清宮質文展の図録、どれも私の気に入った作品が並ぶが、特に印象の強かったものを並べてみる。

1970年の「九月の海辺」(群馬県立舘林美術館)は浜辺に俯せの女性を配している。夕焼けの時刻であろうか。輝く海の印象と女性の姿態が印象的である。
また「入日「暗い夕日」7」(1972、群馬県立舘林美術館)の入日シリーズ、1972年の「夕日と猫」(茨城県近代美術館)、1974年の「深夜の蝋燭」(群馬県立舘林美術館)なども興味をひかれた。
最晩年の作品はガラス絵で色彩が明るい色となり、「さびしさ、悲しみ」を讃えた色彩ではなく、ルドンの花のように明るい色彩の満ち溢れていて、とても印象的であった。
同時に色彩の輪郭線はどんどん曖昧となり、物質感が少しずつ希薄となり周囲に溶けだしてしまいそうなほどである。物が輪郭線と色を失うとは、存在そのものが危うくなることでもある。ここら辺の作者の思いについてはまだまだ私には理解できないことがたくさんありそうである。





1970年の「九月の海辺」(群馬県立舘林美術館)は浜辺に俯せの女性を配している。夕焼けの時刻であろうか。輝く海の印象と女性の姿態が印象的である。
また「入日「暗い夕日」7」(1972、群馬県立舘林美術館)の入日シリーズ、1972年の「夕日と猫」(茨城県近代美術館)、1974年の「深夜の蝋燭」(群馬県立舘林美術館)なども興味をひかれた。
最晩年の作品はガラス絵で色彩が明るい色となり、「さびしさ、悲しみ」を讃えた色彩ではなく、ルドンの花のように明るい色彩の満ち溢れていて、とても印象的であった。
同時に色彩の輪郭線はどんどん曖昧となり、物質感が少しずつ希薄となり周囲に溶けだしてしまいそうなほどである。物が輪郭線と色を失うとは、存在そのものが危うくなることでもある。ここら辺の作者の思いについてはまだまだ私には理解できないことがたくさんありそうである。