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Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

14日はスーパームーン

2016年11月12日 13時14分06秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 以下に国立天文台普及室長による詳しい記載がある。
  ⇒【http://bylines.news.yahoo.co.jp/hidehikoagata/20161111-00064335

★叫びたし寒満月の割れるほど          西武雄
★軒を出て狗寒月に照らされる          藤沢周平 

 始めの句の作者は「元死刑囚」。無罪を訴え続け、再審の要求もかなえられず1975年6月17日の朝、刑が執行された。享年60歳。
 事件の内容と経過について詳しくは⇒【http://ameblo.jp/haiku-de-moemoe/entry-12131049799.html】。是非ご一読を。叫ぶということについて以下のような記載がある。
 「ここで気に留めて欲しいのは「叫びたし」と詠んでいることね。決して、本当に「叫んだ」のではありません。より正確に言えば”叫びたいが叫べない”状態と読み取るべきでしょう。大声を上げて叫びたいのに叫べない。それはね、本当に叫び声を上げるよりも遥かに辛く苦しいことなんだよね」

 次の藤沢周平の句は作者が色紙を請われると必ず記載していた自慢の句であると聞いた。私は狗と表記されているので、子狗を思い出してしまうのだが、鑑賞としては犬の方がいいらしい。それというのも犬であれば寒さというのがイメージとしてわいてくるのだという。確かに老いた痩せ犬が月夜に歩いて出てきたら、寒さがいっそうつのる。

 さて、14日は夕方から飲み会が予定されている。退職者会の幹事会のあとの1300通のメール発送作業の慰労会のようなもの。持ち込みのツマミやお酒で500円(ワンコイン)パーティーである。月の出の時に石川町・関内という低地にいて月を見る場所にたどり着けるだろうか。心もとない。

 赤い月、大きく見える月、心の中に描く月、人の気持ちによってさまざまな表情はあろうが、私は爽やかさや、晴れやかさは感じない。いつも何かどろどろとした過去の経験、負の体験、ささやかなことであってももどかしく果たし得なかった事柄などが、怨念のように浮かび上がってくる。ようやく最近はそれらのことを冷静に、回想できる。しかし決して晴れやかにはなれない。それでもそれが浮かび上がってくることから逃げ出そうとは思わない。逃げ出して耳を塞ぎ、目を覆いたくなる衝動が弱くなってきた。歳を重ねるにしたがい、そんな気分になってきた。

 月の出の時は18時15分。目の錯覚であるが、空高くある月よりも月の出、月の入りの方が大きく見える。この理由についてはなかなかわかりづらいが、人工物や自然の山などと比べてしまうので大きく見える、という説明がなされる。だが、海の水平線など比較するものが何もない時でも大きく見えるのはなぜか、と問われることが多い。
 大気の屈折と反射の影響で月が赤く見えるのだが、赤いと膨張して大きく見えるとも言われる。果たして色彩の影響がそれほど大きく錯覚されるものとなるのであろうか。

鈴木其一「風神雷神図襖」

2016年11月12日 10時47分18秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 昨年の5月に、俵屋宗達・尾形光琳、酒井抱一の3者の風神雷神図を比較して次のように述べた。



 私なりに感じたのは、まず第一に宗達に比べて光琳の絵では雲があまりに濃い。濃すぎるのである。黒が強いことで宗達の絵よりもおどろおどろしさを強調しているようではあるが、風神も雷神も目立たなくなってしまっている。それゆえに動きが伝わってこない。二番目には宗達の雷神に比べて光琳の雷神は下に少し降りてきたので風神と雷神が同一の高さになってしまった。このために雷神の下に降りていこうとする動きと、風神の左に横切ろうとする動きが、屏風の真ん中で交差する緊張感が希薄になってしまった。宗達の絵に比べて光琳の絵は、雷神・風神がそれぞれ今いる場所で地団駄を踏んでいるようにすら見えることがある。それは雷神の眼が下方を見ていないで風神を見ているから余計そのように見える。
 抱一はこのふたつのマイナスを復元しようとしたのではないだろうか。まず雲がうすくなり宗達のように軽やかな画面に戻った。雷神・風神とも画面の前面に出てきた。また雷神を少しだけ上にあげた。宗達のように太鼓は画面からはみ出るほどではないが、太鼓が上辺ぎりぎりに戻った。風神の右足は光琳では指が上を向いて足を上げる動作だが、抱一では甲が着地の形になり、前方へのベクトルがより強調されている。ただし雷神の眼は光琳と同じく風神を見つめたままである。だから雷神の下方への動きはそれほど復元はしていない。とはいっても宗達の絵のように雷神が風神を無視するように下を向いているのもおかしいものがある。
 このように見ると抱一は、光琳が宗達の絵を装飾的に変えたものを、躍動感を戻そうとしたように見える。
 抱一は光琳を尊敬していたが、江戸時代後期という時代の精神の中で光琳を越えようとしてもがいていたと私は感じている。光琳を尊敬しあこがれていただけの模写ではなかったと思える。私はそのもがいた形跡が好きである。一見静かな眼を思わせるがその実、夏秋草図からは激しいエネルギーを感ずることがある。それは光琳の風神雷神図屏風の裏に描いたという行為からうかがえるのではないか。




