Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「銀河の光 修羅の闇」(小林幸吉)より

2021年03月04日 21時34分27秒 | 俳句・短歌・詩等関連

 「銀河の光 修羅の闇――西川徹郎の俳句宇宙」の第3章「存在の無残さと死と――「無灯艦隊」」、第4章「悲しみの峪で――「瞳孔祭」」を読んだ。
 著者の小林幸吉氏の文章の中に、西川徹郎の文章が引用されている。
「人間存在とは、否応なく危うさをひめた危機的存在であり、それは存在の規定としての〈不在性〉によって成立し、そのことにより存在とは、もともとは〈非在〉であり、この非在としての存在を認識することのなかにしか、人間存在の「不可知性」を透視する方法はないであろう」
「存在とは、〈いたみ〉〈うめき〉として現行し、現像するものの中にはじめて見いだされるものであるゆえに、そこでは、存在の〈いたみ〉〈うめき〉をこそ超越しようとする意志がはたらく。しかし、その意志は、また、存在の〈いたみ〉〈うめき〉によって妨げられるものであるゆえに、一層、〈いたみ〉〈うめき〉は増幅され、存在の根底に繁茂した不在性の闇は、愈々深められるのである。府財政の闇の深淵が、存在の〈いたみ〉〈うめき〉そのものによってしらされるとき、存在を超越する存在が意識されるのである。」

 とても難解であるが、著者は「存在とは、不在である死によって存在となり、その存在は同時に、超越者の意志を体現し、それが〈いたみ〉〈うめき〉となって増幅、共鳴し、修羅の闇を深めつつ永遠の銀河の光を垣間見せる――それが修羅の闇と銀河の光の峡谷を、存在と不在のはざまを〈生きる〉ということ=〈実存〉するということなのだ。」と述べている。

 かえってわかりにくくなってしまう文章であるが、私は「ある人の存在とは、その人が死という非在になってはじめて、その人の存在が認識される」という場面を想像した。
 誰しも近しい友人が生きている間は、その友人の存在はあまり意識することはない。死を契機として非在となったとき、あらためてその友人の存在が、私の意識の中に浮かび上がってくることがある。死=非在によって常にその友人のことが意識される。
 非在は〈死〉だけではなく、不可抗力によってもたらされた非在もある。例えば、小学生のころ親しかった友人が、ある日突然「転校」により、クラスから存在しなくなったときなどである。翌日からの喪失感というものは私の場合には、その友人の存在が大きな空洞をもたらしたことがある。クラスを見渡す視界に大きな穴ができたように。
 心に残っている友人の葬儀を終えるたびに、このブラックホールの様な空洞は私の心の中では処理できぬままに大きくなる。そんな空洞がいくつも出来上がることで、今の私はその空洞に押しつぶされそうである。
 この空虚感を意識しながら、この文章を咀嚼してみたい。

 さて、本日読んだ二つの章に出てきた、西川徹郎の俳句からいくつか。

★星の出に剃刀研げり山河を研げり
★首のない暮景を咀嚼している少年
★耐えがたく青い陸橋手のない家族
★骨の匂いのひたひたとする過密都市
★椿散る尖塔が哭いている時間
★尼の頭蓋に星が映っているは秋
★鐘につられて湖の地方が慟哭せり
★枕の中の墓地咲きかけの曼殊沙華

 どの句も具体的な像を結ぶことを拒否しているように思える。景としては成立しないものばかりかもしれない。しかし「わかるわけない」と忘れてしまうこともできない。そんな句である。
 しかし例えば、「首のない‥」の句を「首のない地蔵と枯れ野を咀嚼する」という句に作り変えてみた。
「耐えがたく青い‥」の句は「暗闇に手をつないで共に歩いていたはずの妻や子がいつの間に消えてしまった時の焦燥と喪失感」をイメージしてみたらどうだろう。
「骨の匂いの‥」の句を「実像としては隣にいる見知らぬ他人ばかりの孤独、人の非在によってなりたつ都会」という比喩。

 私に即して強引に何かの像を、それがたとえ虚像であり、ピントが外れていても、置き換えてみることをしたくなる、そんな句であると感じる。



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