以下に国立天文台普及室長による詳しい記載がある。
⇒【http://bylines.news.yahoo.co.jp/hidehikoagata/20161111-00064335】
★叫びたし寒満月の割れるほど 西武雄
★軒を出て狗寒月に照らされる 藤沢周平
始めの句の作者は「元死刑囚」。無罪を訴え続け、再審の要求もかなえられず1975年6月17日の朝、刑が執行された。享年60歳。
事件の内容と経過について詳しくは⇒【http://ameblo.jp/haiku-de-moemoe/entry-12131049799.html】。是非ご一読を。叫ぶということについて以下のような記載がある。
「ここで気に留めて欲しいのは「叫びたし」と詠んでいることね。決して、本当に「叫んだ」のではありません。より正確に言えば”叫びたいが叫べない”状態と読み取るべきでしょう。大声を上げて叫びたいのに叫べない。それはね、本当に叫び声を上げるよりも遥かに辛く苦しいことなんだよね」
次の藤沢周平の句は作者が色紙を請われると必ず記載していた自慢の句であると聞いた。私は狗と表記されているので、子狗を思い出してしまうのだが、鑑賞としては犬の方がいいらしい。それというのも犬であれば寒さというのがイメージとしてわいてくるのだという。確かに老いた痩せ犬が月夜に歩いて出てきたら、寒さがいっそうつのる。
さて、14日は夕方から飲み会が予定されている。退職者会の幹事会のあとの1300通のメール発送作業の慰労会のようなもの。持ち込みのツマミやお酒で500円(ワンコイン)パーティーである。月の出の時に石川町・関内という低地にいて月を見る場所にたどり着けるだろうか。心もとない。
赤い月、大きく見える月、心の中に描く月、人の気持ちによってさまざまな表情はあろうが、私は爽やかさや、晴れやかさは感じない。いつも何かどろどろとした過去の経験、負の体験、ささやかなことであってももどかしく果たし得なかった事柄などが、怨念のように浮かび上がってくる。ようやく最近はそれらのことを冷静に、回想できる。しかし決して晴れやかにはなれない。それでもそれが浮かび上がってくることから逃げ出そうとは思わない。逃げ出して耳を塞ぎ、目を覆いたくなる衝動が弱くなってきた。歳を重ねるにしたがい、そんな気分になってきた。
月の出の時は18時15分。目の錯覚であるが、空高くある月よりも月の出、月の入りの方が大きく見える。この理由についてはなかなかわかりづらいが、人工物や自然の山などと比べてしまうので大きく見える、という説明がなされる。だが、海の水平線など比較するものが何もない時でも大きく見えるのはなぜか、と問われることが多い。
大気の屈折と反射の影響で月が赤く見えるのだが、赤いと膨張して大きく見えるとも言われる。果たして色彩の影響がそれほど大きく錯覚されるものとなるのであろうか。
⇒【http://bylines.news.yahoo.co.jp/hidehikoagata/20161111-00064335】
★叫びたし寒満月の割れるほど 西武雄
★軒を出て狗寒月に照らされる 藤沢周平
始めの句の作者は「元死刑囚」。無罪を訴え続け、再審の要求もかなえられず1975年6月17日の朝、刑が執行された。享年60歳。
事件の内容と経過について詳しくは⇒【http://ameblo.jp/haiku-de-moemoe/entry-12131049799.html】。是非ご一読を。叫ぶということについて以下のような記載がある。
「ここで気に留めて欲しいのは「叫びたし」と詠んでいることね。決して、本当に「叫んだ」のではありません。より正確に言えば”叫びたいが叫べない”状態と読み取るべきでしょう。大声を上げて叫びたいのに叫べない。それはね、本当に叫び声を上げるよりも遥かに辛く苦しいことなんだよね」
次の藤沢周平の句は作者が色紙を請われると必ず記載していた自慢の句であると聞いた。私は狗と表記されているので、子狗を思い出してしまうのだが、鑑賞としては犬の方がいいらしい。それというのも犬であれば寒さというのがイメージとしてわいてくるのだという。確かに老いた痩せ犬が月夜に歩いて出てきたら、寒さがいっそうつのる。
さて、14日は夕方から飲み会が予定されている。退職者会の幹事会のあとの1300通のメール発送作業の慰労会のようなもの。持ち込みのツマミやお酒で500円(ワンコイン)パーティーである。月の出の時に石川町・関内という低地にいて月を見る場所にたどり着けるだろうか。心もとない。
赤い月、大きく見える月、心の中に描く月、人の気持ちによってさまざまな表情はあろうが、私は爽やかさや、晴れやかさは感じない。いつも何かどろどろとした過去の経験、負の体験、ささやかなことであってももどかしく果たし得なかった事柄などが、怨念のように浮かび上がってくる。ようやく最近はそれらのことを冷静に、回想できる。しかし決して晴れやかにはなれない。それでもそれが浮かび上がってくることから逃げ出そうとは思わない。逃げ出して耳を塞ぎ、目を覆いたくなる衝動が弱くなってきた。歳を重ねるにしたがい、そんな気分になってきた。
月の出の時は18時15分。目の錯覚であるが、空高くある月よりも月の出、月の入りの方が大きく見える。この理由についてはなかなかわかりづらいが、人工物や自然の山などと比べてしまうので大きく見える、という説明がなされる。だが、海の水平線など比較するものが何もない時でも大きく見えるのはなぜか、と問われることが多い。
大気の屈折と反射の影響で月が赤く見えるのだが、赤いと膨張して大きく見えるとも言われる。果たして色彩の影響がそれほど大きく錯覚されるものとなるのであろうか。