 さて、鈴木其一の風神雷神図襖を今回の「鈴木其一」展で見ていていくつか気がついたことを記してみたい。
 まず屏風に貼られていた金箔は襖にはなく、地は白っぽい。
 次に横8面の襖絵であるので、両者の目の距離が非常に離れている。これまでは目で比べると屏風2枚分離れているだけであったのに比べると、襖で約5枚分離れている。
 また、風神も雷神も身につけているヒレようのものが、それぞれ横に長くたなびている。体も、特に雷神はこれまでの先行した3作品に比べて横に長い姿態である。
 また視線は、抱一のように雷神の眼は襖の真ん中の鑑賞者を見ている。雷神は風神を睨んでいる。そして雷神の方へと移動している。雷神はその場で踊っているか、あるいは下降のベクトルを持っている。
 両者が乗っている雲はこれまで以上に存在感がある。風神は左足が雲の中に隠れている。あたかも風神が黒い雲の中から出てきたような雰囲気である。また風神の方の雲は、岩にぶつかって砕け散る波のような形状で描かれている。風神の起こす風に煽られている雲である。
 風神の雲に比べて雷神の雲の方がわずかに濃い。しかし波のように表現はなく、こちらの雲は動きがない。太鼓の音の強弱に沿っているかのように雲の塊がリズミカルに配置され、それが中央へたなびいている。
 雷神の筋肉は抱一の作品よりもさらに隆々として誇張している。特に両腕の筋肉の盛り上がりを示す線は異様なほどで、両足よりも太い。風神の筋肉はあまり抱一とあまり変化はない。彩色では地が金泊が施されていない分、風神の緑色がうすくなっているがそれがかえって風神を浮かび上がらせている。これは成功しているのではないだろうか。
 このようにして風神と雷神を比べていくと、其一の作品は抱一の作品を基本的に踏襲している。しかし師の風神雷神図屏風の何らかの発展形とはなっていない。また雲に工夫があるものの、風神・雷神の関係そのものに広い襖にしたことによる新機軸は提出されていないように見える。
 襖という左右に広い空間を使って、それでもなお緊張感を持った風神雷神図が出来上がったとは言えない。風神・雷神がより鮮明になり、雲の処理が進展しより動きが感じられると思ったが、それ以上の革新的な変化は起きていない。多分其一はこの作品をもって師である酒井抱一への鎮魂としたのかもしれない、と思った。

 もっとよく観察比較すれば、あるいは新しい視点があれば、もっと踏み込んだ感想になったかもしれないが、今の私にはこれが限界だと思う。

 ひょっとしたら鈴木其一という人は、動きよりも静的な配置でよりその真価を発揮したともいえる。夏秋渓流図屏風のようにわずか数枚の桜紅葉の葉の落下で秋の深まりを匂わしている。このような微妙な動き・繊細な動きに其一の存在が浮かび上がるのではないだろうか。

豊橋に比べて8℃も低い横浜

2016年11月11日 23時28分59秒 | 山行・旅行・散策
 本日の豊橋市は明け方雨が降ったものの、8時過ぎにはすっかり晴れていた。9時ころに豊橋駅の気温表示では13℃。気象庁発表の最高気温は14時半で19.8℃であった。結局着ていったダウンの上着はリュックに押し込んで歩いた。
 豊橋市内を1万7千歩ほど歩いたことになる。昨日豊橋駅の西口に降りて受けた印象と、本日目にした東口の印象はまるで違った。東口はずいぶんと都会的で整備されている。
 路面電車は豊橋鉄道(株)の経営であるらしいが、ステーションは13だけとこじんまりしている。しかし広い道路で、軌道上は車を排除しており、渋滞に巻き込まれることのない工夫をしてある。なかなか愛すべき運行形態のように思えた。
 中心部だけを歩いただけの印象だが、結構活気は感じた。

 14時47分初のひかりで新横浜に着いたが、ホームに降りるとかなり寒く、そしてホームが濡れていた。すぐにダウンをひっぱり出して着たが、市営地下鉄の改札にたどり着くまでは寒かった。本日の横浜市の最高気温は22時近くに記録した11.7℃と表示されている。家についた段階で歩数計は2万2千歩あまりであった。
 豊橋市と比べると8℃も低い。豊橋市内が暖かく感じるはずである。

