Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

73年目の8月15日

2018年08月15日 09時57分48秒 | 俳句・短歌・詩等関連
★敗戦日空が容れざるものあらず     石田波郷
★喉もとの小骨のとれず敗戦忌      近藤酔舟
★敗戦忌別れを重ね生きのびて      北さとり
★海中(わたなか)の貝のつぶやき敗戦忌  諸岡孝子


 いつの間にか「終戦記念碑」が定着している。しかし私が小学生の頃はまだ「敗戦日」という言葉の方が圧倒的に使われていた。ことばは73年もたつと変わる。だがしかし「敗戦」を「終戦」としたい人々もいるようで、それがいつしか体験の風化とともに多数となっている。私にはそれが違和感として脳裏に刻まれている。
 そういえば1970年位までは、せ「戦後○○年」という言葉が当たり前だった。「昭和」や「西暦」よりも「戦後」という時間の尺度の方がより身近で、そして実感の伴った「時間」であったのだろう。「元号」よりも「西暦」よりもずっと人々に定着していた。そしてそれは「あの戦争を忘れない」効果をも持っていた。「時間」を支配することは「為政者の証し」という古い観念からすれば、「敗戦」は他からもたらされたものであり、何とかして人びとの意識から忘れてしまって欲しいものだったに違いない。そしてそれの願望は達成されたのかもしれない。70数年、世代交代が進み、戦争の生きた記憶が失われるにしたがい、歴史は過去に学んだことを忘れてしまう。だが、伏流水のようにそれは見えないだけでなく、どこかで必ず湧き水として出てくる。
 私は意識して「敗戦日」という言葉にこだわりたい。忘れられてしまって、伝わらずとも使ってみたい。そこには私なりの「戦後体験」を込めている。

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