ちた作品だと思えた。
 また各地の陶器季学校、陶磁器試験所、窯業試験場などの作品に惹かれるものが多かったように思う。
 もともと陶磁器についてはあまり知識も鑑賞の機会もないのだが、大きな時代の流れがわかったようなつもりになった。このような展示を見る機会が多くなれば嬉しい。