 明日は横浜でも最高気温の予想は17℃。気温の上下が厳しい。

豊橋市内中心部を散策

2016年11月11日 21時39分45秒 | 山行・旅行・散策




 本日は朝ホテルを出てから豊橋駅を超え、路面電車のとおる駅前大通りを通り、田原街道を超え大池通りからレインボータワーという巨大な「モニュメント」なのか不思議な歩道橋からくすのき通りに出て、安久美神戸神明社によって豊橋公園にある豊橋市美術博物館まで約9000歩を90分ほどで歩いた。

      

 安久美神戸神明社には鬼祭というなかなかユニークな祭りが伝承されているらしい。
 吉田城の拡張に伴い、この場所に移設されたようだ。
 美術博物館で「NIHОN画」展を見た後、隣接する市役所の1階の喫茶店にて270円也の紅茶で一息。結構疲れた。

            

 一服後吉田城を訪れてみた。この吉田城の城下町として吉田宿は栄えた。後に姫路城を築いた池田照政(輝政)が15万2千石で入場し、吉田城の拡張を行ったとのこと。裏手を流れる川幅のある豊川の河口の豊かな流れを背に東海道の要衝地であったのであろう。櫓の上から豊川をのぞむと地形がよく分かる。
 以後代々譜代が入場したようだが、知行地のわりには立派な城だったと思われる。

   

 城址を後にした、旧東海道を辿り、吉田宿本陣跡、同西惣門跡を辿り、吉田宿の外港があったと思われる湊神明社まで歩いてみた。

   

 ここには芭蕉が越人とともに杜国を訪れようとここに立ち寄った時の句「寒けれど二人旅ねぞたのもしき」の句碑が建てられてあった。

   

 大橋通りを通って、豊橋駅に戻り、西口にある「勢川西駅店」で「カレーうどん」を食べた。とても美味しかったが、ボリューム満点。私には量が多すぎた。うどんととろろと御飯は新道。


豊橋市美術博物館へ

2016年11月11日 11時57分43秒 | 山行・旅行・散策
「NIHON画」展を見終わってTea Time中。







ホテルから9000歩ほど歩いて、豊橋公園内の豊橋市美術博物館を訪れた。途中安久美神戸神社に寄ってみた。







「NIHON画」展は勉強になった。1500円で図録も購入した。

これから公園内にある吉田城址を訪れてから、名物のカレーうどんに挑戦、という選択をするか思案中。

宴会終了

2016年11月10日 23時08分56秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
二次会も無事終わり、就寝。
明日は会議終了後自由行動になるようである。
豊橋美術博物館を訪れることが出来るかも知れない。
そのような展開を期待しつつ・・・。
いろいろと可能性を探りつつ就寝。

5時間の会議・・・

2016年11月10日 18時23分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
13時30分から18時までの会議(総会)というのはさすがにくたびれた。終わってから気がついたら、途中写真撮影で2回、洗面所に1回、各2分ほど席を立っただけ。
分厚い議案書と、資料で一気にリュックが重くなってしまった。これで歩き回るのは結構キツイ。
明日ないし明後日は報告をホームページにアップする作業をしなくてはならない。

本日から豊橋市

2016年11月10日 09時35分07秒 | 山行・旅行・散策
 本日から明日にかけて、退職者会の会合で豊橋市に出張。年次総会が開かれる。私たちの単組の退職者会からは4人が参加する。
 一昨日浜松市から戻ったばかりだが、その西隣りの豊橋市に舞い戻るように出かけることになった。
 豊橋市、愛知県の東端の市としてよく名前を聞く。新幹線のひかりも止まる。しかし浜松市と同様私は豊橋市に降り立ったこと、宿泊したこともない。どのような町なのか、駅と宿泊ホテルの間をバスで移動するだけで、街中を歩く機会はないのが残念である。

 豊橋市には豊橋市美術博物館があり、「市政110周年 リニューアル記念展「NIHON画ー新たな地平を求めてー」」が開催されている。堂本印象「交響」・東山魁夷「樹根」などの作品が展示されているようだ。「新収蔵品展」では井上長三郎《行進》も展示されている。
 訪れてみたいが、同行者の賛同が得られるとは思えない。

