Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

肩書き付の名刺

2013年05月20日 23時08分41秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 もう肩書きのついた名刺は御用済み、二度と持つことはないと気楽に考えていたら、本日組合の退職者会として「○○退職者会△△ブロック代表◎◎××」という肩書き付の名刺を支給されてしまった。
 今の組合員で退職予定者へ退職者会への勧誘のために利用するため、ということである。まあ必要なことは充分承知をしていたが、あらためてこの肩書き付の名刺を見て、これは棺おけに足を突っ込むまでお付き合いせざるをえないんだな、とあらためて「しょうがないか」という気持ちになった。
別にしんどいわけでもないし、自然体でそのような気持ちになっているので、憂鬱とか嫌だとかいうのではない。人間、一生足が洗えないものがあるというのは、それはある意味理解できる。一方でこれが自分が生涯をかけてやってきたことの意味なのかといろいろと考えるきっかけにはなる。これがさまざまな人と培った関係に付随する感慨も、後悔も、愛憎もすべて飲み込んでいくということなのだろう。これは読んだ人にはピンと来ない感慨かもしれない。

 現役を退いてみると、これまで気にもしなかった本当に些細な小さなことにいろいろな感慨がわいてくる。ひとつひとつそれを記録していったらキリがない。とても疲れてしまう。もっとのんべんだらりといかないものか、とも思うがそうはいかない性分なのだろう。


組織の活性

2013年05月20日 18時21分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は朝から組合の会館で退職者会の役員会と幹事会に出席。終了したのが16時過ぎ。1000部を越える会員向けの郵送物を作成する作業も行う。この作業が大変だ。ニュースやその他の配布物、会費の納入依頼、イベントの案内、行事に参加した人には個別に写真同封と幹事全員での共同作業はにぎやかである。このにぎやかさがある限り、私の属する退職者会という組織は他人が何と言おうと存続し続けられると思う。
 昔から組織というのは、このような単純作業の協働が組織を支える大きな力である。大言壮語や理屈ばかりの人よりは、こつこつとこのような地味な作業をこなす人が組織を支えてくれる。また組織を活性化してくれる。楽しむ、議論する、作業する、行動する、人に働きかける‥それぞれにそのお膳立てに特技を発揮しながら、組織全体が動くことが必要だ。大言壮語や理屈ばかりで体や手が動かない人は、結局は人に信用されない。そのような人が跋扈すれば組織は活力を失う。理屈では人は動かない。
 組織を切り盛りする人は人一倍このような作業をキチンとこなす覚悟が必要である。少なくともこのような作業をこなす人に信用されない限り、人はついてこない。政治家の勘違いは自分が支えてくれる人々のおみこしでしかないという一面があるにもかかわらず、自分の理念や理屈に人がついて来る、自分がすべての主宰者であるという勘違いから始まる。
 また、支える人もそのような勘違いを許してきた負の歴史が日本に特有なのかもしれない。少なくともこのことに組織をリードする人も支える人も自覚的にならない限り、その組織の未来は無い。
 これが私が18歳のころから社会的な運動にかかわり続けて今に至るまでこだわり続けたことだ。また少なくとも若い人にはそのことは伝えてきたつもりだ。しかし一番もどかしかったのは、同世代の人にそのことがなかなか理解されにくかったことだ。新しい政治理論や組織理念の構築が求められる時、どうしても抜け落ちてはいけない側面であると思う。この点から見て、今一番魅力的な組織はどんな組織であろうか。あるいは今の組織で将来性のある組織は日本の社会の中でどんなものであろうか。私はこのような側面を基準に社会を見続けたいと思っている。結論は今はまだまだ急ぐべきときではないだろう。

 そんなことを考えながら、今日一日、どんよりとした曇り空のもと一日を過ごした。