Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

果たして人は大切にされているのか?

2021年11月25日 22時11分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評

 午前中は整形外科、午後から新宿で弁護士に相談。夕方には横浜に戻り別の弁護士に相談。弁護士とは遺産相続のスムーズな手続きについてアドバイスをもらった。無料相談の範囲内でのアドバイスだが、随分突っ込んだ内容で教えてもらった。引き続き30日にも相談に応じてくれることになった。
 新宿と横浜の往復は、電車の中で読書タイムと思っていたが、明るい車内で景色が変わると目がつらく、結局は目をつぶっているうちに寝てしまった。地下鉄ならば明暗の変化が少なくて済むが、外を走る電車では年寄りには目によくないことをあらためて実感。

 新宿では超高層ビル内の事務所に昼食時に到着。しばらくビルの地下の食堂街や地上のビルの周囲を散歩して時間を調整。
 驚いたことに、最新のビル街なのに働いている人はランチ難民であった。レストランは並んでいて満杯。昼食にありつけるまで長時間立っていなくてはならない。地下の池状のコーナーの周りにはお弁当を食べる社員が狭い敷石の上で胡坐をかいておしゃべりに興じていた。その狭い敷石には鳩の糞がかなり落ちていて、それを避けるように苦労して座り込んでいる。
 また地上の植込みの間に十人ずつくらいの人の塊があり、日向ぼっこをしているようなので傍に寄ってみると喫煙場所になっていた。鼻の利かない私にはわからなかったがたばこのにおい(多分)がひどいのだろう。また煙が立ち込めているだけでなく、植込みの中は吸い殻が散乱しており、びっくり。
 負の要素は森の中に隠して見えなかったことにしたり、海に流してしまうという、昔の公害をまき散らした企業の論理を思い出す。倫理感を喪失した日本の企業の精神を垣間見たような気がする。「悪ガキ」という十代のやんちゃ坊主のほうがまだ後ろめたさを持っていて救われる。

 働く人間を収容しきれないランチタイムと食事事情、喫煙対策がまったくできていない現代の先端を行く街の状況を見ると、いかに現代の粋を集めた超高層ビルの街といわれていてもその設計思想や企業倫理に重大な欠陥があるとしか思えなかった。
 日本の建築は、そこに働く人のことはあまり考慮しなくとも許容されるようである。これはいつも足りない便所の数をみてもわかる。喫煙対策もランチ対策もこれでは日本の労働環境はよくならない。しかもその思想では世界に通用しなくなっていると思う。日本が「先進国」から坂を転げ落ちるように転落している、といわれるが、こんなところにもそれが現れている。働く人のことをまず考えない思想に将来はないはずである。人間の顔をしていない資本主義である。
 むかし1967年、チェコで「人間の顔をした社会主義」を標榜した改革運動が注目を浴びた。しかし旧ソヴィエトの軍事介入で悲劇的な結末を迎えた。「人間の顔をしていない日本の資本主義」は誰の力でつぶされるのだろうか。この分では自壊だけが待っているのではないか。



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