欠礼葉書がやって来る時期となった

2016年11月09日 23時38分24秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 11月に入って、年始の欠礼挨拶状がいつものように飛び込んで来る。ほとんどの場合は親である。この歳になると友人の親も80代後半から90代。時には兄弟姉妹の訃報によるものもある。
 聞くところによると、欠礼は不幸のあった人が年賀状や年始の挨拶を遠慮するだけであり、友人たちにとっては年賀状を送ることには特に問題はないとのことである。しかし世間一般の扱いとしては、賀状を送らないことになっている。出してしまうと失礼に当たる、ということになっている。
 私の場合は、妻の両親と私の父親の時に欠礼葉書をだしたが、正月7日以降に寒中見舞いを出した。
 年賀状が今のように大きな行事となってからそんなに長い歴史があるわけではないようだ。元日配達は20世紀に入ってからの歴史であるようだ。そして来年は正月2日の配達は廃止になるとのことである。先日電車の中で、わたしよりも若い夫婦が大声で、「来年から年賀状は元日には配達されない」ということをどちらかが相手に言っていた。「郵便局は怠慢になった。古来の国民的行事をないがしろにしている」と怒っていた。
 元旦ではなく二日の日の配達だよ、ということと、「古来」といえるほどの歴史はないよ、と思わず言いたかったが、黙っていた。
 この会話を聴いて、またそれを鵜呑みにして拡散する人も多いのだろう。噂というのは、このように広まるのか、と思った。訂正するのも面倒なうちに、いつの間にか尾鰭がつき、とんでもない話にすり替わり、そして悪意のある内容に変化していく。
 いいかげんなことを口にするのは嫌なものである。どんなことでも、どんな場合でも正確を期したい。

スーパームーン

2016年11月09日 21時17分31秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 空には月齢9.8の月。約6割ほどが見えている。群雲の間から顔を出す月はくっきりと見えて美しかった。
 さて、今月14日の満月はスーパームーンといわれている。地球の中心と月の中心の曲では、今世紀で屈指の短い距離となるとのこと。14日には356,520kmとなる。
 これよりも近かった満月は1948年1月26日の356,491kmでこのとき私は生まれていない。今後さらに接近する満月は2034年11月26日の356,446kmで83歳。今世紀最接近の満月は2052年12月6日の356,426kmで101歳である。たぶん観測などは出来ない。生きてもいない。ますます生きにくい世の中になっている悪い予感‥。
 14日は退職者会の幹事会で、終了後ワンコインクラブである。帰途は石川町駅から歩いて帰るつもりであるが、飲み過ぎていると空を見るゆとりがないかもしれない。また酔っぱらって空を見ながら歩いていると車にでもぶつかりそうである。
 スーパームーンであることを記憶しておいて無理の無い観測、いや単に長め寝るだけであるが、空を見上げたいものである。できれば月の出の時刻から1人間位は見つめていたい。

本日の業務終了

2016年11月09日 19時12分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
寒く、そして風も強い一日。本日は薄いけれど、ダウンを着て出かけた。着るものの選択としてはちょうど良かった。
夏から一気に冬がきた感じである。
私の気分も人にきつい対応を押し付けたようで、反省している。季節や天候のせいにしては絶対にいけないが、気温が低いと、心にゆとりがなくなる。
情けない自分を見てしまった。


横浜では本降りの雨

2016年11月08日 23時17分12秒 | 天気と自然災害
 雨の音が気になってなかなか眠れない。眠いのに寝付けない。やむなく先ほど起きてきた。ベランダに出てみるとまだ雨が続いているうえに、窓ガラスが曇っている。外はかなり冷えている。
 しかし「レインアイよこはま」の表示では雨は降っていないことになっているのが不思議である。表示がおかしいのか?

 ようやく風呂が沸いたようである。体を暖めることで、眠れるようになるといいのだが‥。

横浜に無事帰着

2016年11月08日 19時52分12秒 | 山行・旅行・散策
 先ほど新横浜駅に無事帰着、新横浜で夕食を摂ってから19時半頃帰宅。横浜は浜松に比べ気温は低いようだ。最高気温が17時直前に記録した14.2℃だったらしい。浜松は正午前の18.5℃が最高気温であったらしいので、4.3℃も低い。ずいぶんと気温差があった。
 浜松駅を出る時は雨が本降りであったが、横浜では降っていなかった。天気も違いがかなりある。
 本日は大分疲れている。しかも明日は所用があって朝から出かけなくてはいけない。これから風呂に入って早目に就寝としたい。

 歳を取ると布団が変わり、枕が変わると寝てもなかなか疲れが取れない。若い頃はまったく気にしなかったが、だんだんつらくなってきた。ことに敷布団が1枚だと途端に腰が痛くなる。NHKのテレビで放映されていたが、寝返りができないと腰に負担がかなりかかるようだ。
 そして枕が小さかったり、柔らかいと途端に肩が凝る。何とも情けない。

舘山寺・愛宕神社・浜名湖遊覧船&鰻

2016年11月08日 14時11分16秒 | 山行・旅行・散策
         

朝から曹洞宗舘山寺、愛宕神社を訪れた。参拝後、30分の浜名湖遊覧船に乗船。舘山寺門前通りに戻り、鰻の専門店で鰻重・肝焼き、白焼きを各1とビールで昼食。

シャトルバスで浜松駅へ。