30分ほどの夜のウォーキング終了。
昼間はあまりに暑くて、日かげのある道を思い出しながらウォーキング、というよりもよたよた歩きに近いまま歩いて帰宅した。16時に近かったものの陽射しは衰えることを知らない。
直射日光を受けるのを避けるためのメッシュの野球帽を被っていると頭が蒸れてしまいかえってよくない。日陰では帽子を手に取り、汗が蒸発するようにして歩き、直射日光のあたるところだけは帽子を被って歩いた。
片蔭、片かげりは炎天下、建物や塀の陰が道路の片側にくっきりと出来ているさま。俳句特有の語であるが、私は好きな季語である。
★片かげり蝶の出入りの眩しさよ 菅原 涼
★沖縄の片蔭過去をのみて濃し 沢 たか女
★炎天に墓石するどく手を焦がす 庄司たけし
片蔭は何も沖縄だけが濃いのではない。過去の歴史がその濃さを増す。ものを見る視点によってその像は大きく変わる。それを写し取るのが写生ともいえる。時間の累積は何処でも重みがある。その重みを見つけたい。「過去をのみて」は「過去を飲み込んで」の意と解した。